第2話

 


 合鍵を使って入ると、梢はまだ寝ていた。誠は慣れた手つきでコーヒーを淹れると、煙草をんだ。


「……来てたの?」


 寝室から出てきた梢は眠そうに目を擦った。


「ああ。来たばっか」


昨夜ゆうべ、大井さん、ずっと待ってたわよ。来られないなら電話一本してよ」


 マイカップにサーバーを傾けながら、誠をにらんだ。


「悪かった」


「何、麻雀?」


「……ああ」


「あの人、呑むとしつこくて。閉店時間までいたわよ。誰も相手にしなくてもいるんだもの、嫌い」


 シルクのガウンの紐を締めながら愚痴った。


「仕方ないさ、我慢しろ。警察署のお偉いさんだ。あの人らのおかげで安心して営業できてるんだから。ただ酒も大目に見ろ」


「……はーい。承知いたしました」


「何か着ない服ないか?」


「何、またスカウト」


「ああ」


「おばちゃんに任せればいいじゃない」


「駄目だよ、センスないから」


「もう……。サイズは?」


「少し大きめがいいな」


「……何があったかしら」


 梢は重そうに腰を上げると、衣装部屋を開けた。



 使い飽きたというハンドバッグと、クリーニングの袋を被ったスーツ二着、パンストを紙袋に入れると、誠はタクシーを拾った。



 出掛ける前に取った出前のカツ丼を平らげていたみゆきは、大人しくテレビを観ていた。


「これに着替えて」


 濃紺のツーピースを手渡した。みゆきは姿見の前で着替えを始めた。


「靴のサイズは?」


 誠は電話のダイヤルを回した。


「……二十三」


「あ、俺。二十三センチの黒のハイヒールを買ってきてくれ。――ばーか、俺が履くわけないだろが。――店員にパンプスって言えば分かるよ。――ばーか、パンストとじゃないよ。……俺が黒のパンスト穿いてどうすんだよ、タコ。ちゃんとメモしろ。二十三センチの黒のパ・ン・プ・スだ。俺の部屋に持ってこい。大至急だ」


 着替えを終えたみゆきは何度も鏡に映していた。


「あ、篠塚です。――どうも、久しぶり。紺色のスーツを着た十代の子が行くから、流行りの髪型にしてやってくれ。――ああ。ついでに化粧も頼む。――よろしく」


 電話を切ると、みゆきがこっちを見た。


「今、靴が来るから。そしたら、出て右に行くと、〈かつみ〉というパーマ屋があるから綺麗にしてもらえ。『篠塚さんの紹介です』と言ってな」


 みゆきは頷いた。



 舎弟が持ってきたパンプスを履いたみゆきは、ぎこちない足取りで美容院に行った。


 ――戻ってきたみゆきは、洒落しゃれたヘアースタイルにメイクを施され、肉体と比例した年格好になっていた。


「歳はいくつだ?」


「……十六」


「十六か……これから行くとこにおばちゃんがいるから、歳を聞かれたら、十八って言え。分かったな」


「うん」


 頷いたみゆきの目は、「あなたにすべてを任せます」と言っていた。



 一緒に歩いていても恥ずかしくないみゆきの身形みなりに、誠は株を上げた心持ちだった。


 歌舞伎町にある雑居ビルの一室のチャイムを押した。


「はーいっ!」


 ドアスコープで誠を認めたのか、矢継ぎ早にチェーンを外す音がしてドアが開いた。


「これはこれは、若頭わかがし、お久しぶりです」


 おばちゃんは深く頭を下げた。


「元気だったか」


「はい、おかげさまで」


「また、頼む」


 誠の後ろに隠れているみゆきを顎で指した。誠の背後を覗き込むと、


「あら、ま。掘り出し物ですね」


 おばちゃんはそう言って喜んだ。


「挨拶しな」


 みゆきの背中を押した。


「……そねみゆきです」


「みゆきちゃんか。いい名だね」


 おばちゃんの言葉に、みゆきは恥ずかしそうに俯いた。


「今日から、このおばちゃんが世話してくれるから、ちゃんと言うことに聞くんだぞ」


 みゆきは哀しそうな目を誠に向けると、ゆっくりと俯いた。


「さあさあ、入って」


 おばちゃんがみゆきの腕を引っ張った。


「じゃあ、頑張れよ」


 瞬きをすればこぼれそうな涙を目にいっぱい溜めたみゆきは、誠を見つめていた。誠はそれを遮るかのようにドアを閉めた。――



 その、みゆきの顔が瞼にこびりついて、誠の視界から離れなかった。パチンコをしていても、麻雀をしていても、みゆきのその顔が、残像のようにちらついていた。

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