投影

@mas10

投影

 ごみ箱にすら入れてもらえないごみの気持ちはどんなだろう。

 と、彼女は考えた。くだらないこと。だってごみは無生物だ。ココロなどない。もし口にしたならば、隣にいる彼は大口をあけて笑うだろう。馬鹿だな、なんて言って、笑うだろう。それでも彼女は考える。

 ごみ箱にすら入れてもらえないごみの、気持ちは一体どんなだろう。


◇◆◇


 子供達がいた。冬。暖かい日差しがあるとはいえ、息は白く染まる。そんな冬の日に、走り回る子供達がいた。風の子とはよく言ったものだと彼女は思う。自分なんて何枚も重ね着をしても寒くて、温かいアルミ缶にすがって動けないというのに。年はとりたくないものだとため息をついて、笑う。小さい子供にまぎれぬひとりの高い塔。

 男がいた。子供達のなかにひとり。彼女と同じか、少し年上の男。冬だというのに春か秋のような格好で、子供達と戯れている。夏の格好でないのが唯一の救いだな、と彼女は思った。多分彼は、半そでを着るのだったと嘆くのだろうけど。そんな寒々しい格好をされては、みているこっちがたまらない。想像しただけでも寒気がして、缶を握り締めて白い息を吐いた。

 不意に彼が振り返る。そんなに大きなため息だっただろうかと彼女は焦った。彼が楽しそうに遊んでいるのを眺めるのは楽しかったし、それを邪魔するのは不本意だったので。こちらを振り向いた彼に喜ぶ己を戒めて、彼女は焦る。邪魔をしてしまっただろうかと。

 彼は彼女の名を呼ぶ。そこに込められた親しみに、少しは面映ゆくなった。それを表すのが癪で、そっけなく用を訊ねれば、彼女も来いと言う。冗談じゃない、と彼女は言った。何せ寒いのだ。動きたくない。すると彼は笑う。動かないから寒いんだろ。動けば暖かくなる。そして繰り返すのだ。お前もおいで。

 彼女は仕方がない、と言わんばかりにため息を吐くと、億劫そうに立ち上がる。まだ仄かに温かいミルクティーの入った缶をお守りのように抱きしめ男に近付いた。その様を見て、男はおかしげに笑う。寒々しい名前をしといて、お前は本当に寒いのが苦手だね。彼女は皮肉に笑い返す。暑苦しい名前の貴方は、本当に寒さに強いわね。羨ましいだろう、と、男はあっけらかんと笑った。そうね、と彼女は苦笑した。

 にいちゃん、と声がした。ひとりの少年が彼の裾を引く。不思議そうに、それでいて好奇心に瞳を輝かせながら男を見上げていた。その女の人、にいちゃんのカノジョ? そう、楽しそうに尋ねる少年に、そんなこと聞いちゃいけないのよ、と近くの少女がたしなめた。あまりに素直な疑問に彼女はしかし微笑ましくて笑った。同時にいたんだ胸の奥のことなど、知らないふりをして。違うよ、と青年は笑った。ただの幼なじみだと。妹のようなものだと。彼女はまた、痛みに目を瞑った。

 なんだ、つまんない。なんて言って、少年はふてくされた。口に出さずともそれは窘めたあの少女も同じなようで、少しつまらなそうに不満げな顔をする。彼と彼女は顔を見合わせて、苦く笑った。しょうがないとはわかっていても、こうもあからさまに失望されたのでは立つ瀬がない。

 何となく居心地が悪くて、もうほとんど温かみなんて失くしたミルクティーを一度名残惜しげにきゅっと握り締めると一気にあおった。微妙に冷たい液体が喉を通っていく感覚に軽く体を震わせる。空になった缶を持て余して、手のなかで弄んだ。

捨てないの? と彼は言った。捨てるけど。と彼女は言った。何となくごみ箱まで歩くのが億劫で、空の缶を手のうちで転がす。不意に少年が、ねえちゃん、と呼びかけた。ねえちゃん、それ、ごみ箱に投げ入れてよ。

 ごみ箱自体は、さほど遠くはない。投げ入れるのには問題ない距離だ。見やれば、周りにいくつかの缶やおかしの屑が落ちていた。投げられはしても、投げ入れられはしなかったのだろう。放置されたままのごみ。何となく、その有様が悲しくて目をそらした。そうね。と、手元の缶に視線を落とす。


――――ごみ箱にすら見捨てられた、ごみの、


 一瞬、彼女は眼を伏せた。冷たくなった金属越しに伝わる自分の体温。中身を保有するという役目も、湯たんぽ代わりの温かさも失った、まるで意味を喪失したそれを、もう一度軽く握りしめて。

 放り投げた空き缶。少し歪な弧と茶色い鉄のふち。転がる銀色の円柱。


――――無用の用すら、与えられない、それの、


 ああ、とため息をこぼした。つまんない。へたくそぉ。なんて言って、子供達は散っていく。彼女はただ、落ちた銀色を見た。ああ。吐息ともつかぬ微かな声が漏れる。瞬きもせず、ただ。

 名前を呼ばれた。幼いころから聞いた声。生まれる前から、聞いていた、声。もう一度小さく息をついて、なに、と彼を見た。

 どうかした? と、静かな声がした。なんでも、と、彼女は答えた。彼は呆れたように笑い、ゆっくりとごみ箱へ歩いていく。そんなに、外れたのがショックだったの?

 からかうようなその言葉に仄かにかくされた気遣いに、彼女は首を振る。なんでもないの。繰り返す言葉に、彼は立ち止る。振り返り、顔をしかめる。どうしたの。同じように繰り返される言葉は真剣味を増して。

 彼女は眼を伏せる。だって、一体だれが言えるだろう。あの空き缶に、自分を重ねているなんて。誰が言えるだろう。あのごみ達に、自分を重ねているなんて。首を振り、更に重ねた。笑いながら。なんでもないの。

 彼が、痛みに耐えるような顔をした。そんなに僕は頼りない? そう言いたげに。兄を自負する彼は、妹に頼られないことに傷ついた。それこそが、その「妹」を傷つけるのだということに気付かずに。

 一瞬後に、彼は笑う。踵を返し、再びごみ箱を目指す。入らなかったなら。そういいながら、ごみ箱に近付き、さっき入らなかった空き缶を拾う。入らなかったらね。

入れればいいんだよ。穏やかに笑って、どこか自慢げに言う彼に、数秒詰まって。そして、彼女は笑った。

 ばっかじゃないの。そんなの、どんな馬鹿でも知ってるわ。笑った彼女に安心したのか、彼は笑みを深めた。にいちゃん、と、遠くで彼を呼ぶ声がした。彼は笑って応え、そちらへ行く。

 彼女は見送って、そして眼を伏せた。ちがうのよ。と、声を出さずに彼女は言う。確かに投げたごみは、入れれば済む。けれど、違うのだ。私が、「わたし」だと、そう思ったのは。




「違うのよ、貴方。だって『私』は」

「『私』はきっと、貴方が今踏んだ、そのごみ」

「認識されず見捨てられる、それなのだもの」



踏みにじられたごみが、風になびいて。

飛んで、消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

投影 @mas10

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ