第20話 ついに現われた魔女
そこにタイミングよく、スカイプへ着信が入った。噂をすれば、ダニエルさんだ。NYCからの通信に、僕たちは何気なく応えて驚いた。なんとそこには、ダニエルさんとは似ても似つかない人物がいたからだ。
白人の若い女性だ。たぶん、二十五、六歳くらいと思われるが、毛足の長いふわふわの白いセーターに、タイトなジーンズを履いていた。あまり大柄ではないが、モデルのようにほっそりとした体型だ。髪型は少年のようなベリーショート、髪色はダニエルさんと同じ淡く輝くコーンブロンドだ。
「初めまして。今、日本はこんにちは、ね?」
「あ…日本語」
涼花は思わず、あっけにとられた。
その女性はなんと、日本語を話したのだ。
それも、意外に流暢な日本語だった。イントネーションだって、僕たちネイティブと比べて、なんの遜色もない。
「驚いた?わたし、日本に住んでいたことがあるのよ」
最近は、日本語が流暢な外国の人も多くなったが、どうしても不思議な感じである。九王沢さんの通訳なしで話せると言うのはありがたいが、何だか洋画の吹き替えを観ているみたいな気分になってきた。
「へえ、若い人ばかりなのね。お話出来て嬉しいわ」
サファイアブルーの瞳を細めて、女性は微笑んだ。
ボーイッシュな人なのかと思いきや、意外としっとりとした口ぶりの人だ。ピリオドのようなあごの小さなほくろといい、セクシーでキュート、と言うのはこう言う感じだろうか。小悪魔的、と言う形容が一番、ぴったりくるタイプかも知れない。
「あなたたちが、わざわざ日本から盗まれたレシピを捜しに来た人ね?」
僕たちは肯いた。唐突過ぎたが、なぜこの人はそんなことを知っているのだろう。
「ダニエルさんのお店の人ですか?」
女性は応えなかった。彼女はどこか、薄暗い部屋に立っているようだ。もちろんそこは、さっきまで映っていたダニエルさんのお店とは違う場所だ。シアターのような重たい紅色のカーテンが、降りているのだけが見える。
「あなたは…何者ですか?」
九王沢さんが、警戒心を含んだ声音で尋ねたのはそのときだ。
女性は謎めいた笑みを浮かべたまま、しばらく黙っていた。あれ、この人もしかして。僕たちは思わず、息を呑んだ。
「犯人から、直接話を聞かなくてもいいの?」
女性は含み笑いのまま、短くウインクした。
「わたしが魔女のカイリーチよ」
「あなたが…?」
思わず九王沢さんも、声が上擦った。
なんと、魔女カイリーチ本人の登場だ。
さすがにこれは、九王沢さんでも予想していなかったのだろう。そんな僕たちの表情を確認するかのように、カイリーチはスクリーンをのぞきこむような仕草をすると、口をOの字に丸めて驚きを表現した。
「ああ嬉しい、そんなに驚いてくれるなんて。…急いで夜中に電話して良かった!」
魔女カイリーチは無邪気に喜んでいる。謎めいた感じがするせいか、意外なあどけなさを見せたその仕草は、僕の目を奪った。むむっ!チャーミングである。
「うッ、うんッ…!」
見惚れていると、露骨に大きな咳ばらいをした人がいた。涼花だった。どっちの味方なんだと言われれば、本物の魔女より、魔女っ子涼花ちゃんの味方ですよ、浮気してごめんなさい。
と、危うく裏切り者扱いされるところだったが、このカイリーチと言う女性は、どこか人を惹きつける魅力がある不思議な人だ。魔性と言うのは、こう言うことを言うのだろうか。断じて僕が、女の子好きなわけではない、そのはずだ。
「日本のテレビの取材なのよね?」
そう言われて九王沢さんは、とりあえず自分たちの立場と取材の目的を明かした。カイリーチは僕たちの情報をある程度は持っているらしい。ころころと動く瞳を、九王沢さんと涼花に視線を走らせた。
「ふーん。で、魔女役の女優さんって言うのは、どっちなの?」
「はいっ!それはわたしですっ!」
涼花が勢いだけはよく、手を上げた。
「あなたがレシピを盗むときに、あの本にかけた『魔法』、わたしが解き明かしてみせますよっ!」
「へーえ、それは楽しみね」
カイリーチは目を丸くしてみせたあと、なぜか嬉しそうに微笑んだ。
「あの白紙のレシピの謎に挑戦するのは、あなたが初めてよ。大抵の人は、あの店で同じ仕草をして帰るだけみたいだから」
とカイリーチは、『お手上げ』のポーズをとって見せた。
そう言えば、あのレシピ本は白紙のまま、お店にあるのだ。訪れた人で、このミステリに挑戦しようと言う人も、少なくないのだろう。
「あの店では、あなたが盗んだマジックスープが名物になっていますね?」
さすがその辺り、九王沢さんは鋭く切り込んだ。
「それは現在、あなたからダニエルさんが、スープのレシピを奪い返した、と言うことになるのでしょうか?」
「うーん、それは、いい質問ね」
カイリーチは九王沢さんの方に視線を移すと、お手上げした手を花のように広げてみせた。
「そうね。どっちとも言えない、と言うことにしておきましょうか。実のところ、あのお店にスープのレシピはないわ。今も作り方は、わたしだけしか知らないの」
「ダニエルさんは、レシピを持ってない…?」
これには九王沢さんも思わず目を見張った。
カイリーチが今、明かした真実は、文句なく衝撃的だった。とっくに解決している問題なのかと思いきや、なんとまだカイリーチは店にレシピを返していないのだと言う。なるほど、お店にあるレシピが白紙なわけだ。事件は実はまだ、解決などしていなかったのである。
「ではダニエルさんはあなたから、スープを買い取っている、と言うことですか?」
さすがに九王沢さんもそこは解せないらしく、難しそうに眉をひそめていた。
「さあ、どうかしらね」
カイリーチは謎めいた笑みのまま、首を傾げた。
「そこは、ご想像にお任せするわ。ただ今も、彼はレシピを持っていない。これだけは言えるわ。あのオーナーは誰かがレシピをわたしから取り返してくれるのを、涙を呑んで待っている、ってわけ」
「そうか、だから色んな人に話すんですね…?」
図らずも涼花が言ったことを、僕も考え付いていた。となると、うわ、ちょっと不穏な展開になってきたぞ。
「では、あなたは今でも、ダニエルさんにレシピを返すつもりはないんですね?」
「そうね。魔女のレシピなんだから持ち主は、あくまで魔女じゃなくちゃ。それが当然だし、その方がしっくりくるでしょ?」
カイリーチは、全く悪びれる様子もない。なるほど、これは一筋縄ではいかなそうだ。
「でもいいわ。あなたたちが、見事、わたしがどうやってマジックスープのレシピを盗んだのかを当てられたら、これ以上、意地悪するのはやめてあげる。シンプルな話でしょう?魔女は、契約や約束事が大好きなの」
カイリーチは青く澄んだ瞳を潤ませて、微笑んだ。
キュートだとか思ってる場合じゃないぞ。だってこれは、明らかな挑発である。カイリーチの余裕も分かるゆえに余計、痛烈だった。だってこれまで三人で、これだけ考えても真相には到達しなかったのだ。
「あなたの好き勝手にはさせませんっ!」
涼花は、
空元気だが、気迫は伝わったに違いない。まるで役に入ったように、台詞がきまった。さっきまでこのカウンターの上で、駄々っ子してたとは、誰も思うまい。
「ふうん、あなた、とてもいい子なのね?実際に会ったこともないダニエルのために、そこまでしてくれるなんて」
カイリーチは、ひどく楽しそうだ。今、魔女は約束事が好きだと言ったが、こうやって人々を弄ぶために、彼女はこんな厄介な事件を惹き起こしたようにも、思えてくる。
「こうなると、後には退けませんね、すうちゃん」
と、九王沢さんが、二人の間に割って入った。
そう、九王沢さんがいたのだ。勢いだけの涼花はともかく、その鋭すぎる直感ですでに何かを掴んでいそうな九王沢さんなら、魔女相手だって十分渡り合える。
「あと一時間です。…わたしたちの手で、必ずレシピを取り返しましょう」
普段はおっとりしている九王沢さんだが、こうなると本気だ。天使の笑みを口元にたたえて、一歩も退く気配はない。
「あなたには負けません、カイリーチさん」
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