第91話 オタクの沼

「隆太さん……すごくやりたくないんだけど、やらなきゃいけなくて、でもやりたくないことを告白してもいいですか」


 土曜日の朝、私は隆太さんが焼いてくれたパンを食べて口を開いた。

 隆太さんはコーヒーのおかわりを私のカップに注いで微笑んだ。


「二階の落ち葉掃除ですか? ベランダにかなり積もっているので今日やろうと思っていましたが」

「ああっ……それもありますね、雨がふったら排水溝に詰まりますもんね、そうですね」

「違いますか。今日は土曜日ですし、家事の日にしましょう。なんでも一緒にしますよ?」


 そういって隆太さんが微笑んでくれるので、私は長い溜め息を吐いて美味しいコーヒーを飲んだ。


「実はずっと探している毛布があるんです。真ん中に穴があいていて、そこに頭を入れると着る毛布になるやつなんですけど」

「暖かそうですね」

「そうなんです、すっごく暖かくて重宝してたんですけど、行方不明で……でもひとつだけ『犯人はあそこだ!』って場所があるんですけど、開けたくないんです……」

「開けたくない、とは」

「魔境だからです」

 

 私は指を組んで顎の下に置いて、ゲンドウ張りの顔をしてみたが、隆太さんはあっさりと、


「ああ、山のように物を投げ込んで片づけてないんですね」


 と言った。その通り、その通りなんです!!

 二階の隆太さんが使っている部屋の反対側には大きな押し入れがある。

 そこには古い……それこそ実家から出てくるときに持ってきた布団とか、もう使っていないスーツケースとか、買ったのにサイズがあわなかった靴とか、ワラビちゃんに誘われていったスキーアイテムとか……とにかく「ここにいれちゃお!」と思ったものが詰め込まれている。

 数年前にその毛布もクリーニングに出したあとにあの押し入れに入れた気がするんだけど、


「この前、ここかなーっと思って開けたら、なんか黒い粒みたいなものがボロボロと落ちてきたんです!!」


 私は叫んで机に倒れこんだ。

 押し入れの中で黒い粒って、それは虫の卵か、虫の死骸か、虫の、虫の、虫の何かだと思う。

 虫、虫~~~!!

 恐ろしくなって一瞬で閉めたけど、着たまま眠れるあの毛布はまた使いたい。

 買いなおすって手もあるけど、もうどこで買ったのか覚えてない!

 隆太さんは食器を片づけながら、


「ああ、なるほど。あの押し入れ、中は見たことなかったんですけど、そんなことになってたんですね。何か害虫がいたら大変なので、俺が見ますよ」

「すいません隆太さん、お願いしますーーー!!」


 両手をパチンと合わせて思わず拝んでしまった。

 そして食器を片づけてマスクを装着。

 私は帽子に手袋にエプロンもつけて完全装備。

 ドアをあけた瞬間に虫が出てきたら無理なので、ベランダへの窓をあけて脱出経路も確保。

 前にひとりであそこを開けて黒い粒を発見した時、慌てて逃げ出してベランダ行きの窓にオデコぶつけて星が見えた。

 もう同じミスはしない!!

 ゴーストならぬ虫バスターズ……幽霊より怖いのは家に入り込む虫です。

 そしてドアの外でビニール袋を持って待機した。

 隆太さんはマスクをした状態で平然と扉を開く。

 虫っ?!?! 虫がっ……?! と思ったけど、隆太さんは「んん、これは……」と言って扉の前に立ち、中を見上げた。

 私はドアの隙間一センチから、


「隆太さん……? 虫とか虫の卵とか、虫の羽とかじゃないんですか……?」

「ちょっとまってくださいね。これは……ビニールですね」


 と言った。ビニール? 虫ではないことを隆太さんが確認してくれたので、恐る恐る押し入れに近づいて黒い粒の正体をみたら……ビニールのカケラのようなものだった。隆太さんと押し入れの上を確認すると、何か天井部分がビニールのようなものでコーティングしてあり、それがボロボロと剥がれ落ちていた。

 この家に前に住んでいた正子さんに紹介してもらったリフォーム会社の人に連絡すると、正子さんが住んでいたころに押し入れの上の部分から雨漏りがして、ビニール素材のものを噴射してカバーしたのだが、十年ちかく経ったのでそれが劣化してはがれてきたのだろう……という話だった。

 その上の部分の雨漏りから、また水が入ってきて劣化している可能性もあるので、それも含めて今度チェックしましょうと言われて安心した。


「ビニールですか」


 私はエプロンを脱いで安堵した。

 虫じゃなくて安心したけど……視界のふちに見える世界にため息が止まらない。

 押し入れに入れておいた布団圧縮袋……すべてふっくらと膨らんでしまっているのだ。

 確認のためにすべて取り出したけど、全く圧縮されていない普通の布団袋、それが無限に出てきて、もう絶対に元には戻らないのが分かる。

 ジップロックは閉じているのを見ると、布団袋自体に穴があいているのか、ファスナーが完全に閉じてなかったか、どちらか……。


「隆太さん……布団圧縮袋って信用できなくないですか?」

「そうですね、新品で買って使った時、掃除機で吸っても数分後には膨らんだ経験から信用してません」

「わかります!! あいつ、吸ったそばから空気吸い込んで膨らみますよね?! お前は何を圧縮してるんだって話ですよ。そして異音を立て続ける掃除機、壊れませんか、あれ?!」


 話し合った結果、使ってない布団はこのタイミングで捨てて、ネットで良いと知ったIKEAの巨大布団袋(ファスナー付き)を購入して、それに布団を入れておくことにした。ふっくら膨らんでしまった布団袋の中から、着る毛布も発掘!! 即洗濯機に入れて洗い、使っていない古い布団を縛った。

 ひとりだったら死ぬまで開けなかったと思う。そしてもし雨漏りしてた場合、もっと悲惨なことになっていた。

 私は布団を縛りながら、


「一軒家の管理って、正直めちゃくちゃ大変なんです……。隆太さんがいなかったらしなかったこと、たくさんあります」

「俺はずっとアパート暮らしだったので、一軒家に憧れてましたけど、二十年以上経った家は総点検したほうが良いみたいですね。リフォーム会社の人と相談しておきます。俺もわからないので」

「私も一緒に聞きます! あっ……でも虫は無理かもしれません……」


 この家は山の中にあることもあり、虫のサイズがとにかく巨大だ。

 玄関出てすぐのところに、信じられないほど巨大なカマキリが「オラオラ!」と踊って私を待っていたこともある。

 いや君と何かするつもりはないの。お願いだからどいて……?

 かなり長い間カマキリと見つめあったのを覚えてる。

 隆太さんが来るまえは二階を何かが駆け抜けていく音も聞こえていた。業者を呼んで駆除してもらったが、ネズミが居たのだ。

 ああっ……プイプイモルカーは可愛いのに、ハムスターはお店で見ると可愛いのに、家に入り込むネズミは許容できない!!

 嘆く私を隆太さんは優しくなでて、

「俺は虫は全然平気なので大丈夫ですよ」

 と言ってくれた。結婚してから思うけど、隆太さんがいてくれる安心感半端ない。

 もっとひどくなる前に勇気を出して言って良かったと私は優しく抱っこされながら思った。

 優しく話を聞いてくれると分かってるから、普通なら恥ずかしくて黙ってしまうことも言える。



 そして日曜日、ふたりでIKEA新宿に行くことにした。

 私はスマホでゲームをしながら、


「最近はIKEAが新宿に出来てくれて助かりました。新宿が出来るまえは立川に行ってたんですけど……あそこは……」

「行ったことないんですが、そんなにすごいんですか」

「じゃあ今度一緒に行きましょう。立川は映画館もありますし。あ……でもIKEAに行くなら、IKEAだけのがいいかも……しかもレンタカーがあるといいかも……」

「そんなに覚悟が必要ですか」

「あれは店じゃないです、IKEAが提案するお部屋見学会なんですよ!!」


 私はIKEA立川の沼を電車の中で延々と語った。

 まず立川の駅から遠いのだ。モノレールに乗るには中途半端な距離で「これくらいなら歩くか」と思って立川から歩くと絶妙に遠い。

 上を走っているモノレールを見るのは楽しいけど、公園はでかいし、到着した時点でかなり疲れている。

 そして店に入ると当然のように二階に誘導されて……たくさんのお部屋が作ってある。

 あのIKEA特有の小さなお部屋にして商品を見せるフォーマット、楽しすぎる!!

 リビングから台所から子ども部屋まで、IKEAの商品を使って色々プレゼンしてきて、お話上手にもほどがある!!

 私の推しが住むならこんな部屋?! 二段ベッドでふたりが寝るの?! このグッズこう使うと可愛いのね、へえ~~なんて二階を歩き終わる頃には、


「体力を限界まで削られて、何を買いに来たのか忘れてます!」

「なるほど」

「そして頭がくらくらした状態で台所ゾーンに突入すると、重たいジップロックを大量購入してしまうんです。歩いて来てるのに、限界をこえた量をカートに入れてしまう。疲労からくる判断能力の低下と今まで見た家具と比べると安い値段設定。ここまで来たという苦労もあり買ってしまうんです!」

「作戦にやられてますね」

「ジップロックなんてIKEAで買って持ち帰る疲労を考えたら、高くても近所のドラッグストアで買ったほうがいいのに、IKEAの沼です!!」


 隆太さんは笑いながら私の話を聞いてくれた。

 そして到着したIKEA新宿店は、店のサイズが丁度よくて、布団袋もあった。良かった!

 布団が二枚以上入って500円、安すぎる……。圧縮しないならファスナー付きの袋が最強な気がする。

 お店のサイズが小さくて、買いたいものを見失わないけど、あの小さなお部屋の数が圧倒的に少なくて、なんだか物足りなくなってしまう。

 それに紙でできている箱シリーズも見当たらない。あれほど文句を言ったのに、IKEA立川が恋しくなってしまった。

 隆太さんはさらに笑いながら、今度レンタカーを借りて一緒に行こうと約束してくれた。

 押し入れ部屋の棚も欲しいし! ああ、どうせなら可愛くしたい……。

 IKEA沼すぎる。

 

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