第1話-6 薬剤師・南依吹(終)

「見せてもらったよ。當真さんと似たような感想になってしまうけど、よかったよ、南さん。有望な人が入ってくれてほっとしてるよ」


「謝花社長も見てたんですか?」


「ああ、『社長』でいいよ。苗字まで付けると呼びにくいでしょ? うちは小さい会社だし、僕もちゃんと見ておきたいかなって。當真さんに新人の育成を丸投げするのも申し訳ないなと思ってさ」


「社長、そうしてもらってもいいですけど、気前よく特別手当でも出してくださいね」


「いやー、それも困るなぁ」


 謝花社長はこの薬局の二階にある社長室で仕事をしていることが多いが、薬剤師免許も持つ社長は薬局が忙しくなると下に降りて私達とともに調剤や投薬を行っている。単に人手が足りないからということもあるが、「社長といえどもきちんと患者さんの健康状態を見ていきたい」と、現場での仕事にこだわる姿勢が強い人である。その上薬剤師としての手際は、もうじき還暦を迎える年齢とは思えないほど機敏かつ器用で、無駄が少ないのだった。


「社長からは何か言っておきたいこと、あります?」


「じゃあせっかくだし、僕からも一ついいかな?」


「はい」


 いくら親しみやすい人だからといっても、社長から仕事の話を聞くのだ。緊張せずにはいられなかった。


「池上さん、今は健康をキープできてるみたいだけど、この先ずっと見ていくうちに万が一パーキンソン病あたりと合併すると、やっかいだろうねえ」


「あー、言われてみるとそうですね。そうなった時に病院できちんと診断してくれればいいんですが」


 當真さんがはっとして言う。

 私が勉強した限りの知識では、パーキンソン病の特徴的な四大症状は振戦、筋固縮、寡動・無動、姿勢反射障害だ。池上さんは振戦こそあるものの、窓口に来るときや薬局を出ていくときの足の動き方には問題が全くないようだったので今の時点でパーキンソン病の可能性は低いだろうが、確かに、慢性的な手の震えがあるというだけでは、薬局の中でできる業務でパーキンソン病の振戦と鑑別をするのは厳しいかもしれない。


「パーキンソン病……もちろん知ってはいるんですが、投薬でとっさに考えられるかどうか……私、すごく不安になってきました……」


 社長は、


「どんな仕事だって始めたばかりの頃は不安がついて回るものだと思うよ。今は経験を積みながら自分に足りないところを勉強していけばいいんじゃないかな?」


「不安といえば……」


 當真さんが口を開く。


「大学や実習で教わってるかもしれないけど、ドクターの診断もされてないのに、あなたは認知症やパーキンソン病の疑いがあります、とかいうことを言って患者さんを不安にさせないことも大事だよ。あくまでうちらは、背景にそういう疾患があるかもしれないと想定しながら必要に応じて介入するのが仕事だからね」


「はい、うっかり喋らないよう気を付けます」


「いやー、それにしても、うちはしばらく安泰そうですね、社長」


 と、當真さん。


「み、皆さん、あまり期待をかけないでください……」


「少なくとも私は本気でそう思ってるよ。社長はどうです?」


「そうだね、南さんにはできる限りうちに長く居てほしいね」


 社長も私の成長や活躍を楽しみにしてくれている。これからその気持ちにきちんと応えなければ――そう感じた。


「ああそうだ、南さん、これ届いたよ」


 社長がさっきから手に持っていた大判の封筒を私へ差し出す。手に取ると、薄手であるものの、しっかりとした固さのある感触が伝わってきた。


「じゃ、僕はそろそろ二階に引き上げるよ。もうすぐ遅番の二人も来る時間だろうから、ちょうどいいころだろうしね」


「そうっすね。もうそろそろ呉屋さんと川満さんも来ます」


 新垣さんが言った。

 社長から渡された封筒を開けると、中には私の名前が刻印されたプラスチックの板が入っていた。勤務中の薬剤師を薬局の中に掲示するためのネームプレートだ。


「お、ついに来たね」


 両手に持ち、裏表に何度もひっくり返して板を眺めた。新品に特有の光沢と確かな重量感が、薬剤師の仕事の責任を感じさせるようでもあった。


「こんなにちゃんとしたもの……いいんでしょうか?」


「いいも何も、うちらと同じ札でしょ? 入れるスペースは私と社長の間ね。社長の札を一段下げて、依吹さんのを入れて」


 當真さんがプレートを入れる掲示板を上下に指さす。


「社長より上なんて、恐れ多いですね……」


「社長が『調剤室で仕事をする時間が少ないから、薬剤師の並びはそれでいい』って言ってるんだから、いいの」


「ビビりすぎっすよ南さん。札くらい早く入れてくれないと次の患者さんが来ちゃいますよ」


 新垣さんがそう言って急かす。

 少し慌ててプレートを差し込んだ。當真さんの下、社長の上に入った『南依吹』のプレートは、冷房の効いた薬局の空気の中に不安と希望が入り混じった振動音を響かせた。


「改めてまして、ようこそ、スノーマリン薬局へ……なんてね」


―― 薬剤師・南依吹・了 ――

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