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腹の中の人

 異物を口に入れるという行為は誰もが一度はやった事があるだろう。場合によってはそのまま病院に、何てことも珍しくない。俺も同じように異物を体にしまった。飲んだのは不細工な赤ん坊の人形で、思ったより簡単にのみ込めたことも覚えている。しかし、何故のみ込むことになったのか俺は知らない。もしかしたらあちらから口に入ってきたのかもしれない。

 まあそんな事はどうでもいい。ずっと前の事だし、過ぎたことを長々と話しても時間の無駄だ。問題はあの時、口に入った不細工でちっぽけな赤ん坊のフィギュアが、今でも腹の中で生き、成長しているという事なのである。

 腹の中でミルクを飲むこいつを、俺は育てることにした。おしめも替えてやったし、ゲップだってさせた。楽しい事は全部分かち合い、反抗期や思春期もうまく面倒を見た。そして気付いたとき、こいつは予想以上に大きなものになっていた。世の中の言葉で形容するなら、息子と言うしかないだろう。俺はそんな顔も見たことが無い息子と長い時間、一人の父親として比較的楽しく、そして平凡に日々を過ごしてきた。

 そんなふうに二人上手くやってきた俺達だったが、最近息子に変化が訪れた。本格的な性欲の目覚めだ。確かに息子も十代後半、年齢を考えれば少し遅いくらいかもしれない。しかし、いくら女を求められたところで、こいつは俺の腹の中なのである。

だが俺は親として、できる限りの事をやった。綺麗な女をあてがった、もちろん同じフィギュアや人形だが、俺がおもちゃ屋で何時間もかけて厳選したものだ。しかし、人形たちは俺の腹に入っていくが、あいつと違って命をもつことはない。だからあいつはいつも満足せず俺に文句を言った。

「こんな人形じゃ満足できないよ、俺が欲しいのは生きた女性なんだ」

そんな息子の不平不満を身に受けながらも俺は、また懲りずに常連となってしまったおもちゃ屋にむかう。他の解決策を探す能力を持ち合わせていなかったからだ。

 「いらっしゃいませ」

いつも通り看板娘がまだ幼さの残る声で元気よく迎えてくれた。大の大人が頻繁に人形を買いに来ても嫌そうな顔一つしないで話してくれる彼女は、俺をこの店に通わせるには十分な理由だった。あいつにあてがってやる相手がこんな子であればどれだけ幸せだろう。それを考えた時俺の頭の中で何かが変わった、覚悟が出来たと言った方が良いかもしれない、息子のために人生を生きる覚悟を。

 夜の八時、おもちゃ屋が終わる時間だ。いつも通り彼女は店を閉め裏口から出る。小さな町の小さなおもちゃ屋。その周りは、あまり頻繁に人が行き来する場所ではない。特に数本の街頭が立つだけの裏通りは、女性の一人歩きに適しているとはお世辞にも言える場所ではないだろう。

 おもちゃ屋の彼女を食ったあの日から、俺の腹の中は少し賑やかになった。俺の見立て通りあの子は息子にとって中々にいい相手だったようで。毎日、月が出ると二人の楽しそうな声が腹から聞こえてくる。日中でも結構な頻度聞こえてくることからも息子の喜びようが伝わってくる。あいつも彼女と楽しい日々を送っているようだ。

 これで俺がこいつにしてやれることも終わったかと思ったのだが、ある日腹の中でこんなことをいいだした。

「今回よこしてくれた子は可愛らしいがそれだけだ。もっと女らしい女というのも知っておきたい」

確かに一理はある。おもちゃ屋の彼女は可愛らしいが、それは現実的なものであって、雑誌のグラビアを飾る女性達のような非現実感とは遠い存在だ。しかし、それらに手が届かないのは他の人間も一緒である、いくら何でも少しわがままが過ぎるだろう。あいつの望むことなら出来るだけやってやりたいが、節度と言うものも知らなければならない歳だろう。

 腹の中からの声を押しとどめて、日課である昼下がりの散歩をしていると、懐かしい顔を見かけた、高校のクラスメイトだった女だ。高校時代何度も芸能事務所からスカウトされたという噂だったが、その華やかさは今でも変わっていない。それどころか体の成長からか、より濃い色が漏れ出している。他に高校時代と大きな違いがあるとすれば、左手に銀の輪が光っている事だが、それは彼女の魅力を半減させるどころか、逆に彼女を飾る新たな魅力の一つのようにも思えた。あいつが欲しがっているのはきっとこんな女のことなのだろう。

 子供を甘やかしてもろくな事は無いといが、それでも甘やかしてしまうのが親と言うものだろう。しかし、それにしたって俺は甘い男だ。自分の息子のために若き日のマドンナさえ手に収めようとしている。太陽の香りが漂う時間帯、目の前で彼女は眠っていた、幸せそうだ。きっと旦那さんを送り出した後の至福のひとときなのだろう。上から下までゆっくりと眺めてみるが、やはり彼女は完璧だった。彼女の顔を見ると過ぎ去ってしまった青春が、体を見るといつかに見たAV女優の豊満な肉体が思い出される、まさに理想的だった。ゆっくりとその手を伸ばした。

 現実と理想、本来両方手にすることは出来ない二つを手に入れても、あいつが満足することはなかった。少し時間を置けばあの年代の少女が欲しいと言い出し、それが終われば次は特定の職業の女を連れて来るよう希望してくる。雪国から南国まで、あっちこっちに行って女を食った。俺の腹の中はもはや美女の博物館だった。毎日のように腹から喘ぎ声が響き、俺は寝不足に陥っていた。

 「母親が欲しい。」

そんな日々が続いたある日、あいつは遂に言い出してしまった。今回の事が始まった時から恐れてはいた。子供が母親を求めるというのはある種の必然、生物として当然あるべきことだ。しかしそれが今起こってしまえばどうなるか、性に心身をゆだねた今起きてしまえば。

 俺にはやはり母親を食う事は出来なかった、産まれてから今まで、ずっと一緒に居て何があっても俺の味方で居てくれた母。それだけは俺にはおかすことの出来ないものだった。しかし腹の中の声は鳴りやむ様子を見せない

「母親が欲しい、母親が欲しい」

消し忘れた目覚まし時計のように何度も執拗に鳴り続ける。もう耐えることは出来なかった。母親の方を見ると、彼女はキッチンでヤカンを火にかけていた。ヤカンはこれ見よがしな音をたてながら濛々と白い煙を吐いている。

「どうしたの、こんな時間に」

母親が不思議そうな顔をしていた。俺はそれを尻目に、熱をおびたヤカンの取っ手をひっつかみ、それを喉に向かって傾けた。

 目を覚ますと俺は病院のベッドで寝ていた。どうやら救急車を呼んでくれたらしい。喉はジンジンと痛んだ、しかし不思議と腹の方は空っぽで、すっきりとした気分だった。

 それから数日、俺は病院で快適な時間を過ごした。悩みなんて言うものはこの世に存在しないような気すらしていた。

そして退院した時、人形は腹の中にいた。大きくなった時こいつが何を求めるかは知らないが、不思議と前より早く成長する気がした。


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