珈琲豆を捕まえろ!

向日葵椎

珈琲豆を捕まえろ!

 お日様が石畳をじっくり温める昼下がり。

 オーニングテントを構えたカフェの中、そこは珈琲の香りの縄張り。

 その奥にある扉――

『STAFF ONLY』

 香りの始まる場所。


「緊急事態発生!」スタッフルームに飛び込む。


 私はここで働いているのだ。


「マスター大変です! 珈琲豆の在庫が切れそうです!」エプロンと切りたてふわふわな前髪を揺らす。

「やあアラビカ君。そうか、今日はお客さんが多かったんだね。ではそろそろ捕まえてもらおうかな。えーっと、たしか今日の捕獲当番はーっと……」


 蝶ネクタイを触って聞いていたマスターは机の上のバインダーを手に取り、眼鏡をかけなおす。


「昨日が私だったから今日はリベリカかマスターだったと思います。それよりマスター、さっき裏に入ってから全然出てこないですけど、ここで何してるんですか?」

「うん、捕獲用の網のメンテナンスをね。ってあれ? リベリカ君、もう今朝から捕まえに行ってるはずだけどなあ。ほら、これ」バインダーを指さす。


 珈琲豆の捕獲当番表を見ると、リベリカの名前の横にチェックマークと時刻が書かれている。これは珈琲豆を捕まえに行っている印だ。


「ええ! 今日リベリカいたんですか? 来た時にはいなかったから、今日は休みなのかと思ってましたよ」

「リベリカ君いつも早いからね。私より……ハハ。とすると帰りが遅すぎるなあ、ちょっと心配だからアラビカ君も様子を見に行ってきてくれるかい?」

「はい、いつもリベリカなら一時間もかからないですから、私も心配です」

「店は私が見てるから大丈夫だよ」


 壁にかけてあるマスターオリジナルの麻袋のリュックを背負って、ピスヘルメットをかぶる。その隣に立てかけてある捕獲用の棒付き網を手に取る。


「じゃあ、いってきます」

「よろしくね」


 スタッフルームに佇む鉄の扉。ノブにかけてある革製の手袋をとって咥える。

 私用の手袋の匂いがする。いつもはリベリカ用のもかけてあるけど、自分の手袋は匂いですぐにわかる。

 手をかけて扉を開く。

 光が部屋に差し込む。

 向こう側に飛び込む。


「さて」咥えた手袋を身に着ける。

 眼前に広がるは草原と青空。良質な珈琲豆が育つ環境。マスター秘蔵の扉と繋がっている狩場。

 エプロンと切りたてふわふわな前髪が風に揺れる。


 リベリカを探さなくっちゃ。

 あたりを見回す。

「リベリカ―!」思い切り叫ぶように呼んでみる。

 もう一度見回してみる。


 ――そのとき、遠くで何かが動いているのが見える。地面が少し盛り上がっている向こう側だ。目を細めてそのあたりをじっと見てみる。

 黒い粒がぴょんぴょん、飛び跳ねている。珈琲豆の群れだ。さらによく見てみると、それはこちらへ向かってきていることがわかった。


「飛んで火に入る夏の豆!」手に持った網を構える。

 いっぱい捕まえてリベリカとマスターを驚かせよう。


 しかし様子がおかしい。徐々に近づく豆に違和感を覚える。

ローストだ!」

 珈琲豆たちはこちらへ向かって走っているが、その中には色の黒くないものも混じっている。まだ完全に焙煎されていない未ロースト状態の豆は、その身が完全に焙煎されるまでは灼熱の岩盤にある巣から出たりしない。

 ――何かから逃げているんだ。


 直後に大地が微かに、短く揺れる。

 珈琲豆が来る向こうの方を見る。

 その間にすぐ傍を珈琲豆が勢い凄まじく走り抜けていった。

「なんだろう」走って見に行く。


 盛り上がったあたりまでくると向こう側が見える。

 その少し先にはリベリカがいた。網を構え、エプロンと長い黒髪を風に揺らす。ピスヘルメットは近くに落ちていた。息は荒く、鋭い目つきで前に見上げている。

 その視線の先には巨大な珈琲豆。リベリカの身長の三倍はありそうな大きさだ。普通の豆なら大きくても私たちの三分の一くらいまでしかない。


「リベリカ!」名前を呼んだ。

 あんなものを捕まえようとしていたなんて。それもきっと朝からずっと。

「危ないからこないで!」リベリカはこちらを見ずに言った。

 ずるい! あんなに綺麗な焙煎ムラもない状態の、しかもあんなに大きい豆は見たことがない。


「生け捕りなんて考えてないでしょうね」リベリカの横に駆け寄る。

「まさか。倒すのよ。怪我しても知らないわよ」巨大豆を指さす。


 巨大豆の中心には亀裂が入っていた。それからリベリカは手に持った網を見せる。よく見ると反対側の端が折れて短くなっていた。

「よし、やろう!」網を強く握る。

「マスターに言われてきたんでしょ。時間はなさそうだから一気にやるわよ」

「よっしゃ!」


 リベリカと目を合わせる。頷く。

 しかし巨大豆は攻撃的だった。前面に転がるように、こちらに向かって倒れてくる。押しつぶしてしまおうということだろう。

 巨大豆の両側に、リベリカと別れるように飛ぶ。

 すぐさま後ろに回り込んで合流する。

 巨大豆は起き上がり振り向く。

 ――ここだ!


「せーの!」リベリカと同時に亀裂めがけて思い切り棒で突く。


 棒は深く突き刺さり、巨大豆の亀裂が広がる。

 巨大豆の動きが止まる。

 まだだ!


「いっけえ!」リベリカと巨大豆に体当たりする。


 ぐらり。巨大豆は傾く。

 棒をねじ込むようにしながら二人で体重をかけ続ける。

 巨大豆は完全に倒れ体を地に着ける、と同時に亀裂を全身へ広げ、ごろごろと音を立てて砕ける。岩石のような欠片があたりに転がった。

 一緒に倒れこんだリベリカと目を合わせる。

 切りたてふわふわの前髪が風に笑う。


「これ持ちきれないよね」

「残りはマスターが運んでくれるわ。きっと。それより髪切った?」

「うん、いいでしょ」

「そうね」


 それから砕けた珈琲豆をいくつか麻袋のリュックに入れて、リベリカと一緒にスタッフルームへと帰った。

 その後、持ち帰った欠片と網を見たときのマスターの表情といったら……

 リベリカと大笑いしたのであった。

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