第81話 悲しみの舞

「そろそろ入稿しなきゃ。締め切りいつだっけな」


 私はメールボックスを開いた。

 開いたが……未読数250。うーん、印刷所の予約メールはどこだ?

 暇なときに電車の中とかでメールボックスの整頓をしてるけど、少し忙しくなるとそれさえも面倒になってたまり続ける。

 ザーーッとメールを確認して不要なのにチェックをいれて捨てていくけど……多いから面倒になった。

 あとで整頓する!

 とりあえず締め切りが知りたいので、メールボックス内を検索するとメールが出てキター!

 印刷所はいつも同じ所にしている。超早期予約するとものすごく安い金額で印刷できるし、締め切りもギリギリまで待ってくれる。

 そして印刷のクオリティーが良いので気に入っている。

 なるほど、締め切りは三月の四日。


 ……ふーん、いつの??


 私はメールボックスの前で口を一文字にして目をパチパチさせた。

 今は七月半ばだ。夏コミには出られないけど、週末に小さなオンリーイベントがあり、そこにワラビちゃんと出ることにしたのだ。

 冬コミに出す本の準備号~と銘打っているが、全然違う本になる事のが多い。ただの薄い本……いつも通りだ。

 だから締め切りが三月四日というのは変だ。しかもこれ……去年だ。

 ううん?

 私はそのメールから印刷所のサイトにジャンプしてログインした。

 メールアドレスは結構な数を持っていて、メインのアドレスに届いてない可能性がある。

 それでもサイトには予約情報が残っているはずだ。

 見ると……ない。

 予約情報が、ない。

 心臓がバクンと大きな音を立てる。

 いやいやいや、予約したもん。

 だってそれでページ数も決めて、表紙もこの印刷所のサイズで書いている。予約した。予約したのに、予約されてない。

 予約したのに予約した情報がここにないということは、予約して、ないのだ。

 予約して、ない?!


「えええええええ……そんなバカな……」


 私は椅子にズルズルと沈み込んだ。

 内容をなんとな~く決めて、ページ数決めて、予約しようと思ってサイト見て、値段も見て、予約しようと決めて、予約しないでウインドウを閉じたんだ。

 それしかない。


「……うそでしょ」


 そのまま天を仰ぐ。予約したつもりで予約してない。

 予約してないつもりで二重に予約する、予約ができないと思って山ほど予約したら山ほど取れる。

 重複予約に予約ミスに、予約、予約めーーー!!

 管理できない星人に予約は本当につらいものがある。

 Amazonは最近「あなたは〇日にこれを予約しました」とか「〇日に購入しました」と言ってくれる。

 そのたびに「そうだったの!」とサイトの前でお礼を言っている。

 今まで何度もそういうミスをしているが、イベントが週末でこれはキツイ。

 今から印刷所を探さなきゃいけないのだ。

 しかもギリギリ納期で! 他のサイトを見てみると……予定した金額の二倍以上だ。

 あああーーん、私のミスってことはないの? 実は他のアドレスで予約取ってたりしない?!

 メールボックスを整頓がてら全部見て、他のメールアドレスも見に行ったけど、ない。

 絶対予約したのに、私絶対予約したもん、予約完了メールまで見た気がしてくるけど、それはきっといつも同じメール見てるからだああ。

 バカすぎてため息しかでない。

 諦めて他のサイトで予約しようと思って見たが、ずっと同じところで刷っているので入稿方法が違って……よく分からない。

 やっぱりいつものサイトで刷ろうと決めた。

 割引は無くなるし、締め切りはもう明日とかになるけど、それでも……と思って値段を確認したら、ギリギリ予定通りの量が刷ってもらえるけど、2.5倍くらいの値段になった。いやああああああ!!!!

 でもこれくらいの量がないと、来てくれたひとに「ごめんなさい」と謝り続けることになる。

 申し訳ない、つらい、そんなの嫌だ。

 私は半ベソかきながら申し込みして、残りの作業をした。

 それをワラビちゃんに伝えたらメチャクチャに爆笑された。

 酷いよ……酷いよ……私がバカなだけだけど!!




「……はあ」


 私は会社の屋上……というにはあまりに狭い空間でため息をついた。

 夏前の日差しがギリギリ避けられる場所にひっそりと座る。ベンチなどない、つらい。

 予想外の出費で、来月のカードの請求額が怖すぎる。

 正直印刷料金=本の値段で元々利益などない。

 なんなら今回は頑張ってうちわのノベルティを作ってしまったので(私が作りたかっただけだ)完全な赤字。

 そもそも印刷料金が安いからうちわを刷れると思って作ったのだ。

 『魂の舞』と書かれたうちわ……いいでしょ? カケルの決めセリフなの……作った私の魂が舞って抜けてしまいそうだけど。


 来月のカードの引き落としまでギチギチの生活をしようと決めたので、お昼ご飯はおにぎりを家で作ってくることにした。

 お昼の時間になったら、ススス……とデザ部から逃げ出せば誘われない。

 元々誘われないけど、それでも週に一度は声をかけられるので一緒に食べていたし、たまになら頑張れる。

 いつ誘っても断る面倒な人という枠に入るほうが面倒なので、そうしてたけど、今週はそれも逃げ出そう……。

 でもこの周辺のランチは高くて大変なのだ。千円を切ってくることない無い。

 お昼なんておにぎりひとつで十分だし! ……と口にねじこんで屋上の柵から表通りを見ると、三軒となりの定食屋に滝本さんの姿が見えた。

 上司の長谷川さんと、清川くんも一緒だ。もうひとり見たことがない人がいるから……仕事先の方だろうか。

 ああやって仕事でランチを食べればお金はかからない。

 かからないけど、気苦労でつかれそう。

 朝から仕事してお昼も仕事の人と食べて、いつ気を抜くのだろう。

 というか普通の仕事の人はそういうものなのかな?

 今までなるべく他の人と関わらずに過ごしてきたけど、滝本さんと偽装結婚して、外にいる滝本さんを見るようになった。

 そうすると、本当にいつも色んな人たちと移動して、食事して、打ち合わせして大変そうなのだ。

 あれで週末は金曜日から土日と軽井沢にキャンプに行くらしい。先日信じられないような量の買い物をしていたので驚いてしまった。 

 見たら牛肉、豚肉、塊肉! お肉の業務用スーパーがあるのは知ってたけど、そういう人が利用するのか! と思ってしまった。

 私は店自体に興味があって入ったことあるけど、2キロのお肉とかどうすれば……? と考え込んでしまった。


 そして印刷の予約ミスした私に同情して、ものすごく美味しい角煮のはしっこと、煮汁をくれたのだ。

 もうそれがすっっごく美味しくて!!

 煮汁をご飯にかけて炒めたらチャーハンになりますよってタッパーで持ってきてくれた。

 料理が出来る人って本当に尊敬する、すごい、煮汁なんて煮ないと出てこないから、存在さえ知らなかった。

 もう今週はあの煮汁をかけたご飯で凌ごう……。


 滝本さんはあの角煮を持って週末からキャンプにいくらしい。

 そして日曜日の深夜に戻ってきて月曜から仕事だって。

 えええ……嘘みたいな体力、すごすぎる!!

 でもまあ、オタク仲間で夜通し騒ぐのってメチャクチャ楽しそうーー!


「……おつかれさまです」


 と私は屋上の柵にしがみ付いて、外に並んでいる滝本さんに小さな声で言ってみる。

 滝本さんが二階から作った角煮を持ってくるとき「はしっこは小さく切っても美味しいですよ」と満面の笑みで言っていた。

 そんなに料理が好きだなんて、会社で見ている姿から想像も出来ない。

 今定食屋の外に並んでいる滝本さんは、ものすご~く普通のサラリーマンだ。

 きっともっと知らない顔がたくさんあるんだろうなあ。

 まあそれは私も一緒かあ~。

 間抜けすぎる顔をたくさん見られている。

 それでも滝本さんなら笑ったりバカにしないだろう……という謎の安心感がある。

 きっとオタク仲間で、お互いに秘密を抱えているからだ。

 私はおにぎりを口に投げ込みながら思った。

 さてもうひと仕事! 終わらせて入稿だ~~~!


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