第8話 紗季の自己嫌悪
今日は久しぶりの日勤なので担当患者さんのカルテを確認するためにいつもより早めに家を出た。緑が濃くなった街路樹の通りにはまだ人は少なく朝の空気を清々しく感じることができた。
病院に着くと少し早すぎたのか更衣室にはまだ誰もいなかった。いつもならおしゃべりをしつつ人とぶつかりそうになるのを気にしながら着替えなければならないが、今朝は落ち着いて白衣に着替えることができた。私にとって白衣に着替えるという行為は看護師になりきるためのイメージトレーニングのようなものだ。ロッカーの鏡をのぞき込み口角を上げて笑顔をつくってみる。
「よし!」気合を入れ詰め所に向かった。
詰め所に入りまず業務分担表を確認する。
「今日はBチームの担当かぁ。まあリーダーついてないだけましかな。」と、つぶやいているとナースコールが鳴る。夜勤スタッフを気の毒に思うものの訳も分からずに手伝うわけにもいかず「ごめん」と言って夜勤さんに任せてIDを入力して電子カルテを開く。再びナースコールが鳴りまだ勤務時間ではないのだが罪悪感が芽生える。とりあえず情報収集をしなくてはいけないのでコール対応は出来ない。
カルテを一通り見終えると患者さんの状態にさほど変化はなく処置も特に変わりはなかったのでほっとする。
「おはよう、紗季さん。久しぶりに顔を見た気がするわ」と、背後から聞き慣れた声がした。パソコンから目を離して振り向くと、師長がいつの間にか出勤していてこちらに笑顔を向けている。
「おはようございます。そうなんですよ。この前、続けて夜勤だったあと2連休をいただいていたので久しぶりなんです。ちなみに前回の日勤からだと、、、」言いながら指で数える仕草をする。
「1週間以上経っています。今日、無事に務まるかしら」と、少しわざとらしく言ってみる。
「大丈夫よ。紗季さんなら。それより、今日の入院予定の患者さんなんだけどBチームでとってくれないかしら。」
「えっ、Aチームの予定じゃあなかったですか。」
「そうなんだけど、Aチームじゃあ荷が重い気がしてね。ちょっと難しい患者さんのようだから」
「あ~はい、わかりました」と、逆らえるはずもなく少し重い返事をすると師長は無邪気な笑顔を見せた。
その笑顔を見て、悪い人ではないのはわかってるけど心に嫌な感情が湧く。連続の夜勤をつけられて久しぶりの日勤だと思ったらこれだ。「いいかげんにして!」と、心の中で叫ぶがそんな気持ちなど師長には通じてはいない。苦虫を嚙み潰したような気分だ。
でも、気分を切り替えて入院をとる準備を始める。10時が入院予定なのでそれまでに他の患者さんの処置もできるだけ済ませておきたいし、時間がない。怒ってる暇はないので冷静さを取り戻すべく業務に集中する。
気づかないうちに私の目が殺気立っていたのかもしくは忙しさを醸し出していたのかはわからないが、担当患者さんはみんな静かだった。いつもなら頻回にナースコールを押す患者さんでさえ「大変な仕事だね」と言って慰めの言葉をかけてくれ今日はコールを押すことを控えているようだった。
何とか時間内に業務を終わらせホッとすると急に罪悪感が芽生え、自分はまだまだ未熟で患者さんに気を使わせてしまったなと自己嫌悪にとらわれた。
自分が目指すべき姿には程遠く心が重たい。
明日はまた夜勤入り。
「がんばれ、紗季」と、自分を励ましてみるが空振りの気分だ。
なぜだか志乃さんの淹れてくれるほうじ茶が急に恋しくなった。
梅さんのことも気になるし今夜も茶会に行こうかなと、帰り道で思う。
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