第26話 川の音と寝息と

「川がきれいに見えるんですね」


 通してもらったお部屋は、トイレとお風呂が故障中だったが、広くて展望も素晴らしかった。

 荷物を置いて外を見ていると相沢さんが寄ってきて横に座った。

 さっき突然後ろの服を掴まれたので、心底驚いたのだが、表情をみると納得した。

 安心して、気が抜けたようだ。


「滝本さん……旅館のブログとか全部見てくれたんですか?」

「そうですね。旅行サイトのほうも拝見しました。失礼がないように、と思いまして」

「……ありがとうございます、私、全然知らなかったです、お母さんに好きなものがあるなんて」

「表で口にしないということは、あまり人には知られたくない可能性もあり、正直博打でしたけど、喜んでもらえて良かったです」


 調べすぎると「気持ち悪い」と思われてしまうので、ほどほどにしないといけない。

 Facebookのほうではかなり染五郎さんのことを書いていたが、表のブログには書いてなかった。

 だから痕跡を探したのだ。見つかって良かった。

 相沢さんは川の流れを見ながら大きく息を吐き出した。


「私、朝から少し変でしたね、やっぱり緊張するんです、ここは。実家なのに全然ホームじゃない」

「そうですね、朝から表情が暗くて心配してました」


 俺がそう言うと、相沢さんは


「……私にとっては、東京で滝本さんと暮らす家こそがホームなんだと実感しました。滝本さんに一緒にきてもらえて良かった。居てくれると安心します」


 と薄くほほ笑んだ。

 その笑顔が川面の光でキラキラと輝いて見えて、俺は恥ずかしくなって「良かったです」とうつむいて答えた。

 絶対に『良かったです』以外の言葉をいうべきなのに、相沢さんに褒められると恥ずかしくなってうつ向いてしまう。

 恋愛に対しては仕事の力を全く生かせない……情けない……!

 


「失礼します、咲月ちゃん、果歩かほですー、久しぶりです」

「あっ、お姉さんだ」


 入り口をノックして入ってきたのは、ショートカットで大きな目が特徴的な女性だった。

 相沢さんが俺を紹介してくれた。お兄さんのお嫁さんだ。

 俺は調べ尽くしていたので知っていたが、当然初対面なので頭をさげて挨拶した。 


「すいません、わざわざ来て頂いたのにお仕事手伝ってもらうなんて……」


 と兄嫁の果歩さんはため息をついた。

 その横で相沢さんも不満げに顔を歪ませて


「私は手伝うのが条件だから仕方ないけど、滝本さんもお仕事しないとダメなのかなあ」


 と言った。俺は


「一人だけのんびりしてるのもつまらないので、微力ながらお手伝いさせて頂きたいと思います。いつもデスクワークがメインなので、体力的にはあまりお役に立てないかもしれませんが……」

 と答えた。

 正直心配だった。ドル活はわりと体力仕事で移動距離は多い。

 それにかなりの距離を歩いたりする。でもあまり重い物を持ち上げたり、運んだりはしない。

 手伝いではなく迷惑にならないと良いが……。

 兄嫁さんは


「恐ろしく人手不足で、夏の間は海外の方に色々とお仕事をお願いしてるんです。だから体力的には大丈夫だと思うんですけど、色々と問題もあって……」


 と小さくため息をついた。 

 問題?

 俺たちはお姉さんから渡された作務衣に着替えて館内の清掃に向かった。

 今は昼過ぎなので、これからチェックインしてくる方への部屋の掃除が一番忙しい時間なのだと説明される。

 

 掃除をしているフロアに向かうと、外国の方々の話声が聞こえていた。

 俺は言語に強くないので、それがどこの国の言葉なのか、よく分からない。

 しかし日本語じゃないことは確かだった。

 兄嫁さんは外国の方々に俺と相沢さんのことを紹介してくれたが、みんな日本語がそれほど得意では無いらしく、あまり聞いていない。


「……基本的な会話は可能なんですけど、少し難しくなると無理みたいで、コミュニケーションに苦労してます」


 兄嫁さんは苦笑した。相沢さんは作業を開始しながら


「中国語だと思うんですけど……中国語ならわりと読めるんですよね。MCUって韓国中国が強くて、二次創作が強いので勉強したんです。ていうか……あれ? あれって……」

 そう言って、一人の中国人の方に近づいていった。そして腰についていたアクキーを見ながら

「〇滅の刃? 〇ャンプコミック?」


 と聞いた。

 その瞬間、全く話を聞いていなかった中国人の方が目をパッと開いて何か早口で話し始めた。

 相沢さんはポケットからスマホを出して自分のスマホに話しかけはじめた。

 そしてボタンを押して、出てきた声を中国人さんに聞かせる。

 アプリは自動翻訳するものらしく、相沢さんの言葉が変換されて出てきた。


『中国語は話せない。でも〇滅の刃は好き。それはオリジナルのアクキーですね、手作りですか』といわせている。

 中国人の方は、それを私にも貸してくれというアクションをしたので、相沢さんはスマホをその方に渡した。

 ペラペラと何かを話して、相沢さんに渡した。相沢さんがボタンを押すと

『私も日本語上手に話せない。でも〇滅の刃は好きで、これはネットで買った。日本はたくさん売っていて楽しい』と返してきた。

 おお、会話が成立している。

『〇滅の刃いいですよね。中国語だとどこまで翻訳されてるんですか?』

『8巻まで!』

『あ~! それはすごく辛いところで止まってますね』

 などスマホを介してオタトークしながら仕事を開始した。

 最後にはキャラクターの名前を叫ぶだけになっていたが、とても楽しそうだ。

 兄嫁さんはポカンとして


「……中国人のスタッフさんがあんなに楽しそうなのも珍しいけど、咲月さんがあんなに楽しそうなのも初めて見ました」


 と呟いた。


「相沢さんもあの方も漫画がお好きなんですね」


 と俺が言うと


「ううん、いつも咲月さんはここに来ると辛そうで、漫画の話なんてしなかったけど……滝本さんと一緒だからですかね、とても元気で安心しました」


 と俺のほうを見てほほ笑んだ。


「……そうだったら、とても嬉しいです」

 と答えた。


 相沢さんは毎年手伝っていることもあり、手が必要な場所は分かっていて、率先して動いていた。

 それをみた海外の方も『この人に聞けば分かるのでは?』という雰囲気になり、相沢さんは翻訳アプリで会話しながら順調に仕事を進めた。

 そして兄嫁さんの気遣いで、俺たちは夜前には作業を終了して、社員食堂でご飯を頂くことになった。

 簡単な定食だったが、身体を動かした後には格別に美味しく感じた。

 

 いや、美味しかったが、正直かなり緊張していた。

 これから相沢さんと部屋で二人きりになる。


 明日の朝は6時に裏口集合と言われていて、それでも今は21時。

 いつも会社から退勤して帰って来たくらいの時間だ。

 ここから9時間相沢さんと二人きりなのだ。

 食事を終えて二人でお風呂に向かった。

 従業員用の温泉は、白濁したお湯は柔らかく、足が伸ばせるお風呂は気持ちよかった。

 いや、正直無駄に頭を三回もシャンプーしてしまったが。


 女性のお風呂は長いイメージなので、俺は先に部屋に戻った。

 そして散らかっていた荷物を片付けて布団を引こうと思って動きを止めた。


 近くに並べるのは、ちょっと……いやらしくないだろうか。

 部屋は広いのだし、少し遠くに並べるべきか。

 いやわざと空間を開けておいたほうが、おかしくないか、むしろ「下心あります」みたいにならないか。

 俺はもんもんと考えた。

 でも先に戻ったほうが布団を引いておいた方がきっと良い。

 だって今日は相沢さんも疲れてるし、すぐに横になりたいだろう。

 いそいそと布団を引き始めたら浴衣が崩れてきたので、持参した部屋着に着替えた。

 そこで思いついたが、相沢さんは浴衣で眠るのだろうか!!

 そんな……刺激が強い……!!

 やはり布団は離そう。ずるずると離して、でも離しすぎな気がして少し戻したりしてみた。

 そんなことを繰り返して気が付いたらもう23時近かった。



 さすがに遅くないか?



 相沢さん、疲れてお風呂で眠り込んでいるのでは……? 相沢さんは疲れるとどこでもすぐに眠ってしまう。

 俺は心配になって扉を開けたら、ちょうどドアの前に相沢さんが立っていた。


「はあ……疲れました……」

「大丈夫ですか?」

「お風呂でホンさんに偶然会って、そのまま拉致られて、大お絵かき大会が始まって全キャラ書きました……いや私も楽しかったんですけど……」


 昼間仲良くなった中国の方はホンさんというお名前らしい。

 明らかに相沢さんは疲れ果てていた。

 そしてフラフラと布団に向かってもぞもぞともぐり込んだ。

 あ……そこ、さっきまで俺が入ってた布団なんだけど……!


「温かくて気持ちいい……滝本さんの体温だ……身体冷えちゃって……ああ落ち着く……おやすみなさい……」


 相沢さんはさっきまで俺が寝ていた布団に丸まり、即眠ってしまった。

 これが前に見かけた布団のカバーを変えながら生布団の上で寝落ち的なあれだ……!

 でも今日は朝からずっと緊張していて、疲れたのだろう。

 眠る表情は心なしかほほ笑んでみえて、俺は相沢さんの肩まで布団をかけた。

 すると相沢さんはうっすらと目を開けて

「……明日は夜お話しましょうね……」

 と小さくほほ笑んで、また眠った。

「っ……、はい」

 俺が答える頃には相沢さんは寝息を立てていたけれど、俺の心臓はバクバク音を立てていた。

 深呼吸をして相沢さん用に敷いた布団にもぐりこんだ。

 横をみると相沢さんが小さな寝息をたてて眠っていて、川のせせらぎが聞える静かな夜。

 でも俺はやっぱり眠れなくて、花粉症の薬をなんで飲んでおかなかったのか、後悔した。


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