第12話 告白
気がつくとうっすらと明るくなっていた。
遠くで車の走る音がする。
自分は車を降りてカセットコンロを取り出し今日の朝ご飯の準備をする。
今日もいつもと同じトーストだ。
昨日ちょうど近くに無人の玉子販売機があったので、そこで新鮮な卵を買った。
それを目玉焼きにしようと思った。
「・・・考えれば今日でもう彼女と四日目か。」
まだ空に明るく輝いている明けの明星を見ながら、ふとぼんやりと考えていた。
彼女はどうやらもう起きたらしい、車の様子でわかる。
暖かいミルクティーでも届けてあげようと、飯ごうの蓋で湧かしたミルクにそのまま砂糖とティーパックをいれて彼女に持って行こうとした。
びっくりした
「・・彼女がいない!!」
自分は周囲を見まわした。
冗談じゃない。
このへんは見渡す限りのカルスト台地、しかも本州でもっとも人口過疎にあえぐ土地なのだ。
ここから一人でどこか人のいるところへ行こうと思っても、女性の足で半日かかるだろう。
この気候で雪がふったらどうする?雨がふったら?
携帯用の双眼鏡を取り出して周囲を見回した。
やはりいない。
滞在していた駐車場のトイレにも行ってみたが、やはりいる様子がない。
そうこう探しているうちに、彼女は近くの石の傍らに座っているのが見えた。
ちょうど陰になっていて見えなかったのだ。
昨晩あんなことがあったばかりだから、彼女は自分を見限ってどこかへ行ってしまったのかとも思えたが、自分は自分でも異様に感じるほど鼓動が増していた。
それはそうと、毛布だ。車に毛布をとりに戻る。
カルストの石の傍らに座り込んでいる彼女に毛布をかけた。
「・・寒いでしょう?車に帰りましょう。」
彼女は無言だった。
車に載って、エンジンをかける。
やはり簡単にはかかってくれない。
何度目かに、やっと・・ブルルルルルという車体全体を揺らすような振動と共に、車はその血流を取り戻した。
自分は彼女に問いかけた。
「・・昨日のこと、もしかして怒っていらっしゃいますか?・・・そうだとしたら、どうか理解していただきたいのです。・・あなたに問題があるわけではなくて・・。」
自分は彼女にミルクティーを促しながら、目線を伏せてそういった。
しばらくの沈黙が続いたかと思うと、彼女は自分を遮るようにして
「・・そうじゃないんです。」
と言った。
続けて
「・・今から私の話すことを聞いても、私のことを嫌いにならないでいてもらえますか?」
と言った。
「・・約束します。」
自分がそういうと彼女は自分を地獄の底に落とすようなことをいいだした。
「・・・私・・・赤ちゃんがいます。」
自分は努めて平静を装ったが、当初彼女が何をいっているのかわからなかった。
「・・・今、このお腹にいるんです。・・・」
今の自分であるならば、”よくあること”で済ませられる一言であるのだが、その当時の銀次郎は年の割に若すぎた。
とにかく、自分は彼女の言葉を遮ってはいけないと感じて、彼女の喋るままに任せていた。
彼女によると、大学の研修で教員免許をとるために、どこかの高校に赴任したこと、そこで知り合った妻子ある若い男性教員と恋に落ちたこと、
「妻とはわかれる」
この言葉を信じて関係は続いたものの、結局彼女が妊娠しても彼は妻と別れなかったこと。
よくよく調べてみると、彼は女性にだらしないことが評判で、女生徒に手をだしていた過去さえあったということ。
気づいたらふらふらと、何かの小説で読んだあの崖にきていたこと。
自分は平静を装いながら彼女の言葉を聞いていたが、
「・・嘘であってほしい」
という思いも正直な話、止められなかった。
自分がふだん女性に声をかけられたり、気にとめてもらえる、そこらへんにいるような若い男性であるなら、あるいはこういうときの気持ちの処理もしかたもあっただろう。
銀次郎がもし女性という存在を理解しぬいていたら、心の平静も持ち得ただろう。
しかし自分の心は、あれほど自分が憎悪しぬいた男達にちかづくように、下賤なものに落ちていた。
彼女の美しいうなじ、形の良い胸、若い女性特有の細い腰。
すべてそんな男がすでに自分の唾液で汚していたのか。
わかっている、わかっている。
自分が何か女性に望めるような男でないことは。
この自分がわかりすぎているほどにわかっている。
自己嫌悪が激しくて、毎朝車に飛び込む衝動を、電柱柱にしがみつくことで防いできた。
誰かが必死になって自分のことを考えてくれていても、自分はそういう人間関係が嫌ですぐ行方をくらましてしまう。
会社どころか、人間社会に不適合な男。
それが一体女性に何を望めるというのか。
銀次郎、あれほど誓ったではないか、お前は彼女をして武蔵坊弁慶になると。
それが、自分でもわかるほどに動揺している。
「・・聞きたくなかった・・」
そう声にださないことが精一杯だった。
もちろん、今はもう彼女が自分にとって必要だということには変わりが無い。
彼女がいなければいないで、自分は元の自分に戻りようがない。
しかしその思いが強ければ強いほど、今まで感じたことのないようなどす黒い感情がこみ上げてくる。
そう、まるで、沸騰させたコールタールのようだ。
「・・ごめんなさい、わたし・・やさしいあなたをだましているような気持ちになったの・・。」
うつむいている彼女を自分はやさしく抱きしめるべきだったろう。
しかしそれをできずに自分は未だに遠くで浮いている月を眺めていた。
近くをキツネの親子が通り過ぎ、こちらをときどき見ながら、丘の向こうへ消えた。
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