ジ・エンド編
1章:すべての始まり
第1話 プロローグ
今にも崩れそうな屋根の隙間から、月の光が差し込んでいる。
恐らくここは廃工場。30分ほどの移動の後だと思ったので、そう遠い場所ではないはず。けれどこんな場所を僕は知らない。物静かなので、山の中なのだろうか。
「ねぇ!ケッコンしよぉ!」
相変わらず、この台詞が春の夜空に響き渡る。
「ケッコンして、二人だけで幸せに暮らそうよ!」
目の前に立つ少女は目の焦点が合っておらず、ふらふらとしている。右手に持つ銀の鋭いナイフがギラリと光る。死への恐怖で背中に悪寒が走る。
「おいおい、勘弁してくれよ……」
「ケッコンしてくれないと……殺すから!」
「めぐる、やめてくれ!ナイフを下ろしてくれ!」
「うるさい!」
ついに僕に向かってナイフが向けられる。
どうやって弁明すれば殺されずに済むのだろうか。いや、弁明も何も今の彼女に僕の言葉は届かないだろう。
彼女の愛は狂気に満ちている。幻想の僕が彼女の脳内に浮かんでいるだけ。
現実の僕が幻想に呑まれているのだ。――全く笑えない。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
嘆いても仕方がない。これまでの僕の行いが悪かったのだ。僕が完璧であったのなら、こんな結末には辿り着かなかったはずだ。
僕は小さく息を吐いて、迫りくる凶器を待った。
*
「なぜだ!なぜ私の言うことが聞けない!」
父は怒鳴り声を上げた。わたしもそれに負けない声で反論する。
「わたしはもう子供じゃないの!わたしがどんな選択をしたっていいじゃない!」
「お前のその選択が間違っているんだ!お前の選択は将来をダメにするんだぞ!」
「そんなの分かって――ッ!!!」
父は顔を真っ赤にして、わたしの頬を思い切り叩いた。
「お前は日本に置いていく。……ここの家にでも世話になるんだな。どうせお前もあの女と同類だったか」
そう言って父はメモ用紙に殴り書きをして、それをグシャグシャに丸めてわたしに投げつける。
「完璧でないのなら、私の前から消えるんだな」
そう捨て台詞を残して父は部屋から去って行った。
「完璧、完璧って……」
あの人は完璧を求める。経歴、家族、財力、権力……。すべての完璧を求める。そのために手段は選ばない。
人も殺す。
もちろん、自らの手ではない。暗殺者を雇って、ただ指示をするだけ。大量のドル札を積み上げて「殺せ」と一言いうだけで彼の思い通りになる。
その姿を、わたしは知っている。今何をしようとしているのか、わたしは知っている。わたしすらも捨て、彼は自分の望みを叶える。
丸められたメモを拾い上げ、それを広げる。そこには殴り書きでとある場所を示す住所が書かれていた。わたしの目的はこれで達成された。もう少し穏便に済ませる予定ではあったが、彼相手にそんなことは無謀だったのだ。
「さてっ、と!」
立ち上がって、部屋の隅に置いてあるキャリーバッグの中身を確認する。中にはノートPCが2台、2日分の着替え、それと――、小さな盗聴器がひとつ。
これは今後重要なものとなるはずだ。まあ、PCだけで十分だったか。この時代、後からいくらでも買える。
時刻を確認すると、夜の11時。こんな時間だけど、いまから移動を始めよう。早ければ早いほど彼を守ることができる。
わたしはキャリーバッグを引き連れて、ホテルを後にした。
「待っててね、兄さん」
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