第12話 カイリーチの魔法

「そうそれよ。やっと、見つけてくれたのね」


 しかしカイリーチは、ダニエルさんがレシピを緩衝材の中にもう一度仕舞い込んでしまっても、余裕の笑みを崩さなかったと言う。


「分かってると思うけど、これは君のじゃない」


 ダニエルさんが物惜しげにページを閉じると、カイリーチは無邪気に微笑んだ。


「そうね、まだ。だから頂くのよ」



「それから本はどうしましたか?」

『元の通りさ。…ディスプレイの機材もまだ、到着していなかったし、僕も彼女以外に会わなければならない人間が、沢山いたからね』


 ダニエルさんはもう一度、エアマットの保護材で本をぐるぐる巻きにし、オフィスのデスクに放り出しておいたらしい。


「それで、カイリーチはそのまま、帰ったのですか?」

『うん、何しろまだ、開店前だ。ちょうど来客があった。入れ違いに、彼女は出て行った』

「ちなみに次のお客さんが来た時に、少しだけ本から目を離しませんでしたか?」


 九王沢さんが、聞いた。ダニエルさんは訝しげに眉をひそめた。


『ああ。それでも、ほんの二、三分くらいってところじゃないかな』


 念のため、ダニエルさんはもう一度、梱包の状況を見たらしい。しかし、目立って怪しいところはなかったと言う。


「テープは一度剥がしたら、もう一度剥がして貼り直しても跡は目立たなくなります。あなたは、そうしたことに注意は払いましたか?」

『念を入れるね』


 ダニエルさんは苦笑したが、何しろ五百万円の本だ。それを盗むと言っている人間を、警戒しないわけがない。


『女性のスタッフを呼んで、カイリーチが出ていく前に身体検査をしたよ。そのページだけ破り取られていたりしたら、それこそ困るからね』


 その際、確かに彼女は、何も持っていなかった。当然だ。どう考えても、こっちの方が不可解だが、カイリーチはページではなく、ページに載ったレシピそのものを持ち去ってしまったのだから。


『僕は万全を期したつもりでいた。…だが、夕方、ディスプレイのために梱包を解いて中を確かめてみると、あったはずのページの文字が真っ白になっていた。カイリーチはレシピを盗んでいった。まさに、宣言したようなやり方でね。僕は唖然あぜんとしたよ』

「すごい!すっごいです!うわあああっ、やっぱり!それって魔法!魔法じゃないですか!?」


 涼花は目を輝かせて、すっかり魔法を信じている。


 その様子は普通に十七歳の女の子としても、女優秋山すずかとしても、いやもーそのまま抱きしめてどこかに保管しておきたいくらいにかわいいけど、まさか本のページからそっくりレシピだけが消えてしまった、と言うどうみても不可解な現象に推理で立ち向かう人間の顔ではない。


「あなたはその件を、警察に通報しましたか?」

『警察よりもまず、弁護士を呼んだよ。彼だって、僕の話をまともに受け取らなかったからね。警察に相談なんかしたら、僕の方こそ何かドラッグをやってると疑いをかけられて、尿検査をされるだろう、と言われたよ』

「結局、立件はしなかった」


 ダニエルさんは首をすくめて、頷いた。その表情をじっと見たまま、一歩も怜悧れいりなところを崩さない九王沢さんの方が、よっぽど探偵らしい。


「それであなたは、カイリーチの行方を捜したんですね?」

『うん、弁護士にはそうアドバイスされた。…売買契約書にも、レシピを取り戻せなかったら本を返す、と言う契約になっていたしね。法律上、どんなぶっ飛んだ約束をしようと、約束は約束だ』


 ダニエルさんはさぞや、途方に暮れたことだろう。


 実はスポンサーをはじめすでに関係者には、魔女のレシピを店の目玉にすることを話してしまっているし、今から本を返すと言うことは、出来ない相談だったと言う。


『こうなったら是が非でもレシピを取り戻すしかない、そう僕は思ったね』

「そしてあなたは、レシピを取り戻した」

 ダニエルさんは、にべもなく頷いた。

「…でもお店にある本には、魔女に盗まれた空白のページが残っている」


 何ともおかしな話だ。じゃあダニエルさんは、どうやってレシピを取り戻したと言うのか。


『一つ言っておくが、僕はずるはしていない。うちの店がフィオナさんに契約不履行で訴えられている、と言うオチは、抜きで考えてもらいたい』

「分かってます」


 好奇心に目を輝かせた九王沢さんに、ダニエルさんは、言った。


『と、まあ、つまりはそれが、うちの店のミステリだってことさ』



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