第110話 幸せ

 昔から、なぜ自分がこれほど不幸なのか分からなかった。頭に激痛が走って、腕にも足にも腹部にも。痛くて痛くてたまらない。


『――痛いよッ、やめてッ』



 こんな事を言ってもやむ事なんて無い。口の中に血の味が広がって、また涙が止まらず、声を抑えられず、只管に怖くて怖くて痛くて。



『貴方っ、もうやめてあげて!』

『黙れッ! クソがッ、誰のせいでプロジェクトが失敗したと……』



 お母さんが止めるけど、それでも父親である男は仕事の失敗のストレスを私達を殴ることで発散する。お母さんも僕も心身ともに限界だった。本当に限界だった。



 僕がここまでされても生きていられたのはお母さんのおかげだ。庇って、慰めて、ずっと面倒を見てくれた。怖くてトイレに行けない時も一緒について来てくれて、怖くない様に桃太郎を話してくれてた。




 お母さんは悪くないのに何度も僕に謝った。痛い思いをさせてごめんねと。


『ごめんねッ、ごめんねッ、萌黄。お母さんがしっかりしないから、お母さんの役目を果たせないから』



 そんなことはない。お母さんは誰よりもお母さんだった。そして、家の中に隠しカメラと盗聴器を隠して、あの男の悪行をとらえて警察に突き出した。この時も、お母さんは恐怖で震えていた。


 バレたら暴力どころじゃすまないかもしれない。きっと、そう考えていた。お母さんは体が弱いから、死の意識が常に頭にまとわりついていたはずだ。それでも僕を守ってくれた。


 愛を感じた、ぬくもりを感じてようやく訪れた平穏に人並みの二人の幸せに感動した。



 でも、それも長くは続かなかった。




 お母さんが入院したんだ。ずっと、体調は悪かったから心配した。だけど、お母さんはきっと良くなるって信じていた。


 お母さんが入院したのは小学三年生の時だった。


 この頃から、僕は身長が周りの女の子より大きくて、男子からバカにされたり、からかわれることも多かった。


『ちょっと、そんなこと言わないでよ!』

『そうよ、そうよ』


『な、なんだよ』

『っち、巨人の味方しやがって』



 女の子が庇ってくれたんだ。教室の中でも外でも守ってくれたんだ。幸せだった。不幸だと思っていた、ずっと自分にとって最悪しか来ないと思っていたから。



 そして、小学四年生の冬。



『お母さん! 縄跳び大会が今度の冬休み中にあるんだ!』

『そう……頑張ってね……』

『うん。僕が頑張ったらお母さんも元気になるよね?』

『……そう、ね』



 お母さんの歯切れの悪い返事に違和感を持っていた。前より細い腕に違和感を持っていた。肌が異常に白い事に違和感を持っていた。弱弱しいお母さんが息を吹けば居なくなってしまう違和感を持っていた。


 でも、自分自身で気付かないふりをした。怖いから、それを認めるのがただ、怖いから。


 本当は分かっていた。お母さんがもう長くない事くらい。だけど、信じたかった。お母さんはずっと一緒に居るって。



 縄跳びの練習を頑張って、クリスマスも近いからプレゼントで手編みでお揃いのマフラーを作って、ケーキだって頑張って試作して。


 そうすれば……



 本当はクリスマスに祝いたかったけど、縄跳びの大会は12月26日で……その日に全部祝えばいいと思っていた。



 そして、町内の縄跳び大会で一番を取った。賞状とケーキとマフラーを持ってお母さんの元に向かった。



 喜んでくれる、もしかしたら、元気になるかもしれないと淡い期待を持っていた。



『ありがとう……萌黄……頑張ったね』

『うん』



 お母さんは僕の頭を撫でた。その手はやっぱり安心して、しわが沢山あって、苦労人の手で、その手のぬくもりが好きだった。



 お母さんは笑って、僕も笑って。その日は沢山話した。どうでもいいことも、大事な事も、プレゼントも渡してこれを持って一緒に何処かに行こうと話した。




 その日は、沢山話して最後にお母さんが言った。



『幸せになってね……』



 そのお母さんの言葉にうなずいて、その日は帰って……次の日になって急な知らせを聞いて急いで病院に向かったら……お母さんはもう話せなくなっていた。





 でも、不思議と。お母さんの顔を見て、お医者さんから説明を受けたけど、何とも思わなかったんだ。


 そのお母さんの死んだ日は普通にご飯を食べて、普通にテレビを見て、普通に寝た。


 何とも思わなかった。ずっと、何日も。普通にただ過ごした。



 そして、お葬式の日になった。その日も何とも思わなかった。だけど……最後に家族の方は面会を許されて、最後に触れ合う機会が与えられた。後は燃やして終わりだから最後に触って良いと言われたんだ。


 何気なくお母さんの頬に触れた。真っ白な顔のお母さん、唇は青くてだけど、そこにいるのは間違いなくお母さんで……でも、そのお母さんは



 この時、初めてお母さんが死んだと分かった。もう、目の前にはいないと分かった時、ダムが崩壊したように涙があふれたんだ。


 ただ、事実を受け入れられなかっただけだった。感覚がマヒして、感情がどうにかなってしまって、誤魔化していた、勝手に思っていた。お母さんはずっと居るって。


 でも、どうしようもなく冷たいお母さんにもう……誤魔化せなくなっていた。


 寒くなった。寂しくて、たまらない。お母さんにはもう会えない。お墓参りに行っても会えるはずもない。だけど、足繁く通った。その度に思い出すんだ。



『幸せになってね……』



 お母さんの言葉、最後の言葉。学校では男子に馬鹿にされるけど、それでも幸せだから、友達がいるから、庇ってくれる友達が居るから。



 中学になって、一目ぼれして、告白して付き合えることになって、お母さんに言われたように幸せになれると思っていた。中学になっても男子には身長の事は馬鹿にされるけど、それでも幸せに……



『身長高すぎてちょっとキモいけど顔とかはいいから。取りあえず付き合うだけ良いかなって』



 そんな事は無かった。悲しくてたまらない。その時に男と言う存在は悪だと知った。



 高校生になって、色んな人と関わって幸せになった気がした。でも、心には埋まらない周りのずれがあって、それはいつまでも消えなくて。



 そんなとき、火蓮ちゃんと会って、仲良くなって。


 少し、心が埋まって。


 でも、二年生になって後輩に変な一年生が現れて。火蓮ちゃんを取って行った、それが嫌で、でも彼女が幸せならそれでいいと思って。



 そしたら、自分のように騙されたと知って彼に喧嘩を売って。



 そしたら、僕の勘違いで。最初は変な奴だと思った、怒らない、いつもニコニコして行動は意味不明。



 それでも、どこか暖かさがあって。それに何か覚えがあって。



 皆と仲良くなっていくうちに、不思議と彼に惹かれることに気づいた。普段の何気ない行動にも愛を感じた。異常な行動にも愛を感じた。全部に愛を感じた。


 もう、好きになっていた。彼が。


 でも、皆だって好きだから。言わない方が良いかなと思って。でも、抑えられなくて。


 告白した。


 彼も好きだと言ってくれて嬉しかった。



 ◆◆




 久しぶりに自分自身の夢を見た。不幸から始まって、愛を感じて、必死になって生きた夢を。



『新郎新婦入場です』


 僕はウエディングドレスを纏って、彼と歩く。僕の方が身長が高いけどそんなことはどうでもよくて。教会で少人数で行う。



 結婚式の規模なんて大々的でなくていい。小さくてもいい。そんなことは些細な問題だから。


 式が進んでいく。




『新郎新婦誓いのキスを……』





『は、恥ずかしいから……オデコでいいよ……』

『は、はい……』




 お母さん、産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう。守ってくれて、愛をくれて、トイレについてきてくれてありがとう。


 きっと、上手く全部が良くなんてない。喧嘩だってするだろうし、すれ違いだってする。正当な道ばかりなわけがない。厳しい道も歩くだろう。だけど、きっとその度に彼が手を取ってくれる。歩幅を合わせてくれる。一緒に泣いてくれる。笑ってくれる。暖かくて、優しくて、不器用だけど馬鹿みたいに真っすぐで、誰よりもカッコいい。



 だから、この人を選んだ。僕は少し、彼に顔を近づけて、互いに顔を赤くしながらよそよそしくもしながら。そして、彼は僕のオデコに……まぁ、式で唇は恥ずかしいから仕方ないよね。



 



『――お母さん、僕はこの人と












◆◆




「はッ!!!!」



そこで、僕は目を覚ました。ううぅ、なんと言う夢を僕は見ているんだ。恥ずかしくて顔が熱い。


隣には皆が寝ている。



今は幸せだ。皆が居るから。でも、これからもっと幸せになる。夢のように。きっと



そう思って再び布団をかぶって幸せな夢に落ちて行った。






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