第48話 なんとかしてみようか
日曜日の昼下がり。
隆太さんはライブに出かけたので、私もワラビちゃんと通話しながら絵を書いていた。
『黒井さん、30日の土曜日、売り子お願いできませんか? 誰もいなくて』
『大丈夫だよ、いくいくー。お肉も食べに行こうよ、焼肉』
『あー、嬉しいです。最近黒井さん土日のイベントに来ないから、もう同人やめるんじゃないかって、
通話の向こうでワラビちゃんが「うおーん」とわざとらしく泣いた。
たしかに最近週末は隆太さんとゴロゴロしていて、ワラビちゃんと出かけて無かった。
去年隆太さんとの出会いのきっかけになった春コミも今年は出ていない。
結婚して同人をやめる人はたくさんいる。
趣味を隠してそのまま結婚する人も居るし、10年後に普通に復活する人も知っている。
納豆が大豆に戻らないように、高い確率で同人業界に戻ってる気がするけど、数年離れる人は多い。
ワラビちゃんは私と一番仲が良いから、それを淋しく思っていたのだろう。
今も絵を書きながら思ってるけど、少し手が鈍ってる。
ここ! という場所に線が引けないのだ。
絵は本当に単純で毎日書いてないと、すぐに鈍る。
隆太さんとコロコロもしたいけど、漫画書いてイベントにも出たい。
『……イベントは土曜日しかないのに、どうして私はいつも日曜日も屍なんだろう』
『前日徹夜してますよね。その後オフ会で恐ろしい量の酒飲むから、死にかけてる身体にデストロイですよ。そりゃ日曜日も無理ですよ』
あ……すごくそんな気がする……。
『ひょっとして、最終ラインの締め切りじゃなくて、普通の締め切りで上げて、数日前から眠って深酒しなければ、日曜日普通に居られるの……?』
『私いま、スイカは美味しい、赤信号は渡らない、犬は犬みたいな話聞かされてます?』
『……30日、私もコピー本出そうかなあ。置いてくれる?』
『置きますよ! マジですか、めっちゃ嬉しい!』
イベント=土日の死だったけど、それは私が人間的に残念だからだ。
最近はちゃんと寝るようにしていて、身体の調子も良い。
メチャクチャなページ数にしなければ書けるはず。
漫画も隆太さんも諦めたくないのだ。
とりあえず一回やってみよう。
『なに本ですか?!』
『合同で出さない? オカッパ男子本』
『マジすか、ついに全てのアニメに出ているオカッパ男子を集めた本、出しちゃいますか!』
私とワラビちゃんはアニメに出ているオカッパの髪型をした男子が基本的に好きなのだ。
有名な所だとハウルの動く城のハウル、ヒカルの碁の塔矢アキラくん、ガンダムSEEDのアスラン。
すべて同じような耳の下で切り揃えた髪型をしていて、みんなツンツンした性格で好きなのだ。
たぶんアニメ界的にはおかっぱが何かの記号になっていて、私とワラビちゃんは間違いなくその沼に落ちる。
むしろ作品が始まったらオカッパ男子を探すレベルだ。
『じゃあ私がハウル書くから、ワラビちゃんはアキラくん? アスラン?』
『うーーん、塔矢行洋も書いていいなら、アキラくんですね』
『オカッパ男子じゃないから、塔矢行洋。好きなの分かるけど!』
腐女子塔矢行洋に弱い。
私は塔矢行洋がミスター味っ子と出会って料理する本を60P書いて完売させた女だ。
『じゃあアスランで!』
『了解! で、私さ、この前オカッパ男子の源流調べたんだけど聞いてくれる……?』
『源流? 中島みゆき歌いましょうか。一番最初のオカッパ男子ってことですか?』
最新の天気の子にも出てくるオカッパ男子の最古は何なのか。
それを調べるために私はバンダイチャンネルに潜った……。
今やHulu、Netflix、Amazonプライムとアニメがどこでも見られるのに、それでもバンダイチャンネルに入っているものこそが真のアニオタ。
そこで見つけたのは
『私も調べるまで知らなかったんだけど、最古は勇者ライディーンのプリンス・シャーキンじゃないかな、たぶんシャアの原型だわ』
『待ってくださいね……なるほど。え、これ現代風にしたらわりとアリなのでは……』
『ありなのよ。しかもこの人、かなりヤバいよ。ちょっと見ながら書かない?!』
『良いっスね!!』
私たちは原稿もせずバンダイチャンネルでひたすら勇者ライディーンを見ながら、シャーキンを練習するというオタク極まる時間を過ごした。
そして4ページもシャーキンを書いてしまい、二人で頭を抱えた。
このままではシャーキン本になってしまって、需要がゼロ、楽しい!
「ただいま」
「おかえりなさい」
玄関から声がして、私はペンタブを置いて玄関に出た。
隆太さんは私を見て、優しく頭を撫でてくれた。
やはり顔を見ると、すごく嬉しくなる。
「今日はとても月がきれいですよ。後でお月見しましょう。お団子を買ってきました」
「みたらし団子、めっちゃ好きです……嬉しい!」
隆太さんは買ってきたお団子をリビングの机に置いて、ソファーに座った。
最近帰ってくると、一度はリビングに入ってくれる。
そんなことが実はものすごく嬉しいのだ。
私は甘えたくなって、隆太さんの膝の上に座った。
そしてギュー……としがみついた。
「まだシャワー浴びてないですから、汗臭いですよ」
隆太さんは言うけど、私は全然気にならない。
外の匂いがする頬に鼻先を寄せて息を吸い込む。
隆太さんが私の髪の毛の中に手を入れて、引き寄せ、唇を落とす。
少し苦い、ビールの味。
唇を離して、隆太さんがほほ笑む。
「久しぶりにイベントに出るんですか」
「はい。30日にいきます」
「わかりました。あのですね、色々用事があると思うのですが、咲月さんの誕生日、5月16日の土曜日はお暇ですか」
「あ、そういえば誕生日がきますね。ちょっと待ってください」
私はパソコンルームからスマホを持ってきてスケジュールを確認する。
Twitterの通知にあまりに気が付かないのでタブレットPCの隅にスマホを設置して絵を書いているのだ。
「大丈夫ですよ。どこか行きますか!」
「去年祝えなかったので、今年はお祝いしたいんです。何か欲しい物とか、行きたい場所はありますか?」
うーん……と私はスマホを横のテーブルに置いて隆太さんの膝の上に座りなおす。
「謙遜とか良い女ぶりたいわけではなく、本当に無いんですよ。服は隆太さんが無限に運んでくるし、通勤に使う鞄なんて何でもいいし、靴もあるし、装飾品は付けません。パソコンも調子いいし、スマホの電池も死んでないし、一番欲しいのは3時間睡眠を8時間睡眠に誤魔化してくれる魔薬ですが、存在しないし。詰みました」
普通にブラカップ買い足そうかなとか、最近隆太さんに見られるから可愛い下着買いたいなと思うけど、そんなの買ってもらうものじゃないし。
アップルウオッチで改札スルーしてみたいけど、オタクだって会社でバレるし。
誕生日っぽくて欲しいものが何もない。
隆太さんはそうですかと困っている。
私は隆太さんの胸元に頬を寄せてくっつく。
「私が一番欲しいのは、普通の一日です。朝ゆっくり起きて、たくさんキスして貰って。二人でお風呂入って、ちょっと美味しいパンでも買ってきて面倒な朝ごはん一緒に作って。あ、何故だか分からないんですけど、スキャナーが繋がってないのでPC周辺掃除したり、何なら下のマットレスも替えたいんですけど、パソコンデスク持ち上げるのが重たいから一緒にしてほしいです。あと夏が来る前に網戸の掃除がしたいですね。そして一緒に眠りたいです。そんな普通の一日が一番ほしいです」
隆太さんは私を優しく抱き寄せて、髪の毛に唇を触れさせて、頭を抱きしめてくる。
気持ちよくて私は小さくなって隆太さんの間に挟まることにする。
「分かりました。普通の……普通かなあ、それ。素敵な日ですね、そうしましょう」
「じゃあパソコンデスク下のマット買ってください! 新しくしたいんですよ」
「椅子が引っかからないように引いているのですよね? 会社みたいなタイル風のが良いのでは?」
「あー、確かに。あれどこで売ってるんですかね?」
私たちはスマホで検索しながら二階にあがり、お団子を食べた。
本当に月が真ん丸で、美しかったので、真っ暗にして外を見ていた。
そして隆太さんの香りに包まれて、どうしようもなく安心して眠った。
きっとこの日々が続く以上に欲しいものなど、無いのだ。
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