第12話 メイヤード酒場
マリアは城壁に辿りは着いたのだが、そこに入り口はなく、壁伝いに藪の中を歩かなければならなかった。やがて道に出て、そこにはまるで鉄格子のような扉があり、無愛想だが身なりのきちんとした守衛が突っ立っていた。
守衛の男はひとり暇そうに辺りを見回しながら、目の前にマリアがやって来るのを見つけた。爪先からつむじまで、意地の悪そうな目で舐めるように見てくる。眉まであるヘルメットと青地に繊細な黄色の刺繍がされた上っ張りは、彼の無骨で恰幅の良い風態に似合っていない。
マリアがおもむろに門をくぐろうとすると、見張りの男は呼び止めた。
「ちょっと、お嬢さん。このデポイの住人かね」
「いえ」
「じゃあ何しにここへ?」
「観光よ」そう言ってマリアは進もうとするが、男が手に持った槍で行手を遮った。
「やめておいた方がいいよ」守衛は半笑いを浮かべた。
「なぜかしら」マリアはこの男の醸し出す雰囲気がいけ好かなかった。
「あんたのためさ」なおもニタニタしている。
「言ってる事がよく分からないわ」マリアは槍を手で押し除けた。
「あんまり長居せずにすぐ帰った方が身のためだよ」男はそう言ったが、マリアはあまり聞いていなかった。
広い往路が伸び、人がまばらに歩いていた。立派な石造りの家や商店が立ち並ぶが、どこか空気が重く、活気のある声が聞こえない。道行く人達も暗めの服を着ていたり、ローブを顔が隠れるくらいにすっぽり羽織っている。
全てが陰鬱で、皆足早で、無機質な雰囲気。マリアはみんながまるで恐怖だとか、不安だとかに支配されているように感じた。
マリアが往路を歩く。誰も彼女に関心を持たないし、こちらから話しかける事でさえも躊躇させる雰囲気。
目に見えぬものを感じ取ろうとする。何か理由があるはず。まるで人々は表を歩く事それ自体を嫌がっているように感じられる。街自体に悪意があるような感じだ。
すると突然、何かが壊れ落ちるような音が鳴り響き、意味のわからない怒号が聞こえた。往路の人間は一瞬顔を上げるが、また下げた。
マリアは気になって方向を変えて歩き出す。
( メイヤードの酒場 ) 古びた看板にはそう書いてある。先程の音と声は人を集めるのに十分な大きさであったにも関わらず、建物の前には人集りは出来ていなかった。
戸がない扉をマリアは潜る。外から見た目と同じく、中も天井が高く、年季の入った木造の造りだ。入って右手は壁で、掲示板になっていて、仕事の依頼から賞金首の知らせ、中には動物を譲る等といった知らせの紙まで貼ってある。
その壁から左へカウンターが伸び、背後にはテーブルが壁に付けて置かれていた。問題はカウンターで、それを挟んで若者3人と店主と思しき男が睨み合っている。
傍には壊れた木の椅子があり、店主はいきり立って調理に使うようなナイフまで持ち出していた。マリアには、若者達には人を馬鹿にしたような余裕を見てとったが、店主に余裕はなさそうに感じた。店主は耳の周り以外が禿げ上がっていて、口の上にだけ髭を蓄えた、全体的に丸っこい顔をした年配の男で、背の低い短い四肢に紺色の前掛けを身につけている。
「だから、金を忘れたから取りに行って来るって言ってるだけだろ。熱くなるなよ」若者の1人が言った。彼らの風態は黒い衣服に鞣革の具足、腰には短剣を下げており、髪を奇抜に刈り上げていたり、目つきが悪かったりと、どこか人を威嚇するような雰囲気を醸し出している。普通の仕事をしているようには見えなかった。
「あんたら、これで3回目だぞ。金を取りに行くなら1人残れ」店主の地声は分からないが、少し上ずっているように聞こえた。
「なんだと」若者達の中でも血気盛んなガタイのいい男が椅子を掴んで脅しにかかる。床に散らばる椅子の破片も彼が撒き散らしたのだろうか。
「なあなあおっさんよ。これからもこの店をやっていきたきゃ、あんまそんな態度は見せない事だな。ここに住んでんだから分からないわけがないだろうに。あんたも家族がいるだろう」
「お前らみたいな奴らの好き勝手には街のみんなうんざりしているんだよ!」店主は精一杯声を張り上げた。
「うるせえ」若者がカウンターのグラスを床に叩き割る。店主は少し怯んだ。
椅子を掴んでいた男が歩き出した。向かった方向はカウンターの折れた先にある扉。「分かんねえなら家族のもんにも話を聞いてもらおうか」
「やめろ」店主がカウンターから乗り出して叫んだ。
「おい」マリアは既に若者達の背後にいた。4人とも気づいておらず、少し驚いた様子だった。
「あ。なんだお嬢さん」ならず者達の目はマリアの腰の剣に移る。
「可愛い顔して何持ってんだ」3人は笑いながらマリアを取り囲んだ。「なんか俺たちに用かよ」
「この街の人間じゃなさそうだな」
「失せろよ」3人は歩み寄って来た。
マリアは剣を抜いた。
3人は少し身体を身構えて、腰に手をやる。
「料金を踏み倒そうとしているのか?」マリアは眉間を寄せながら訊いた。
「なんだ。やるのか。この街ではやめといた方がいいぞ」
「自警団が助けてくれると思ってんのか」
マリアは無言で踏み込んだ。もちろん殺すつもりはなかった。真ん中の男に真一文字に払いをかけると、縦に抜刀した男と鍔迫り合いになる。
しかし次の瞬間、男の剣は砕けた。その場の空気は刹那に停止し、酒場の主人も何があったかと立ちすくんだ。
ならず者達は驚いて、言葉も発さなかった。
剣の破片は木の床の上にバラバラと、生々しい音を立てて落ちた。
マリアは三回斬りをしたが、訓練をされていないようなならず者達にそれが見えるはずもなかった。
「あんた達、後でみんなやっつけに行くから待ってて。帰りなさい」1番背の低いマリアの出す殺気に、さっきまでヘラヘラしていた男達も真剣にならざる得なかった。
思ったより賢いならず者達だった。力量の差を感じ取った3人は、黙ってマリアの側をすり抜けて酒場を立ち去ろうと歩き出した。
店主はその背の低い、幼げな顔立ちの女性を見つめて立ちすくんだ。バックパックや具足で、すぐに旅の者だと見てとった。
先程の扉がおもむろに、軋んで開いた。マリアにはカウンターで、何が戸を開いて出て来たのか見えなかった。
「アンガス!1階に降りて来るなと言ったろ」店主は慌ててカウンターを跨いで走り寄った。「ベニャーラ!2階へ上がれ」店主は折れ曲がったカウンターの向こうに屈み込んだ。
優しいお父さんだなと、マリアは自分の父を想った。
マリアが剣を納めた時、向こうからにゃーと声がした。
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