Dust And Girl(s) / 恋のほこり

枕木悠

プロローグ

プロローグ

 叩けば埃が出ると言う。


 ダスト・アンド・ガール。


 私には父親がいない。私が四歳になり、ちょうど物心が付いたか付かないか、それくらいのときに腸の癌で死んだ。静かな病室の光景を私は今でも覚えている。霞を透過したような真っ白な病室に横たわる痩せた男と、その男の手を握り締め、顔を彼の腹部に押し付けすがりつくように泣きじゃくる華奢な女。私はどこまでも傍観者であり、父が死にゆくことも、母が哀しみに押しつぶされそうになっていることも、何もかも分かっていない。病院の匂いは幼い私には刺激的だった。与えられたソーダ味のキャンディを私はいつまでも舌の上で転がしていた。シュワシュワと刺激的なキャンディは、それまで私が舐めたキャンディの中で一番甘い。

 それが私が持ちうる一番古い鮮明な記憶のようで、父のことを考えればソーダ味のキャンディの甘さを思い出すし、ソーダ味のキャンディを舐めれば父の死を考えてしまう。その反射は私に科せられた枷のようなもので、自分で外すことはどうしたって出来ないし、どこかで私の自由を拘束するようなものだった。

 私の動きを鈍くするもの。

 いいものじゃない。

 そう思うことに、私は罪深いものを感じないわけにはいかない。

 母は悲劇の渦中にあって。

 私はどこまでも傍観者で、ソーダ味の甘いキャンディを舐めている。そんな私はこの春、中学を卒業し、高校生になる。母は一人で私をこの歳まで成長させ、まるで刑期を終えた受刑者のように溌剌とした顔をしていた。

「なんだかとっても嬉しそうじゃない?」私は中学校の卒業式の夜、リビングでささやかなご馳走を食べながらテーブルの向かいでニコニコと微笑んでいる母に向かって言った。

「アケミ」母は表情をそのままに、淀みなく言った。「あんたは立派に、強く、愉快に育ったね?」

「はあ? なぁに、急にそんなこと言って」私は微笑む。「卒業式で感極まった?」

「私、再婚するの、」母親は私の目をまっすぐに見て言う。「いいよね?」

「はあ!?」私は吃驚してテーブルに手を付き、勢いよく腰を上げた。「なんだよ、それっ!? 再婚って、なんだよ、本気かよっ」

「ちょっと、アケミ、そんなに動揺しないでよ、」母は軽く息を吐く。「私、まだギリギリ三十代なんだから、再婚したっていいでしょうに、まさか、文句あるわけ?」

「いや、歳がどうこうって問題じゃなくって、その」私はグラスを手にし、コーラを一口飲む。少し落ち着いた。「……あ、相手は誰だよ」

「だいたい分かるでしょうに」母はやれやれと頬杖付き、嬉しさを隠せないという風に微笑む。「だいたい分かるでしょうに、パパが亡くなってから、今の今まで私が着飾ってデートに出かけたことがあったとでも?」

「え、ちょ、まさかっ」心当たりは、私には一人しかいない。

 その時、ピンポーンとチャイムの音が甲高く響いた。

「あ、来たみたい、アケミのパパが、新しいパパが、」母は言って、クスクスと笑う。「ほらほら、出迎えて頂戴な」

 私は母を一度睨み付けてから、呼吸を整え、奥歯を噛み締め、決心して玄関へ向かった。そして案の定、心当たりの人がいた。合わせて、その人の娘も。二人は既に土足を脱いで、家に上がっている。

「こんばんわ」私は二人に声を掛ける。

「こんばんわ」と父になる予定の人は、どこか照れくさそうな顔をして言う。

「アケミは聞いたの?」彼の娘は私に寄り添い、手を取り言う。この仕草に淀みはない。「その、結婚のこと」

 彼女の手は、いつもの彼女のものよりも、僅かに暖かく、じんわりを汗を掻いている。白い頬もいつもよりも血色がよく、ほのかにピンク色をしている。形のいい控えめな唇が艶っぽく濡れている。長い黒髪から香る匂いがいつもより、なんだかきつい。もちろん、いい意味で。私は彼女の手を強く握り返す。いつも冷静な彼女にしては珍しく動揺しているのだ。私は彼女のために、彼女を守るためにいつだって、強くなくてはいけないのだ。

 なんてカッコつける。

 彼女の名前は谷崎アオハ。同い年で、中学の同級生。お隣に父親と二人で住んでいて、私とは幼馴染で、親友で、この春から通う高校も一緒で、それから、女同士だけど、私とアオハは付き合っていて、つまり、恋人同士。

 そして「ねぇ、どうやら私たち、姉妹になるみたいよ」アオハは珍しく感情を顔に露わにして言う。「誕生日は私の方が早いから、私がお姉さんよね、そうよね?」

「はあっ、何言ってんだよ? 私が姉に決まってるだろっ、常識でしょ?」

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