月の光で刺繍を入れる
花緒
第1話 『ご挨拶は罵倒から』
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
あぁ、なんて畜生な心の持ち主なの。
―― 謝罪で下げた頭の影で、ほくそ笑むなんて。
煌びやかな王室主催の舞踏会。金装飾のシャンデリア。赤いカーペットに皺1つない白いテーブルクロス。その上には、色彩豊かな料理の数々。名だたる演奏家を集め、会場には重厚な音楽が流れ、男女が仲睦まじく手を取り合って踊る。
『あら、あのお方…』
『お可哀想に、エスコートしていただける男性がいらっしゃらないのね』
『公爵のご令嬢ですもの。声をかける身の程知らずなんて、ねぇ』
壁の花を決め込んでいた公爵家令嬢のシャノンは、噂話に花を咲かせる集団に足を運ぶ。平均身長より頭1つ高いシャノンは、その高身長を威圧的に用いることにした。
「ごきげんよう、楽しんでいらっしゃるようで何よりですわ。私もお話に混ぜていただいてもよろしいかしら?エスコートしていただける方がいないものでして。」
顔を引き釣らせる三人の集団に、シャノンは悠然と上から見下ろすように微笑む。顔に見覚えがある。彼女たちは、噂好きの男爵家の令嬢だ。
「ご、ごきげんよう~。し、失礼いたしますわ~!」
「あ、あら、貴女飲み物が空のようね。とってきますわね!」
「こ、この曲とても好きですので、踊ってきますわ!」
蜘蛛の子を散らすように、三人はその場を離れていった。
噂話の中心になるのは公爵という立場以上、慣れてはいるが、ここ半年は自棄に騒々しい。
―― 原因は明白である。
会場の中央で、お花畑全開で手と手を取り合って、ダンスの型すら知らず、音楽のテンポすらも合わず、絢爛豪華な会場に不釣り合いな胸元を大きく開けたドレスを着た"胸だけ大きい"男爵家のご令嬢リリーと鼻の下をだらしなく伸ばしている私の婚約者サミュエルである。
胸が大きいだけの彼女は、私の婚約者にソレ押し当て誘惑するだけでなく、さらにその女はあの手この手で私を悪者に仕立て上げ、婚約破棄を唆しているからだ。
(他国の来賓もいる前で、なんて振る舞いなの。こちらから、婚約解消を申し込もうかしら。でもまだよ。まだ別れてあげない。)
―― 別れてくれと泣き叫ぶまでやめない。
壁の花に戻ることを決め、シャノンは通りすがりの給仕から白ワインを受け取り、手付かずの料理を摘まんだ。
(出席の名簿に名前はすでに載っているし、適当に挨拶周りでもして切り上げようかしら。)
あともう1杯開けたら、動こうとシャノンは決める。エスコートするはずの男性は、当日急な体調不良で欠席。
(リリーが手配した男だもの。何があっても驚きはしないわ)
給仕の男から赤ワインを取り、会場を見渡していると、背後から誰かが突撃するように抱き付いてきた。その衝撃で赤ワインがこぼれ、ドレスに赤いシミが全体に広がる。
「シャノン様!」
「ごきげんよう、リリー様」
空になったグラスを近くのテーブルに置き、私にわざとぶつかってきた胸が大きいだけの女性に振り向く。
「あ、あぁ!なんて、まぁ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!シャノン様本当にごめんなさい!」
「もうお暇する予定だったの。」
私の足元でリリーが膝を付いて、頭を床に擦り付ける。彼女は会場に響き渡るような甲高い声で、謝罪の言葉を連呼する。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!許して!許して!ぶたないで!お願い、ぶたないで!」
頭を繰り返し下げる動作の合間に、彼女の表情が笑いに歪み、シャノンはすべてを察した。
(胸が大きいだけの女かと思ったら、この人私を貶めて、婚約を破棄させるつもりね。)
「リリー、リリー大丈夫か!いったい何の騒ぎだい?あぁ、シャノン…なんて姿だ、みっともない。君にはがっかりだよ」
「えぇ、そう。そっくりお返ししたいわ。」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。私が悪いの!私のせいよ!だから、お願い!私を叩かないで!」
「リリー、リリーもう大丈夫。大丈夫だ。誰も君を傷付けない。傷付けさせない。もういいだろうシャノン!?」
キッとこれから元婚約者になるであろうサミュエルが、私を睨み付ける。彼の腕には泣いた振りをするリリーがすがりついている。
私とこれから婚約するであろう者同士を囲むように、人だかりが出来る。
『まぁ、なんの騒ぎ?』
『またあの二人だ』
『リリーって子、可哀想に』
騒ぎは波紋のように広がり、いつの間にか会場の演奏すらも止まってしまった。シャノンはシミのついたドレスを見下ろし、サミュエルの糾弾を聞き流す。
「もうお仕舞いだ、シャノン。僕との婚約を解消してくれ。」
「そうですわね。職人が丹精込めて作ったドレスを台無しにされたもの。」
「本当に、君は……人の心がない。」
睨み付けてくる愚かな男を、シャノンは冷ややかに見下ろす。
「人でなしを娶ろうとする人に言われたくありませんわね。…いいでしょう、この婚約解消いたしましょう」
大きなどよめきの中を掻き分けて、大柄な男性が現れる。
逞しい肉体。
褐色の肌。
異国の衣服。
漆黒の髪と瞳。
「やっと、見つけたぞ。我の女神よ。」
声すらも美しく、あまりの美丈夫さに人混みの中の女性が黄色い声を上げる。
「あの、どなたかしら?」
私を見下ろす瞳は、少年のように輝いている。大袈裟に私の手を取り、彼は恭しく跪く。
「我を踏んでくれないか?」
「いきなり、何をおっしゃってるの?」
「出来なければ、我と結婚して欲しい。」
「この状況、わかってらっしゃる?」
「お望みなら、庭にプールも付けよう。」
「貴方、馬鹿ですの?」
「くっ……ならば、別荘も付けよう。」
「訂正。貴方、馬鹿ですわね。」
『ご挨拶は罵倒から』
(婚約破棄されたのだから、申し込んでもよかろう?)
(正論だけれど、始めからやり直してくださる?)
月の光で刺繍を入れる 花緒 @HANAO_novel
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。月の光で刺繍を入れるの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます