第7話 梅さんの心残り

 ある時、いつもの茶会でお団子頭の梅さんがぽつりと話だした。その日は大きな満月が出ていた。

 いつもは早口で元気いっぱいに話す梅さんだがその時は違った。


 「私はねトラという名の猫を飼っていたんだ。飼っていたというよりは唯一の家族だったんだよ。」

 「トラって言うからにはトラ柄の猫か」横に座っていた弥太郎さんこと禿げ頭のお爺さんが私と梅さんの間に割って入りながら言う。

 「いや、トラ柄だったのか、白かったのか、まだらだったのかはわからないんだけどね」

 「...」

 みんなどういうことかわからずに沈黙するが弥太郎さんが口を開く。

 「どういうことかな。その猫は梅さんにとって家族同然だったんだろ。それなのに、いや、そうでなくても自分とこの猫の柄や色ぐらい憶えているだろうにさ」

 「いやぁ、その頃の私は目が見えていなかったんだよ。」

 「えっ、見えてなかったんですか」とっさに問いかけてしまった。だって、ウメさんの表情や動きは目が見えない人のそれではなかったから。

 「いやいや、今はちゃんと見えてるさ。亡くなってから世の中に色があることがわかったよ。どうせなら生きているうちに見えてりゃぁね。なんでかね。」

 

 溜息をついてゆっくりと梅さんが話をつづける。


 「私はね、生まれた時から目が見えなかったんだ。かろうじて光があるかがわかるくらいでさ。こう見えても苦労したんだよ。なんてったって100年も前の話だからね。私みたいなはあんまになるか、どこかの一座に入れてもらって三味線でも弾くかなんだけど、、、」

 「でも、私はまだ恵まれていてね。生まれた家が金持ちで生きるために働かなくてもよかったのさ。それが良かったのかどうだかなんだけど。の私は一族の恥として扱われたんだ。広い屋敷の奥のほうに使用人が住むための小さな離れがあったんだが、そこに隠されていたのさ。物心ついて目が見えないことがわかってからのことなんだがね。兄や姉だけでなく親も私のことなんて忘れてしまったんだろう。同じ敷地内に居るのに顔を見に来ることもなかったのさ。だからと言って、恨むつもりはないけどね。ただただ、いつもいつも寂しかった。」


 ウメさんのいつもの明るい表情や口調からは想像できない過去だった。人には目に見えるものだけではない奥深いものが隠されているのだとしんみりと思う。


 瞳に涙が滲んではいるが穏やかな口調で梅さんの言葉が静まり返った夜空に響く。


 「ある雨の日、引き戸の外でミャーミャーと子猫の鳴き声が聞こえたんだよ。その声はとても弱っていて小さくて、その子の命が消えそうなのがわかったんだ。目が見えない代わりに耳は良く聞こえてね。雨音にかき消されてしまいそうなその鳴き声を頼りに私はその子猫の元へとたどり着いたんだ。抱き上げるとその濡れた小さな体でやっぱり小さな声でミャーミャーと鳴いた。その声が一生懸命に生きたいと私に助けを求めている気がしたんだよ。」

 

 「その子がトラかい。でも目の見えない梅さんが世話するのは大変だったんじゃないのかい」と、じっと聞いていた弥太郎さんが言う。


 「いや、それほどでもなかったよ。その頃にはほぼ自分のことは自分でできていたし。目が見えなくてもそのぶん他の感覚でたいていのことは補えた。耳、におい、手や足の感覚、体全体を使って感じ取るのさ。まぁ、必要なものは使用人のお姉さんに頼んで揃えてもらったけどね。」


 「最初は親もそのくらいは仕方がないと思っていたんだろう。なんせ恥を隠すために一人離れに追いやったんだからね。猫一匹で私がおとなしくしているなら安いものだと思っていたんだろうよ。」


 時計を確認するとまだ夜中の3時だ。茶会のお開きまでにはまだ時間はあると思い聞いてみる。

 「ウメさんが何歳のころだったんですか。トラと出会ったのは」


 「うーん、二十歳すぎだったかな。私はトラをかっぽう着のポケットに入れて温めて世話をしたんだ。間違って踏みつぶしてしまう心配がないからね。」と、言ってウメさんが自分のポケットに左手を入れる仕草をする。


 「元気になったトラはすくすくと立派な雄猫になったんだ。手でなぞったら男前だとわかったねぇ。外に彼女を作っても良かったのにトラは片時も私のそばを離れなくて。きっと、目の見えない私のナイトきどりだったんだろうね。」トラさんが話しながら目を細める。


 「ほんとに楽しい日々だった。あの頃が一番幸せな時だった。」


 トラさんからため息が漏れる。


 「そのうちに戦争が始まってね。状況が悪化していくと犬や猫を飼うのは贅沢だって言われるようになったんだよ。親が世間の目を気にしてトラを捨ててくると言い出したのさ。勝手なものだよね。それまでは離れに来ることもなかったのに。もちろん断固拒否したさ。」


 「でも、更に戦況がひどくなっていくと、目の見えない私は使用人と共にその使用人の故郷に疎開させられることになったのさ。トラも一緒にと何度も頼んだが無理だったんだ。私はトラと一緒にこの離れで爆弾にやられて死んでもいいと言ったけど聞き入れてもらえなかった。」


 ウメさんの目から涙が幾筋も流れる。鼻水をすすりながら何とか話を続ける。


 「そのあと行った疎開先は空襲を受けることなく生き延びることができた。でも、生まれ育った家は跡形もなく燃え尽きてしまったと後になって人から聞かされたのさ。親たちも亡くなっていてトラの手がかりを掴むための術もなかった。世の中すべてが混乱していて目の見えない私は家の跡地を訪ねることも出来なかった。」


 「そして、そのあとはただ時間に流されるだけの人生だった。何としてでも行っておけば、、、残るのは後悔しかないね」


 「もし、私の目が見えていたらたとえ見つからなくても、自分の目と足でトラを探すこともできただろうに、、、悔しいねぇ,、、」


 私はかける言葉が見つからず、ただうつむくしかなかった。


 「今もあの子の魂はあの離れで私を待っている気がして、、、」と、最後に小さな声で梅さんがつぶやいた。


この夜の茶会は梅さんの語りで幕を引いた。

 


 

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