第5章 危機管理 第4話

 農家が被害防除の方法を忘れてしまっているように、行政でもこれまでの仕事の範疇に野生鳥獣対策が存在しなかったことから、対応ができなかったり、遅れたりしている事例も多い。


 例えばとして、紹介された事例には、こんなことがあるのだろうかと驚いてしまうような現場もある。


 ある県での県立公園でシカを捕獲する事業依頼があった。発注者が捕獲に関しては、素人であるのはやむを得ないことだ。


 そのような発注者側の戦略や作戦に大きな誤りがあるときには、受注者側からも積極的に修正を提案する方が、実際の現場での成果に繋がる。


 しかし、その時の担当者は、あまりにも頑なで、捕獲という行為そのものを最後まで理解できなかった。


「うちが管理している公立公園内でシカが増えてしまって、周辺住宅地からの苦情もあって捕獲をすることになったので相談したい」

というのが、話のはじまりだった。


「生息密度調査は終わっているが、できれば公園内からシカを根絶したい」


 シカを根絶するというのは容易なことではない。狭い離島のようなところならば、再侵入がないから可能かも知れないが、周囲に柵もない状況では、どこからでも再侵入が発生する状況では、実質根絶は不可能である。その不可能なことを求めてくる当たりからも、捕獲に関しては無知であることがわかる。


「周辺を完全に柵で囲わない限り、再侵入が繰り返し起こりますから、根絶は無理です。柵で囲えば、捕獲するだけでなく、柵外に追い出すことでも根絶は可能となりますから、捕獲の前に柵の設置という作戦はどうでしょう」


「いや、すでに検討会で捕獲することで合意ができているので、捕獲をしてもらいたい」


「それでは、根絶は無理です。公園内では銃器を使えませんから、ワナのみの捕獲となります。ワナは、生息密度が高ければ有効ですが、最後の一頭をワナで捕獲しようとすれば、凄い労力と時間が必要となり、合理的ではありません。公園内のシカの根絶を目的とするならば、捕獲に頼ったのでは効率が悪すぎます」


「いや、すでに捕獲の方針は決まっていますから、根絶が無理でも捕獲を優先して・・・」


 こうなると、もう作戦の変更は受け入れてもらえることはない。結局は、戦術と兵站の段階で最善を尽くすことを考えることになる。


「周辺へ捕獲事業を周知する必要があるかと思います。掲示板や回覧板など広報する手段としては、どのようなものがこの地域にはありますか?」


「周辺への周知は必要ありません。公園の入り口に掲示するだけで十分です」


「それから、地元狩猟者の了解や協力があった方が、今後の作業を継続的に行うためにも必要だと思いますが」


「地元の狩猟者にはお願いするつもりはありませんし、その配慮も必要ないでしょう」


「捕獲後の個体処理はどうしますか」


「これまで、事故などで死んだ個体は、近くのペット埋葬業者が一頭三千円で受け入れてくれています」


「重ねての確認となりますが、ワナでの捕獲は、根絶というところまではできないということはご理解いただけますか」


「できるだけ捕獲するということで結構です」


 ここまで戦術と兵站についても幅のない事業は、正直なところ手足を縛られて海に放り込まれたようなものである。


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