素直じゃないカタブツ感すごいよね。
「まこりん、何してんの?」
「あっ近藤先輩」
馬渕が安堵の笑みを浮かべ、とてとてと擬音をつけたくなる足取りで俺達の元に寄って来た。
「入っていいものなのかわからなくて……」
「何言ってんのー入っていいんだよ?」
凛子はそう言って笑ったが、馬渕の言わんとしていることもわかった。俺も入部したての頃は美術室に入る度少し緊張したものだ。馬渕は体験入部の段階だし、より一層緊張するものなんだろう。美術室の扉を開けながら、
「馬渕は昨日のデッサンの続きする?」
と聞いてみる。馬渕は拳を握った。
「はい、あの絵を完成させたくて来ました」
「いい意気込みだな」
咄嗟に頭を撫でそうになって手を伸ばしかけて引っ込めた。ヤバイ、凛子に毒されているかも知れない。馬渕が凛子のなけなしの母性をくすぐるとしたら、俺は馬渕に何をくすぐられているんだろう。父性?
そんな疑問はさておき、美術室に入ると部長が既に昨日の林檎と葡萄をセッティングしていた。俺は一応馬渕の面倒を見ることになっているから、馬渕のデッサンの用意を手伝ってやる。
昨日使った林檎とワインボトル、そして白いクロスを準備室から持ち出し、昨日と同じ場所に同じように置いてやる。馬渕に手招きをし椅子に座らせ、昨日の途中のデッサンと狂いが出ないように馬渕に指示を出させながら対象の位置を少しずつ調整した。
「荻野目先輩、ありがとうございます」
位置が整ったかな、というタイミングで馬渕にそんな声を掛けられた。準備をしてやったことに関してかと思い「別にいいよ」と言うと、馬渕は首を横に振った。
「何も無い私を受け入れてくれて、ありがとうございます」
何も無い、と馬渕は確かに言った。どういうことだろう。
そんな疑問こそ持ったものの、俺は特にそれに対し何かコメントするわけでもなく、
「昨日教えたスケールの使い方、覚えてる?」
逃げたのだった。なんだか馬渕が昔の俺みたいな顔をしていて少し恥ずかしくなったからだ。
馬渕が「多分バッチリです」となんだか頼りない回答をしたので、俺も自分のデッサンに取りかかることにした。頼りなくてもバッチリと言っているし大丈夫だろう。
時間と共に変わってしまう太陽の光を遮るため遮光カーテンを閉め切った美術室に、鉛筆と画用紙が擦れる音だけが響く。光源が動いてしまうと対象の陰影が正確に捉えられない。なのでデッサンは光を遮り蛍光灯のみで光源をわかり易くすることが基本である。
恐らくこのデッサンを終えたら佐野先生から春の作品展について何かしらの言及がされるだろう。このデッサンはいわば作品制作に取りかかるための自分の実力確認だ。俺は勝手にそう定義している。とにもかくにも今は目の前のデッサンに集中しなければいけない。俺は林檎の質感をじっくり観察し始めた。この果物をいかに美味しそうに描くかを大事にしよう。
気がつくと結構な時間が経っていたようだ。俺は鉛筆を置いた。この一枚にかけた時間は四時間。四時間をめどに一枚を終わらせると最初から決めていたのだ。
絵には厳密な完成が存在しない。なのでデッサン、和訳すると習作は時間で区切って完成とすることが多い。石膏像や人物といった複雑な描写が求められる対象は八時間ほどかけることもあるが、今回のような果物なら慣れていれば四時間でだいたい形になる。部長くらいになると二時間でも形にできるのではないだろうか。
俺以外の二人も四時間と決めていたようだ。次々に鉛筆を置いた。
「進も近藤も終わったみたいだね。見せ合いっこでもする?」
部長が微笑ながらそんな提案をしてきた。俺は部長の作品が見たいがために賛成する。
三人で互いの作品を見回った。凛子のデッサンはなんというか凛子のほわんとしたイメージの通りというか。ティッシュで擦る技法を用いたのであろう淡いタッチで、しかし確実に紙の中に林檎と葡萄が存在してる作品になっていた。この不思議な感覚の作品は俺には作り出せない雰囲気なので素直にすごいと思った。
部長のデッサンは流石に手堅い。シャープで無駄のない鉛筆のラインの折り重なりでそこに林檎と葡萄をしっかりと配置していた。捉えた角度の違いだけではない見やすい構図も流石である。
「進はなんか、やっぱり奇を衒った構図が好きだね」
部長が俺の作品を見るなりそう言った。凛子もそれに賛同する。
「デッサンをデッサンで終わらせないようにしようっていう感じがビンビンだわ」
「デッサンもひとつの作品って考えちゃうと、どうしてもこうしたくなるっていうか」
俺は曖昧に笑いながら自分のデッサンに再び目をやった。
「素直じゃないカタブツ感すごいよね、流石進」
「やだなぁ部長、それただのひねくれ者って言うんですよ」
ひねくれ者で悪かったですね。部長と凛子のやり取りを聞きながらそんな風に心の中で悪態をついてみたが、そう言われるのは嫌いじゃなかった。自分のキャラクターがある程度伝わっているというのは、なんとなく心地よいことだと思う。
「そこが荻野目の最大の長所であり、最大の短所でもある。そこをどう捉えるかは諸君の感性の世界に委ねられるな」
佐野先生がそんなことを語りながらナチュラルに現れた。貴女はいつも突然すぎるってば。
「何に関しても『過ぎる』はよくないと言われるのが昨今の世の中の常だが、ことに芸術の世界ではそれが例外として美点に語られることの方が多い。しかし美点に語られるパターンは、大抵が成功している者についてだ。こういう奇を衒った作品を作るタイプの芸術家は、成功する視点を得られれば大成功を収めるが、逆だと世の中に対しウンともスンとも名を響かせず死ぬまで苦しみ抜いて作品を作り続ける運命を辿ることもあるだろう。死んでから評価されればまだ救いだが、それすら無い場合は悲惨だ。その者は一生をかけて見つめ創作してきた作品全てをガラクタと評され終わってしまうのだ。荻野目のこの厨二臭い穿った視点が吉と出るか凶と出るかは、ひとまず春の作品展で実力試しをしてから、というところかな」
佐野先生はひとつ咳払いをしてから「と、いうわけでだ」と続けた。
「春の作品展についてだが、そろそろエントリー作品の制作に入ろうと思う。真田は日本画、近藤は立体、荻野目は油彩でいいな」
俺たちはそれぞれ神妙な面持ちで頷いた。突然現れたにも関わらず空気を一瞬で自分のものにしてしまう佐野先生の力はやはり凄いと思う。
「毎度のことだが、今回の作品展に限り使用するカンバス、額縁、立体の場合素材は部費で下りるからな。各自早めに用意して経費を請求するか、準備室のカタログの注文表を記入するように。部費だからな、積極的に普段使えない高い額縁を買っておくことをおすすめする」
さらっと何を言っているんだこの人は。いや気持ちはわかるけど。
「さて……」
そう言いながら佐野先生は俺たちの間をすり抜け相変わらず何も聞こえていなさそうな集中モードの馬渕のもとへ歩いていった。そして馬渕のデッサンを見て、にやりと微笑を浮かべた。怖いんだけど。佐野先生はその恐ろしい微笑だけを残して部室を去って行った。相変わらずアクの強い人だ。
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