その6 金曜日

『すまない!』

『ごめんなさい!』

 リビングで向かい合った二人は、ソファに対面して腰かけるなり、殆ど同時に頭を下げた。


 依頼人と調査依頼の対象にされた妻が、である。


 俺もこの仕事かぎょうは随分になるが、こんな光景を見たのは初めてだった。


 彼らのすぐ後ろで腕を組んで立っていた俺は危うく吹き出しそうになる。


『その・・・・悪気はなかったんだ・・・・ただ君のことが心配で・・・・』

 うつむいたまま、植木氏は小声で詫びを入れる。


『いいえ、謝らなきゃならないのは私の方です。隠し立てをするつもりはなかったんですけど』

 妻の聡子も、申し訳なさそうに、同じような言葉を繰り返し、謝罪をした。


 実は聡子の家というのは、祖父の代から続いていた『掏摸』を専業とする一家だったのである。


 何でも祖父は、かの有名な”仕立て屋銀次”(明治時代から大正時代に活躍した伝説の掏摸の大親分)の孫弟子にあたる人だとかで、その腕を持って一家を成し、一時は都内だけでもかなりの羽振りだったという。

 だが、父親の代になってやり方が変わってきた。いや、父親がというより、父親の子分達がというべきだろう。


 彼女の父親は早くに身体を悪くして、掏摸の現場から退いていて、一家のことは一の子分に任せきりだった。

 ちょうどその頃、都内も物騒になり、外国人の『集団掏摸グループ』が跳梁するよになった。


 奴らは手段を択ばない。時によっては暴力も辞さないというやり口だ。


 子分たちは色めきたった。


”目には目を、歯には歯をだ。シマを守るためなら何でもしなきゃならねぇ”とばかりに、”その筋”並みに武装までするようになった。


 聡子はそんな光景を見ていて、つくづく掏摸の世界にいることが嫌になった。そこで高校を卒業し、父親が亡くなったのを契機に、彼女は家を離れた。(母親は彼女が小学校六年の時に、既に他界していたという)

 

 そうして彼女は何とか自立して生きるために、奨学金の審査を受けて合格し、そのお金で短大に入学し、そこで栄養学を学んで栄養士の資格を取り、亡父の知人だったレストランの経営者・・・・つまりは植木仁の叔父にあたる人・・・・の店に勤めることが出来たという訳だ。


 ところが、彼女自身は如何に否定しようと、親から受け継いだ”血”というものは嫌でも残る。

 それがつまりは”掏摸としての才能”という奴だ。


 あの連中は父の一の子分だった連中が新しく組織していた武装掏摸グループの一団で、どこでどうやったのかは知らないが、彼女の才能に目をつけ、そして”自分たちのために働いてくれないか”と迫ってきた訳だ。


 無論彼女は拒否をした。


 もう日陰者の世界に戻ることはしたくない。

 やっと結婚もし、人並みの幸せを得ることが出来たのだ。


 しかし、彼らは執拗だった。

”お嬢さん(こう呼ばれるのも彼女は嫌いだった)のご亭主は前歴をご存じないんでしょう?ばらされたくなかったら、一度だけでもいい、言うことを聞いちゃくれませんか?”


 彼女は一度だけ言うなりになった。

 しかし二度目は嫌だと散々断ったのだが、向こうは諦めない。

 それが、昨日のあの騒ぎに繫がったという訳である。


『よ、よかった。』


 植木氏はほっとしたようにため息をつき、ようやく笑顔を見せた。


『そんなことなら、僕は全部忘れられる。過去なんかどうでもいい。君が僕を裏切っていなかったというのが分かっただけでも』


『あなた・・・・』聡子は言葉を詰まらせ、ハンカチで目を抑えた。


『よう、ダンナ、終ったかい?』


 俺がシナモンスティックを咥えたのを見ると、室内をあちこちごそごそやっていたジョージがリビングに顔を覗かせた。


『ああ、済んだ』

『こっちも済んだぜ』

 彼はそう言って俺にウィンクをし、手に持った袋を見せた。

『では、私たちはこれで失礼します。後はご夫婦でゆっくりとなさってください。ああ、請求書はここへ置いておきますので、ギャラの方は振り込みでも構いませんが?』


『い、いえ、ちょっと待ってください。』植木氏はそう言って立ち上がり、手提げ金庫を持ってくると、中から札束を取り出し、茶封筒に入れて、

『足りますか?』という。


『十分です。』


 俺はそいつを受けとり、懐にしまった。

『では、今度こそ本当に』


 俺は軽く頭を下げ、部屋を出て行った。


『あれっぽっちの仕事で、ずいぶん稼いだな。ダンナ?』


『あれっぽっちだと?命を的にしたんだぜ?』


 運転席からジョージが軽口を叩き、俺もそれに応じた。


『まあいいや、俺の方にも分け前はあるんだろうな?』


『当たり前だ。苦労には報いる。それが俺の主義さ』

 




 


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