使用人かく語りき

結城暁

第1話

 私はバルバラ・ユンカース。

 男爵家の生まれで王宮で使用人として働いています。

 表情筋が仕事をさぼりすぎて家族に怖がられ、同僚から毎日のように「怒ってる?」と聞かれる私ですが、この仕事は天職です。

 これも王宮の風変りな規則のおかげです。

 風変わりな規則。それは“王族の前では無表情でいること”。他の国の王宮ではまず聞かないであろう、変わった規則です。

 なぜこのような規則ができたかと言いますと、なんでもその昔にとてもかわいらしい使用人がいて、笑顔ひとつで周囲をメロメロにしていたらしいのです。

 そしてそれは王族も例外ではなく、使用人に恋をしてしまった王族が身分が違いすぎるのに結婚する!! と言い出してしまったのです。

 その無茶を言い出した王族と使用人はめでたく結ばれたそうですが、いろいろとごたごたが起きて面倒だったらしく、当時の王様が今後は無用の騒ぎが起きないように、とこのように風変わりな規則を定めたのだそうです。

 王族の前で笑ってしまったりすれば即職場を異動しなくてはなりません。王族付きの使用人はお給金が良いものですから、皆さん必死に無表情を貫きます。うっかりが起きないように業務中はおろか王宮に居る間は無表情でいる方も珍しくありません。

 それゆえ、表情筋がまったく仕事をしない私にとっては天職なのです。今では同僚に表情筋の怠けっぷりを羨ましがられるほどです。いぇい、やったね。

 現在私は第三王子のヘルムート様付きの使用人最長記録を日々更新しております。

 ヘルムート殿下は見目麗しく、穏やかな人柄を持ち、物腰柔らかな方ですので、殿下に微笑みかけられるとつい、つられて笑ってしまう者が後を絶たず、使用人がよく入れ替わってしまうのです。

 ですから、いつでも人手不足で忙しい職場でもあります。その分、お給金が良いのですけれどね。

 つい先日も、殿下の笑顔につられて微笑み返してしまった子が異動になったばかりです。

 今期の採用枠が全滅してしまったので、来期の新規採用者が入ってくるのを待つしかありません。

 殿下は今城にいる女性使用人を全員笑わせてしまっているので、私以外女性使用人がいません。既婚者やご年配の方なら再配属しても良いと思うのですが、万一を考えて再び配属されることはないそうです。

 もういっそ、王族側にも笑うのを禁じてくださればいいのに。侍従長様に訴えましたが難しそうとのこと。

 第一王子や第二王子が面白おかしいことをしでかしても笑ってはいけないなんて、どんな我慢大会でしょう。本当に表情筋が怠惰すぎるおかげで助かりました。

 眼前にどんな光景が広がろうとぴくりとも動きませんからね。

 絶世の美女と見紛うばかりのヘルムート殿下に微笑みかけられても、やさしい言葉をかけられても、まったく。これっぽっちも。

 心の中ではギャーギャーと騒いではいるのですよ? 情緒がない訳ではありませんし、私だって美人さんは大好きですから。

 でも表情かおには出ません。きっとお母様のお腹の中に表情筋がやる気を置いてきてしまったのでしょう。

 ヘルムート殿下の使用人は執事と雑用係が私を合わせて五人ほど。すくないですね。

 それもこれも殿下が美人すぎるせいですね。老若男女構わず魅了してしまうものですからいつまでたっても人手不足が解消されません。

 私も他の使用人も朝から晩まで忙しくしております。

 書類の整理にお茶入れ、掃除に調度品のお手入れ、着替えのお手伝い、予定の調整、来客のおもてなし、買い出し、御用聞きなどなど。

 お部屋も広く、手抜きのできる仕事もなく、同じ殿下付き使用人をしている同僚とお茶休憩を取る暇もありません。

 本当、もう少しくらい人手を増やしてもいいと思うのですけれど。

 今日も今日とて殿下に割り当てられた執務室を掃除していますと、来客がありました。第二王子のエアハルト様です。

 第一王子のゲーアハルト様と双子の兄弟で、日々王位を巡って競い合っていらっしゃいます。王位争奪といっても血みどろの戦いではなく、すごろくやじゃんけんなどの平和的な方法で。

 掃除の途中だったのでアポイントメントもなしに訪ねて来られるのはやめていただきたいです。おもてなしの準備にだって時間はいるのですよ。


「邪魔をするぞ。ヘルムート」

「いらっしゃいませ、兄上」


 使用人は目立たぬようすみで作業します。

 お客様のおもてなしが最優先なので、掃除は中断してお茶を淹れます。

 お茶を蒸らしているうちにお茶菓子を用意します。

 このお茶菓子はおやつに食べようと思っていた城下町の人気店のものです。

 美味しそうな新作だったので休憩時間にいそいそと買ってきた一品ですのに、残念です。食べたかった。


「失礼いたします」

「ありがとう、バルバラ」

「ああ、美味そうだな」


 いちいち使用人に礼など不要なのに、ヘルムート殿下は律儀な方です。

 お茶とお菓子を出して掃除の続き――、といきたいところだけれども来客中にそんな失礼はできないので壁際に立って控えている。お茶のお代わりを注ぐ人間も必要ですしね。

 ぶっちゃけてしまうと暇で仕方ないのですが、眠さで船をこぐような失態はいたしません。けれどもやはり何もしないでただ立っているというのはもう暇で暇で仕方がありません。

 王族の話に聞き耳を立てる訳にもいかないので、頭をからっぽにして右から左に聞き流し、タイミングを逃さずお茶のお代わりを淹れる。

 前々から思っていたことですが、この仕事は自動人形でもできますね。人間である必要性がまったく感じられません。

 妙な決まりのせいで人手がいつでも足りないのですから、もう王族の世話はすべて自動人形にすればよいのでは? あらやだグッドアイデア。異動者も出なくなりますし、侍従長に提案しておきましょう。雑用は人形に任せて仕事仲間との連携を深めるためにお茶を飲める時間くらいは取りたいものです。

 私以外はほとんど護衛みたいなものですもの。一緒に買い出しにいったりする仕事仲間がほしいです。休憩時間の談笑とか憧れるわー。

 殿下付きになってから城で話すのは殿下だけと気付いてちょっと落ち込みましたもの。

 エアハルト王子の大口を開けたバカ笑いを見ていると一時になりました。やったー!

 労働時間はまだ続きますが、ヘルムート殿下付きの仕事はここまでです。

 末子の第一王女、ヒルデ様付きになる時間です!

 ヒルデ様は持って生まれた強すぎる魅了能力を制御できず、老若男女構わず魅了してしまう結果、使用人最多異動人数を叩き出し、それは今も更新中です。

 唯一ヒルデ様の魅了を受けても微笑むだけですんだ私と魔術耐性に長けた宮廷魔術師達の皆さんと交代でお世話させていただいています。

 本来なら微笑んでしまった私も異動対象なのですが、そうするとヒルデ様の周囲に使用人が一人もいなくなってしまうので特例ということで異動は免れました。さすがに魔術師の方々より掃除ができますので。

 普段は怠ける私の表情筋がうっかり仕事してしまうくらいヒルデ様はかわいらしい方なのです。私としてはヒルデ様の専属になりたいのですが、異動願いは受理されません。

 ヘルムート殿下も人手不足ですものね。残念です。

 そろそろ殿下にもお見合や婚約話が持ち上がるころですから、殿下にお相手が見つかる前に異動したいのですが。いざとなったら表情筋にムリヤリ仕事をさせて異動しましょう。

 そそそ、とひっそり殿下達に黙礼をして部屋を出ます。ご歓談の邪魔をしちゃいけません。

 廊下で護衛兼使用人のレオナルト・シャハトと引継ぎをして交代です。


「お疲れ様です。後はよろしくお願いします」

「了解。気をつけてな」

「はい」


 私と入れ替わりに部屋へ入ったレオナルトが扉を閉じる音を聞きながら、ヒルデ様のもとへ向かうのでした。


***


「相変わらず見事な無表情だ。仮面でもつけているかと思えるほどだな!」

「何度も言っていますがあげませんよ」

「ハハハ、わかっているわかっている。ヘルムートは心配性だな」


 エアハルトは笑ってソファーの背もたれに体重をかけた。


「それにしても黙礼だけか。無駄口を叩かない使用人の鑑だな」

「……」


 不機嫌に眉をひそめ、ヘルムートはエアハルトを見た。睨んだと言われても仕方のない鋭さだった。

 バルバラと入れ替わりに部屋に入ってきたレオナルトはヘルムートとエアハルトのやりとりに困り眉で苦笑いを浮かべる。

 いつも澄ました顔の弟をからかえるものだから、エアハルトとゲーアハルトはバルバラに興味津々なのだった。

 そんな事は露知らず、バルバラはヒルデとお茶を飲んでいた。


***


 ヒルデ様は今日もゼアゼアズュースとてもかわいい

 ふわふわくるくるの髪に、つるりとした玉子肌に、宝石よりも美しい瞳、とまるでお人形さんのようです。

 いえむしろ天使。妖精。魔法の鏡があれば世界一を認めるかわいさ。

 生まれてこのかた仕事をサボりにサボっていた私の表情筋もこの通り。薄っすらと笑んでしまうほどおかわいらしい。

 本当に、残念です。ヘルムート殿下の周りに人手が足りていればヒルデ様専任の使用人になれますのに。


「ヒルデ様、何かご不便はありましたか? 魔術師の方々も頑張ってくださっているそうですけれど、元々が研究一筋でやってきたものだからどこかしら至らぬのでは、と心配していらっしゃいました」

「まあ」


 ヒルデ様は私の言葉が意外だったようで、口元を隠して声を上げた。うん。かわいらしい。


「皆様、大変よくしてくださいますわ。申し訳ないのはわたくしのほうです。わたくしが自分の能力を制御できないばかりに迷惑をかけてしまって……」

「そんな、顔を上げてくださいませ、ヒルデ様。迷惑だなんて思ったこともございません。

 みな、ヒルデ様にお仕えできて幸せですわ。だって好きなお方の傍にいられるのですもの。“愛しい御方よ、貴方の為ならば我が剣は悪竜の首すら断ちましょう”ですわ」

「ふふ。この間の劇ですわね」

「ええ。勇者の恋物語に出てきた騎士のセリフですわ。かっこよく決めたわりにあっさりと退場してしまったものですから、印象深くて」

「本を読んでわかってはいましたけれど、残念でしたわね」

「役者の見目が良かったから余計にでした。多くの観客もそう思ったらしく、その後騎士を主人公にした物語を作っている最中だとか」

「まあ、公開されたらまた一緒に行きましょうね」

「ぜひ」


 ヒルデ様と話しているとふわふわ、ほわほわとぬるま湯の海に漂っている気分になります。これが制御のきかない魅了魔術にかかっている状態らしいのですが、私にはよくわかりません。今日もヒルデ様がおかわいらしいことしかわかりません。

 ただ、ヒルデ様に触れたいと思うと完全に魅了の虜になっているらしく、その際には呼び鈴を鳴らして魔術師の方々に連絡する手はずになっています。幸い、まだ呼び鈴を鳴らしたことはありません。

 いつでも陽の光が降り注いで、輝いているように見えるヒルデ様を見つめながら私の口角は知らず知らずのうちに上がっているのでした。


***


 和やかに談笑するヒルデとバルバラを木の影からこっそりのぞいていたヘルムートはその美しい顔を歪ませて、歯ぎしりをせんばかりに悔しがっていた。


「殿下~、落ち着いてくださいよ~? バルバラも褒めていたおキレイな顔が台無しですよ~」

「そ、そうか。気を付ける」


 素直にレオナルトの忠告を聞き入れたヘルムートは手鏡を取り出し、自分の顔の造形をチェックした。

 物心つく前から見慣れている顔だが、バルバラが褒めていた、と聞くとかっこよく見えてくる。

 手鏡相手に己の顔をこねくり回す主人の従者を長いことやってきたレオナルトはヘルムートに気付かれない様、ため息をついた。

 ヘルムートが本気になればどんな女性でも選り取り見取り、手中に収め放題なのに、どこをどう間違って使用人のバルバラに惚れてしまったのだろう。

 しかも肝心のバルバラ本人はヘルムートにまったく心を動かされているように見えない。異動がなくて便利だなと思っていた鉄面皮にこんな落とし穴があったなんて。

 前途が多難すぎて頭を抱えたくなるレオナルトだった。


 ヒルデ様付きの使用人としての務めをきちんと果たし、後任の魔術師の方に引き継いだ私はヒルデ様の可愛らしさを反芻しながら自室へと足を運んでいました。

 鼻歌を口ずさんでしまいそうになっていた私に声がかかりました。聞き慣れたヘルムート殿下の声です。鼻歌を歌い出す前でよかった。


「バルバラ、このあと少しいいかな。話があるのだけれど」

「かしこまりました」


 深く礼をして私は心の中でガッツポーズをしました。目の保養と残業代ゲットです。

 殿下の自室に案内されたので、いつも通りお茶を淹れようとしましたが、殿下に止められました。


「私が淹れるよ。君が淹れてくれるお茶のように美味しくはないけれど、もう君の業務は終了してるからね。」

「……それではお言葉に甘えさせていただきます」


 残業代が出ない……だと?

 ですが王族に誘われたこちらは断れませんし? あとで侍従長に相談してみましょう。

 殿下がお茶を淹れているので暇な私は部屋の扉を開けておきました。

 男女二人きり、しかも相手が使用人とか、殿下にいわれのない噂が立ってしまいますからね。王族のプライベートなど王宮ではないようなものです。

 いつもなら忘れずに開けておく殿下ですのに、今日はどうなさったのでしょう。

 細かいことに気が回らないくらい重大な悩み事がおありなのかしら。

 これは心して聞かなくては。ええ、たとえそれが恋の悩みであろうと覚悟はできていますよ。バッチリアドバイスしますとも!


「どうぞ。口に合うといいんだけれど」

「ありがとうございます」


 お茶を置いた殿下は私が開けた扉を閉じました。うーん、これはやはり恋の悩み相談なのでは? 双子王子達に知られればおちょくられるのは間違いありませんからね。

 しばし無言でお茶を飲みあい、難しい顔をした殿下の様子をうかがっていると、幾度か躊躇するように口を開閉させたあと重たげに言葉を紡がれた。


「実は……」

「はい」

「……その……」

「はい」

「………私は……」

「はい」

「…………兄上のどちらかが王になったら田舎に隠居しようと思ってるんだ」

「まあ」


 どんがらがっしゃんと扉の外で掃除用具か何かが派手に転がる音がしました。ドジっ子な新人がまた転んでしまったのでしょうか。

 様子を見に行きたいところですが、なぜか肩を落として打ちひしがれている殿下を放っておけません。


「それは存じ上げませんでした。殿下ならば兄君様達を助け、内政でご活躍もなされるでしょうに……。残念ではありますが、殿下がお決めになったならば仕方ありませんね……。殿下がご隠居なさる日まで、誠心誠意お仕えさせていただきます」


 ああ、なんてこと。まさかご隠居をお考えになっていらしたなんて。

 殿下がご結婚なさっても、時折城で見かけるくらいはできるものと思っていましたのに。まさか王城からいなくなってしまわれるなんて。

 王位が決まるまでどれくらいあるかわかりませんが、一日一日を最終日と思って………?


「あの、殿下……? どうかなさいましたか……?」

「いや……。たいしたことはないよ……。

 まさかここまであっさり見送られるとは思わなくてね……」

「え?」


 殿下は少しばかり顔色を悪くして、どんよりとした雲を背負っている。

 何か変な発言をしてしまったのかしら。

 思い返してみても主人の夢に共感を示して、成就を願う一般使用人として正解の態度だったわよね?

 あら? 扉の向こう側から不穏ではないけれど、尋常ならざる念を感じますね……。確認したほうが良いかしら。


「バルバラは私が城を離れて隠居しても良いの……?」

「良いも何も、殿下がそうなさりたいのなら、それが一番でございますから」


 そこに使用人個人の感情が入る隙間はない。

 殿下がご結婚なさったとしても、城勤めを続けていればお姿を拝見できると思っていましたからショックですが。隠居なされれば目にすることすらできなくなりますもの。

 こっそり使用人達の間で売り出されている殿下の姿絵を買っておかないと。

 一枚……、いいえ、万が一の状況を考えて三枚は買っておきましょう。

 寝る前に一目見ただけで幸せな眠りにつけるような一品を買い求めなくては。


「バルバラ……。バルバラは私のやることを支持してくれる……のかな?」

「もちろんでございます、殿下」


 だって私使用人ですし。

 殿下が望まれて、私が実行可能ならば出来得る限り、力の限りがんばりますとも。

 先程の地の底に落ちたかのような陰りを帯びた表情とは打って変わって、殿下は本来の明るい輝きを取り戻しました。

 うん、眩い。やはりヘルムート殿下はお美しいですね。見惚れてしまいそうです。表情筋はちっとも動きませんが。


「そ、それなら、私の願いを聞いてもらってもいいだろうか……?」

「ええ、どうぞご随意に」


 業務命令ですね、いくらでも聞きますとも。お給金をもらえて麗しの殿下からの評価も上がるなんて、一石二鳥ですね!


「私が隠居した暁には私について来てくれないか」

「……!」

「私のこういった考えを話すのはこれが初めてだから、驚くのも無理はない。だが、私はずっと想っていたんだ」


 殿下の言葉が続いていますが、感動のあまり内容が頭に入ってきません。まさか殿下にそこまで思っていただけているなんて……!

 年中仕事放棄している表情筋も小躍りを始めそうなくらい嬉しさがこみ上げています! ――やはり小動もしないのですが。

 さすが、呪いでもかかっているのかと疑われるだけはありますね、私の表情筋。

 表情は変わりませんが、さすがに涙はこぼれそうです。

 実は涙腺が弱いのです。感動ものの粗筋を聞いただけでウルウルっときてしまいます。


「ありがとうございます、殿下。殿下にそこまで言っていただけるなんて、使用人冥利につきます」

「そうか、喜んでくれ……使用人?」

「殿下が私の仕事ぶりをそこまで評価してくださっているなんて、光栄の至りでございます」

「え」

「殿下にそこまで言っていただけるなら、ご隠居先にも喜んでついてまいります。殿下がご結婚なさる日まで精一杯お仕えさせていただきます!」

「いや、あの……」


 なんだか部屋の外がいよいよ騒がしくなってきました。

 ゲーアハルト様か、エアハルト様の声で「ヘルムートのバカ!」と聞こえましたよ。何をしているんでしょう、あの双子。

 注意してこようかしら。

 席を立ちかけた私の耳に殿下の苦しげな声が届きます。

 まあ、どうなさったんですか、殿下。まるでしなびたナスのような顔色に!


「大丈夫ですか、殿下。顔色が頗る悪うございますよ。あたたかなお茶を淹れ直しましょうか?」


 そうすれば席を立つついでに外に居る不審者達に注意してこれますし。


「いや……。いや……。大丈夫だ、なんの問題もない。座ってくれ、バルバラ。とりあえずついて来てくれるならそれでいいんだ。……私の想いは伝わってなくとも……一緒に来てくれるなら……」


 息も絶え絶え、といった様子の殿下がもごもごと呟きます。小さな呟きすぎて後半はさっぱり聞こえません。

 そんなに体調が悪いのかと背中をさすっていますと、殿下の顔色が少しばかり戻ったので安堵のため息がもれました。

 もしや殿下はご自身が部下に慕われていないと思い込んでいらしたのでは? それで私が隠居先についてこないかもと心配していらしたのでは?


「顔色を悪くするほど心配なさらなくても、殿下はちゃんと使用人達に好かれてます。私を含め、一同二つ返事で殿下に付いて行きますよ!」

「あ、ああ。ありがとう、嬉しいよ……」


 ぐったりと、疲れた様子の殿下に追い打ちをかけるような笑い声が部屋の外から響いてきます。双子のどちらか、あるいは両方なのかはわかりませんが、端麗な殿下の眉間に皺が寄ってきていますので、バカ笑いを今すぐ収めてくださらないでしょうか。笑いの沸点が低いのですよね、あの双子。


「今ほど魔術鍛錬を死ぬ程しておけばよかったと思ったことはないよ……」


 まあ。殿下から殺意にも似た物騒な雰囲気ものが。双子の笑い声が癇に障るのでしょうか。ご隠居なさりたいと仰ったのは兄君達に気を使われたからなのだと思ったのですが。

 昔からこの国の王位は魔力量の有無で決まります。国王専用の魔道具は膨大な魔力がなければ触れもしないので、魔力量で後継者を選ぶのです。ですから多ければ多い程王位につける確率が上がります。

 現在魔力量はAからFランクに区分されていて、国王ともなれば規格外のSランクに魔力量が達していることが条件で、双子はAランク、殿下はBランクです。

 王族は生まれた時点でCランク以上の魔力量であることが多いです。

 魔力量は鍛錬で上げることが可能で、本人の資質や努力により一から三ランク上げるのが可能とされています。中にはFランクからAランクまで魔力を上げた冒険者もいたのだとか。

 魔力量が高ければ魔術の威力も当然上がります。初級の攻撃魔術で丘を消し飛ばした国王の伝説が残っているくらいです。この国の王の魔力量は防衛にも必要不可欠なのです。

 殿下も鍛錬して魔力量を増やせばSランクに達することができるかもしれません。

 しかし、そうなると王位争奪戦をしなくてはならなくなりますものね。兄君達のことを慮って身を引かれるのですね、殿下……。

 ちなみに魅了能力が暴走してしまうヒルデ様の魔力量はCランクですが、天性の魅了能力がEXけいそくふのうのためブーストがかかってしまうそうです。おいたわしいことです。

 王族のほとんどが持っている魅了能力ですが、魔力量ほど重視してこなかったようで、遺伝してもランクC以下が多いそうですのに。私の表情筋が反応するのもやむなし、ですね。それでもわずかに微笑むだけですむ表情筋の怠惰さに呆れるばかりです。

 ああでも、殿下はBランクの魅了能力をお持ちだと聞いたことがあるような。

 魔力を高めたとしてもヒルデ様のように無意識に魅了をかけてしまわれるかもしれません。それを危惧しての隠居なのでしょうか。殿下なら制御できそうですが。

 さて、そろそろ部屋の外に居る輩達にお灸をすえなくてはなりませんね。


「殿下、少々失礼いたします。食器はそのままにしておいてください。あとで片付けますので」


 モップ片手に、いざ掃除です!


***


 ヘルムートは冷めてきた紅茶を口に含んだ。

 やはりバルバラの淹れてくれた茶の方が美味かった。


「お掃除魔術、掃き飛ばし!」

「ハハハ、やるなバルバラ! こちらは王様魔術従者ガードだ!」

「王になるのは俺だぞ、ゲーアハルト! 王様魔術王冠ビーム!」

「ふざけてないでとっとと歯を磨いて就寝なさいませ! 人の部屋に聞き耳を立てるだなんて王族としてどうかと思われます!」

「まだ風呂に入っていないから寝るのはムリだ! 残念だったな!」

「聞き耳など立ててないぞ! たまたま耳に入れただけだからな!」

「屁理屈を並べ立てるのもおやめくださいませ!」


 廊下からはなんとも楽しそうなやりとりが聞こえてくる。

 ヘルムートはだらしなく机にのっぺり広がった。まるでのんきに昼寝をする猫のようだったが、猫の様な微笑ましさは欠片もなく、ただ悲愴さだけがある。


「レオナルト……」

「はい」

「脈ありだと言ったよな」

「はい」

「どこがだ。死にたての魚のほうがまだ脈があるんじゃないか」

「恐れながら申し上げますと、殿下。まずバルバラの顔色を読めるようになってください。殿下に一緒に来てくれと言われた時の彼女は恥じらってる顔をしてましたよ。観察眼が曇り過ぎでは?」

「読心能力持ってるやつが無茶を言うな!」


 美貌台無しの駄々をこねるヘルムートにレオナルトは冷めきった視線を向ける。付き合いが長く、幼馴染と言っても差し支えない間柄だが、幼児退行する幼馴染の面倒を見るのは辟易していた。


「だいたい告白ならもっと素直にわかりやすい言葉で仰ればよろしいではないですか。使用人相手に隠居するからついてきてくれと言ったって愛の告白とは思えませんよ。性的な意味で君が好きだとか言ったらよろしいでしょう」

「それ、変態ぽいぞレオナルト……」


 ジト目でレオナルトを睨むヘルムートだが、思うところはあるようで、すぐに視線をそらした。


「……そんなこと言って断られたらどうするんだ」

「美貌のわりに臆病ですよね」


 断られるわけないのに、とレオナルトは肩をすくめた。


「私にヒルデと同じEXランクの魅了能力があれば……。魔力量をSまで増やしてみるか……?」

「国が滅びちゃいますよー」


 ヘルムートが秀逸な使用人の一人としてしか認識していなかったバルバラに恋心を抱くに至ったきっかけは、ヒルデに魅了されて微笑む場面を見てからだ。

 あのほのかな、星が瞬くかのような笑みをもう一度見たいと、バルバラを目で追っているうちに細やかな気遣いや所作に気付いて、恋をしていた。

 しかし、バルバラは王族の前で無表情でいること、という変わった規則のある王宮で笑うことはおろか、表情すら変えることがない。 唯一の例外はEXランクの魅了能力を持つヒルデの前だけだ。

 本人曰くの表情筋の仕事放棄に加え、魔術耐性Aランクを持っているが故に、ヘルムートの魅了Bランクでは微笑ませることができないのだった。

 読心能力のあるレオナルトからすれば、互いに憎からず思いあっている仲なのに、なぜこうも上手くいかない、と歯嚙みしている。

 扉の外ではまだバルバラと双子王子達のじゃれ合いが続いていた。


「いいな……」

「殿下も混ざってくればいかがです?」


 いつでも格好良い第三王子のイメージを守るためにヘルムートは参加しないだろう、と思いつつ、レオナルトは一応提案してみた。


「そうする」

「はいはいそうですか……えっ?!」


 目の据わったヘルムートがフラフラと覚束ない足取りで扉に近付く。楽しそうなバルバラたちのやりとりに相当追い詰められていたようだ。


「お? ヘルムート、お前も参加するのか?」

「ハハハ! お前が参加するのは珍しいな!」

「「おれは嬉しいぞ、遊ぼう!」」

「もうっ! お二人とも、ヘルムート様が参加なさるわけ――」

「水魔術で水球を作って……」

「「ふんふん」」

「水球を兄上達の頭にセットします」

「「ガボー?!」」

「ヘルムート様、お止めになってください! 殿下達が死にます!」

「バルバラがそう言うなら」

「ゲホッゲホッ! ヘルムート、お前、お遊び中に殺しにかかるなよ……!」

「ゲッホ! お前に遊び心はないのか? うっかり死ぬところだったぞ……」

「ハハハ、兄上達がそんな簡単に死ぬ訳ないでしょう」

「ハハハ、今はその信頼が怖いぞ、ヘルムート」

「ハハハ、俺達に何をするつもりだヘルムート」

「いやだなあ、何もしませんよ」

「目が笑ってないぞ、ヘルムート!」

「殺意が見えてるぞ、ヘルムート!」

「いいですか、兄上達。兄上のどちらでもいいから早く王位を継承してください。そうすれば私がさっさと隠居できるので」

「「えー、なんだよそれ羨ましい!」」

「田舎でのんびり隠居とか!」

「生活保障のある隠居とか!」

「「憧れるなー!」」


 オイ国王候補共。憧れるんじゃないよ。


「それでバルバラも一緒に来てくれると言ってくれたので! ちょっかいは出さないでいただきたい!」

「「えー」」

「いーなー。嫁さんゲットかよー」

「俺達もそろそろ探さないとなー」

「よっ、嫁とかではなく! 人の話を聞いてください!」


 レオナルトは何もかもに呆れた狐のような目で遠くを見た。

 双子を相手している場合じゃないぞ。表情筋はぴくりとも動かないが、頬と耳を真っ赤に染めたバルバラが後ろに居る。殿下、気付け。

 それを気付かせるべくレオナルトは歩き出した。

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使用人かく語りき 結城暁 @Satoru_Yuki

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