27eme. この感情は一欠片も残さずに全部君に。(後)


「……おっしい」


 声に顔を上げると、天が立っていた。オレンジ色に染まっていたのを見て、夕日の存在に気が付いた。どれだけ俺は、考え事に集中していたんだろうか。


「帰って」と天が言った。目が赤いのは、夕日のせいじゃないんじゃないかと思った。彼女の眉間のシワを見て、二の足を踏みそうになった。


 でも、これが一度だけのチャンスだったら、俺は取りこぼしたくない。


 俺は持っていた袋を、天の前へと押し付ける。彼女の表情が、少し歪んだような気がした。


「……何これ?」


「ジャッ……相原の兄貴からだ!」


 ジャッカスさんと言いそうになって、俺は口をつぐんだ。


 誰がつけたのかは知らないが、こんなバカみたいなあだ名は今出すべきじゃない。


「……あ、ありがと」


 ドーナツを受け取った天に追い打ちを掛けるように、俺は言葉を繋げる。


「天。前にジャッ……相原の兄と、手ぇ繋いで帰った事があるらしいな」


 俺の台詞に、天は再び眉間にシワを寄せる。


「それが何? おっしいに関係ないでしょう?」


「ああ、そうだけど。俺……それ、聞いた時。こう……ここ」


 話しながら、どこかの内臓は痛んでいる。無意識に右手は心臓を抑えていた。


「なんか、ここ痛くって!」


 天は俺の話を黙って聞いていた。表情からは、感情は読み取れなかった。


 クロとは違って、気持ちを読み取る魔法は使えない。だから、せめて自分の出来る精一杯を伝える。


「今朝、天から貰った痛みに似てたんだ! だから、もし……」


 気が付いたら、目から熱いものが流れていた。声は自分でも分かるくらい泣き混じりで、格好悪くて仕方ないけれど、それでも全部伝えたいんだ。


「俺のせいで、こんな気持ちにさせてたんだとしたら……。本当に……ごめん」


 涙のせいで、彼女の顔はぼやけていた。本当は可愛くって素敵な女の子なのに、歪んだ視界がそれをまともに見せてくれなかった。


 突然、手を引かれた。


 重力に逆らうか、引っ張られるように天の方へと身体が動いた。


 手には天の感触、濁った視界のせいで彼女の顔は見えなかった。


 家のドアを開けて、突き飛ばすように天は俺を玄関へと押しのける。頭は真っ白でまともに前が見えない俺は、足がもつれて倒れそうになる。


 このまま頭を打ち付けると思ったけれど、後ろからまた引っ張られた。


 そう思った瞬間、背中全体に包まれるような温もりを感じた。


 ドアが閉まる音、俺は涙を拭ってふり返る。天が俺を後ろから抱きしめていた。


「ずるいよ、おっしい……」


 泣いているのかもしれない、天の台詞も涙交じりだった。


「そんなこと、言われちゃったら。僕は……あたしは」


 その台詞と共に、天の抱きしめる力が少し強くなった。


「もっと、好きになっちゃうじゃん。おっしいの、こと……」


「えっ」


 どういう意味か聞こうとした口を閉じて、俺は彼女の言った台詞を考えてみた。


 もっと、は取り合えず置いておいて。好きになっちゃうって、まるで好きになっちゃいけないみたいな言い方だと思った。


「好きに……なっちゃ、駄目なのか? 俺の……こと」


「…………」


 天は答えなかったけれど、身体が少し震えていたような気がした。


 彼女には言えない理由があるのかもしれない、前世とやらが関係しているのかもしれない。でも、今の俺には知ったこっちゃない。


 抱きしめた手を握って、深呼吸して。素直になれたなら、ありのままの自分見せられるんだ。


「そらっ! 俺は、お前の事、好きだ!」


 布団の中、風呂の中、最近色々考える。その履歴で、他の履歴が全部消えてしまう。この構造が恋じゃないっていうんなら、何なのか教えて欲しいくらいなんだ。好きだけを伝えるために、どれくらい勇気やパワーを使ったのかはもう分からないんだ。


「僕の……あたしの好きは、おっしいが思っているような好きじゃない」


「…………?」


 俺が思っているような、好きじゃないって何だ。


 好きに種類があるという話なんだろうか。友情の好きと、家族に対する好きだとか言うつもりか。


「じゃあ、何で。今、お前は泣いてんだよ?」


 その涙の理由は何だって思った。


 友情なんだってしたら、俺をもっと好きになっちゃいけない理由なんて一つもない。


「僕は、あたしは……前世の、クラウディアが好きな気持ちを。……おっしいに向けている、だけっ……なの、かもしれないのに……」


 嗚咽交じりで、天はそう言った。


 また前世か。


 いい加減、俺は腹が立ってきた。


 こいつもクロも、きのみさんもアオさんも。アオさんは違うか。


 とにかく、前世だか、前科だか、全裸だか知らないけれど。


 いい加減もう、うんっっざりだ。


「おっしいを、好きになるっ……資格なんて無いよぉ」


 抱きしめる天の手を振りほどいて、俺は彼女と向き合った。涙でグシャグシャの天の顔だけど、どうしようもなく愛しく感じた。


 見られたくなかったのか、天は顔を隠そうとする。俺はその両手を掴んで、彼女の唇に触れた。


 本日二回目のキスは、涙の味がしたのに。


 さっきより、心が満たされた気がした。


 沢山の愛に包まれたような瞬間に、触れられたような感覚。きっと、もっと君のことを深く知りたいんだって、気づいたら少しは臆病でもいいって思ったんだ。


「シカクなんて要らない」


 俺は目を閉じたまま、唇を離して言った。


「目に見えるものが、全てじゃない」


「…………ぷっ」


 暫くの無言の後、小さな笑い声が聴こえた。


「そっちの視覚じゃないよぉ……」


 瞳を開くと、好きな子が笑顔になっていた。


 瞬きした瞬間に、確かに彼女に恋をしたって思った。今度は正面から、俺は手を伸ばして掴む。ありったけの愛で包むつもりで、天を抱きしめた。


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