翔べサクラ

白井直生

翔べサクラ

「無理……穴があったらクライムダウンしたい……」

「いやどんだけ深い穴なのそれ」


 控室の中。緊張に震える声で呟くと、隣に座るクロさんが茶化してきた。


 傍から見たら笑いごとかもしれないけど、オレにとっては全然笑えない。

 心臓は痛いくらいバクバク音を立ててるし、手汗は水の魔法使いかってくらいドバドバ出てるし、膝は人気のコメディ小説を読んだときくらいゲラゲラ笑ってる。


 やっぱり無理だ。なんでオレ、こんなところに居るんだろう?

 正直、今すぐ逃げ出したい。


 結局、この上がり症治らずじまい。いつまで経っても。


「落ち着きなショウ。こういうときは、どうするんだった?」


 言われて思い出した。

 クロさんが教えてくれた、緊張をほぐす方法。


「目を瞑って、十秒片足でバランスを取る……」


 言いつつ目を閉じて、片足を持ち上げる。


 真っ暗だ。油断すると倒れそうな状態に、体の平衡感覚が研ぎ澄まされてくる。

 ただの片足立ちなら何分でもできるのに、目を瞑ると急に難しくなるのはなんでだろう? 何回やっても不思議だなぁ。


 ――一、二、三、四、五、六、七、八、九……十。


「いけそう?」

「……はい」


 目を開けた時には、バクバクもドバドバもゲラゲラも、全部治まってた。

 体の動きに集中してる時、オレの緊張はいつの間にかなくなってる。


『さあ、それでは次の選手です! オーソドックスなスタイルで魅せる、正に”移動術”の達人!

 佐倉サクラショウー!』


 さあ、出番だ。

 駆け出して、フィールドに出る。

 鉄のパイプで組まれたセットと、それを取り囲む観客席。超満員。


 ――最初に、かます!


 駆け出した勢いのまま、右足で踏み切って跳び上がった。

 着地するのは、一メートルほどの高さに設置された直径五㎝のレール。

 二m間隔で設置されたそれに、左右交互に足を乗せていく。


 左、右、左。駆け抜けるようなスピードで三歩を数えたら、そこで一気に大ジャンプ。


 左足でレールを強く踏みつけ、右足と左腕を大きく振り上げる。

 ふわりと体が浮き上がる感覚に、思わず口角が吊り上がる。そして、


 オレの体はレールを一本通り越し、四m先のレールにピタリと着地した。


 拇指球で踏ん張って、腕を振って体を起こす。

 前へ突っ込む勢いを抑え込んで、レールの上でまっすぐ立ち上がったオレに――


『ランプレからの完璧なスティックーッ! いきなりかましてきたー!』


 実況の興奮した声と、割れんばかりの歓声が降り注いだ。

 心臓が高鳴る――けど、今度は嫌な感じじゃない。


 体の動きに集中してる時、

 ――パルクールをしてる時。オレの緊張はいつの間にかなくなってる。


****************


「かわいいー!」


 オレは激怒した。必ず、かの無知蒙昧な輩を除かねばならぬと決意した。

 ――なんて、オレにそんなはないけど。


 そう言われるのが、オレは一番嫌いだった。

 でもそれは、ある意味仕方のないことかもしれない。


 手足が細くて背が低い。肌は真っ白。筋トレしても筋肉は膨らまないし、生まれつき肌が弱いから日焼けは赤くなって痛いばっかり。

 茶髪は地毛だし、ふわっふわの猫っ毛。本当はもっと短くしたいけど、お母さんからのNGで無理。


 そして、パッチリ二重にスラリと通った鼻筋、薄い唇。ほっぺたは「柔らかそう」とつつかれるのが日常茶飯事。実際柔らかい。

 顔が整ってると言えば聞こえはいいけど、


 初めて会った人には、百発百中で女の子だと思われる。そんな見た目。


 何より――


「さッ、……さ、さ、佐倉、しょ、翔、ですっ……よ、よよろしく、お願います!」


 たったこれだけの言葉に噛みまくって。


「あはは、顔真っ赤ー!」

「そんなに緊張しなくて大丈夫だよー!」


 一言喋るたび、一目見られるたび。

 すぐに耳まで真っ赤になってしまうから。


 そんなオレが「さくらんぼちゃん」という不名誉なあだ名を賜るのに、そう長い時間はかからなかった。


 昔からそうだった。人前に出ると、いや誰かに声を掛けられただけで、すぐに顔が赤くなってしまう。いわゆる赤面症ってヤツ。

 さらに極度の人見知りと上がり症で、ぶっちゃけ人とまともに会話できた記憶がほとんどない。


 そんなだから、「かわいい」と言われても「やめて」と言い返せない。ただ顔を赤くするばっかり。

 そりゃ「かわいいー!」と言われ続けるしかない。


 ――それだけなら、まだよかった。いやよくないけど。


「さくらぁ、お前さぁ、調子に乗ってんじゃねぇぞ?」


 そんなことをよく言われるようになったのは、小学校の高学年になったくらいからだった。


 オレの顔はいつも、初対面の男子にウケた後、男と発覚して女子にウケる。

 その年頃になってくると、当然それが男連中にとっては面白くないと。


 お蔭様で殴られたことは何度あったか。筋トレしてても、そもそも体が緊張で強張って反撃できないから意味なし。

 まあ結局、手を出した男子は女子から白い目で見られるから(「こんな可愛い子に手を出すなんて、サイテー!」)、大体は一回で治まるけど。


 その代わり、陰湿なのが増えた。靴を隠されたりとか、まぁよくあるヤツ。


 そんな訳で男子とは仲良くできそうもないし、女子と仲良くすれば男子からより嫌がられる。

 何より女子は、それしか言うことがないの? ってくらい「かわいいー!」を連発するので、仲良くしたいとも思わなかった。


 結果、見事なぼっちが出来上がりましたとさ。



「あっつー……」


 授業が終わると速攻で学校を出て、ガンガン照りつけてくる日差しを仕方なく避けながらせかせか歩く。

 お気に入りの場所に向けて、そそくさと。


 何故冷房の効いた家に帰らないのかと言われれば、家は家で居心地が悪いから。


「本当に女の子みたいで可愛い。翔ちゃんが息子で幸せだわ」


 そんなことを平然と言う人が居る訳で。


 もちろん悪気がないのは分かってる。本当にそう思ってるから言ってるってのは。


 親にくらいは「やめてよ」と言えるけど、恥ずかしがってるだけと思われてまともに取り合ってもらえない。うちのお母さんは、けっこう人の話を聞かないところがある。


「ふー……暑かったー……」


 辿り着いたのは、入り組んだ路地を抜けた先にある、誰からも忘れ去られたような公園。

 高いビルに囲まれているせいで年中日陰なのが公園らしくない。でもそれがいい。


 入口から見て左の奥に錆付いた滑り台。真ん中に遊んだ形跡のない四角い砂場。右の手前にボロボロになった水色のベンチ。見事なまでの寂れっぷり。


 公園に入ると、端の方が割れているそのベンチにだらしなく座り込んだ。

 隣に投げ出した鞄を開くと、ペットボトルを取り出してお茶をごくごく飲む。


「ぷはーっ、生き返るー!」


 なんて親父臭い台詞、クラスの女子が見たら幻滅するだろうな。ぜひしてほしい。


「ま、できたら苦労はしないんだけどさ……」


 人前ではまともに声を出すことすらできない。なんだか、上がり症の症状は年々悪化してる気がする。そんなことを思う中学二年生の夏。


 沈んだ気持ちを追い出すようにため息を吐いて、鞄の中に手を突っ込んだ。

 中から取り出したのは、今読んでる小説。


 この、誰にも見つからない、薄暗くてちょっと涼しい場所で、日が暮れるまで本を読む。

 唯一この時間だけは、心が休まる。


 いつもどおりにページを開いて、物語の世界へ逃げ込もうとした――その時だった。



 カァン。



 甲高い音が聞こえたと思ったら、何かが公園の中に飛び込んできた。

 ちょうどオレの目の高さの辺りを、ものすごいスピードで通り過ぎる影。

 それは音もなく、砂場を取り囲む縁石にピタリと着地した。


「ひっ――」


 喉が引き攣って変な音が出た。思わず持っていた本を取り落とす。


「え!? わ、ごめん! 驚かせちゃった?」


 飛び込んできた何かは――男の人だった。たぶん高校生くらいの。

 見た感じ、背はあんまり高くない。一六〇㎝くらい。ゴツくもないけど、いい感じに日焼けして、腕や脚は引き締まってる。

 顔は純朴そうっていうか、目がくりっとしていて、けっこう可愛い系かも。……男と認識できる範囲で、だけど。


 その人はオレに気がつくとこっちに歩いてきた。反射的にベンチの上で縮こまる。


「ごめんごめん、まさか人が居るとは思わなくて……俺もまだまだだなぁ」


 そして、「はい」とオレが落とした本を拾って手渡してくれた。

 おっかなびっくり本を受け取る。「ありがとうございます」はやっぱりちゃんと言えなかった。


「大丈夫? 顔真っ赤だけど、熱中症だったりしない?」


 それはいきなり近寄られたせいです――と言うこともできず、こくこくと頷く。「そっか」と若干心配そうな顔をしてるけど、その人は引き下がる。


「ならいいけど。ホントごめんね、びっくりさせて。

 ……ごめんついでなんだけど、ここ、ちょっと使わせてもらっていい?」


 そう言って、その人は公園を指し示した。

 いいも何も、ここは公園で、誰でも使っていい場所で、オレに「使うな」なんて言う権利は全くない。

 頷いてみせると、その人は「ありがとう」とニッコリ笑って砂場の方に駆けていった。


 ――使うって言っても、何するんだろ?


 見たとおり、この公園には遊具なんて全然ない。広さもせいぜいタテヨコ十メートル。

 子どもが遊ぶにしても物足りないのに、このお兄さんは一体何をするつもりなんだろう。


 気になってチラチラ見てみると、何やら入口の車止めと砂場を行ったり来たりしている。

 コの字を伏せたような形の金属に足を掛けたかと思えば、そこから砂場の縁石まで変な歩き方をしたり。


 変な歩き方というのは、左右のかかとと爪先をくっつけながら歩いているのだ。ぴったり足一個分ずつ歩いている、って言えばいいのか。「一、二、……」って声を出しながらやっているから、もしかして歩数を数えてるのかも。


「よし、行けるかな」


 その人は呟くと、公園の奥に立って砂場を睨み付けた。

 そして――砂場に向かって、大股で走り出す。


 砂場の縁石を左足で踏みつけてジャンプ。

 右足で反対側の縁石に着地。

 そしてそのまま、車止めに向かって大きくジャンプした。


 カァン。


 お兄さんは車止めに両足の足裏をぶつけて、甲高い音を鳴らした。

 そのまますぐに、車止めの手前に着地する。


 ――は!?

 いやいやいや、は!?

 何それヤバい。え、めっちゃ跳ぶじゃんこの人。何者? っていうか何してんの?


 縁石までの距離は……大体四mくらい。その距離を跳ぶのも凄いし、車止めの細いレールに飛び乗ろうとするのも頭がおかしい。


「うーん、スティックは厳しいかな……細いなーコレ。いや、頑張れば行けるはず……」


 でもお兄さんは首を捻ってる。どうやら何か満足いかないらしい。

 何かを確かめるみたいに足で車止めを軽く踏んで、ぶつぶつ呟いて。


 それからお兄さんは、何度か同じことを繰り返した。

 公園の奥から走って、砂場の縁石から縁石へ、縁石から車止めへ。

 そして繰り返すこと五回目にして、


 カァン。


 うわ、すご! 何それ!

 お兄さんは車止めに着地して、なんとその上にまっすぐ立ち上がった。

 クララが立った! ってくらいの衝撃。ああ神々も照覧あれ! って感じ。


「おっし!」


 ガッツポーズをしながら飛び降りるお兄さんを見て、オレが思ったのは。


 ――カッコいい。カッコいい!


 その身体能力が――じゃなく。

 その技術が――でもなく。


 一つのことに真剣に打ち込む、その姿勢が。真剣な横顔が。


 たまらなく、カッコよく見えた。


「やってみる?」


 夢見心地でその光景を眺めてたら、お兄さんは突然こっちを向いて、そう訊いてきた。

 驚いたけど、それはとっても嬉しくて、とっても魅力的で、オレは思わず頷いて、


 ――その後慌てて首を横に振った。

 いやいやいやいや。


「なんで? あ、もしかして」


 首を傾げたお兄さんは、ぽん、と拳で掌を打って。


「自分にはできない、とか思ってる?」


 ズバリ言い当てられた。おずおずと頷いて応える。

 そんなオレにお兄さんはニッコリ笑って、こう言った。


「大丈夫、できるよ」


 そんなこと言われても、信じられない。

 でも……でも、もしも。


「ほっ、…………ほん、とうに……?」


 絞り出した声はどうしようもなく震える。

 でも、もしも。

 もしも、こんな――こんな、女みたいなオレにでも、できるんだとしたら。


 そんな淡い期待を、お兄さんは力強く肯定してくれた。


「本当に。男でも女でも、三歳の子どもでも七十歳のおじいちゃんでも、コンビニの店員でも大統領でも、なんだったら火星人でも土星人でも。

 誰にでもできるんだよ――『パルクール』ってのは!」


 ――中学二年生の夏。

 忘れもしない、パルクールとの出会いだった。


****************


「そうそう、いい感じ。飲み込み早いね」


 それから約十分。オレはお兄さんの指導を受けていた。


「そうだな、後は……腕の振り方かな。着地する前には腕を後ろに戻しといた方がいいよ」


 早速、砂場の奥からダッシュして、車止めに向かってジャンプし――なんてことはなくて。


「もう一回やってごらん」


 言われて、少し後ろに下がる。砂場の縁石から、一歩、二歩。

 そこからちょこんと、縁石に飛び乗った。


「そうそう! でも今は膝がちょっと前に出ちゃったから、お尻を落とすようにしてみよう」


 まずは、狙った位置に飛び乗る技術――『プレシジョン』、っていうらしい――を教わっていた。お兄さんがさっきやってたのは『ランニングプレシジョン』(略して『ランプレ』)といって、その応用だとか。


 実際にやってるのは、砂場の縁石に何回も飛び乗る、超地味な練習。

 ――なんか、思ってたのと違う。


 パルクール、それ自体は聞いたことがあった。なんかYouTubeとかで街中を飛び回ってるアレ。

 アレの練習がコレだって言うんだからびっくりだ。


 曰く、


「パルクールでは、絶対にいきなり新しいことをやらないこと。新しいことに挑戦する前には、必ず一個前の動きを完璧にしてから。じゃないと絶対に怪我するから」


 無謀で命知らずなぶっ飛んだ人たち――そんなイメージの真逆を行く言葉だった。

 お兄さんも優しくて丁寧だし。パルクールやってる人って、もっと怖い人たちかと思ってた。


「うん、いい感じだから次の動きにいこうか。今度は、片足を振って跳んでみよう」


 そう言って、お兄さんは実演してくれた。左足を前に振りながら、やっぱりちょこんと縁石に着地する。


「じゃあ、やってみて。今までのポイントも忘れないように」


 えーっと……片足を振って跳ぶ。着地する場所をしっかり見て、腕をちゃんと振って跳んで、空中で膝を胸に近付けて、その時腕を後ろに振り戻して、足を伸ばして着地して、足首と膝で柔らかく、腰を落として衝撃を吸収。あ、着地する時は拇指球で。それから腕を前に振って体を起こす。


 ――考えること多すぎ!


「あ、」


 混乱したまま跳んだら、ちょっと跳びすぎた。拇指球じゃなく、かかとで着地してしまう。

 ちょっとやらかしたな、と思っていたら、


「おー、今のは危ないから気を付けよう」


 思ったより強めに注意された。


「ああやって跳びすぎると、足が滑った時にどうしようもないでしょ。滑りやすくもなるし。跳びすぎると本当に危ないから、基本的にはちょっと足りないくらいのほうがいいよ」


 それに、と実演するお兄さん。

 ちょっと跳んで、縁石を踏んで、すぐ手前に落下する。


「足りなくても、こうやって足を当てて戻れるし。もしこれを高いところでやるとしたら、足りなくても手は前に出せるから乗ろうとしてた場所にしがみつけるでしょ。でも、跳びすぎたらもうどうしようもないから」


 ああ、そう言えば最初にお兄さんもやってたな、と思い出す。


「一回やっておこうか。安全に失敗する技術を身に着けておくのも、パルクールでは大事なことだから」


 なるほど。

 という訳でやってみた。

 ちょっと短めに飛んで、縁石に足を当てて、手前に落ちる。


「うん、いい感じ。もう二、三回やっとこっか。届かないなと思ったときに咄嗟に出せるように」


 お兄さんの説明は、丁寧だし理由まで説明してくれるから分かりやすい。


「うん、OK。じゃあ、また続きをやっていこう」


 一つ一つ、ステップを踏んで練習していく。覚えることも考えることも多いけど、少しずつ自分の動きが洗練されていく感じがして、なんだか楽しい。


 縁石に着地する練習。片足で跳んで着地する練習。そこに一歩助走をつけて。そこから助走の歩数を増やして。

 そして――


「いや、本当に飲み込み早いな。っていうか真面目なのか。

 ここまでできれば、この間くらいならもう跳べるよ」


 と、お兄さんは砂場を指差す。

 砂場の縁石から、反対側の縁石まで。距離は大体二m。


「え……」

「大丈夫、補助付くし、失敗してもさっきの当て方ができれば絶対に怪我しないから。まずは軽く跳んで距離感を掴むところからやればいいよ」


 一瞬戸惑うけど、お兄さんに促されるがままに動く。

 言われたとおりに練習して、ちょっとずつ自信が出る。


 ――自信なんて感じるの、いつ以来だろ。


 そんなことを考えながら。


「よし、もう絶対いける。やってみよう! 倒れても絶対助けるから!」


 いよいよ、本番。


 公園の奥に立って、砂場を睨み付ける。

 手前の縁石。あそこで踏み切って。

 反対側の縁石。あそこに着地する。


 もし失敗したら? そんな不安が一瞬よぎるけど、失敗したときどうすればいいかも教わった。

 大丈夫、できる。お兄さんを信じて。


 ――よし。


 ゆっくり、助走を始めた。

 最初から全力で走るんじゃなく、加速中に踏み切れるように。それもお兄さんが教えてくれた。


 徐々にスピードを上げて、最後の三歩は一気に駆ける。

 左足が、縁石をしっかりと踏みつけた。

 ビビるな。翔べ! サクラ。


 右足と左腕を大きく振り上げる。

 ふわりと体が浮き上がる感覚に、思わず口角が吊り上がる。そして、


 オレの体は宙に舞い、二m先の縁石にピタリと着地した。


 拇指球で踏ん張って、腕を振って体を起こす。

 前へ突っ込む勢いを抑え込んで、縁石の上でまっすぐ立ち上がったオレは――


「できたっ!」


 思わず、そう叫んだ。お兄さんも「おおおー! 完璧!」喜びの声を上げる。


 嬉しい。こんなに嬉しかったの、本当にいつぶりだろ。楽しい、やった!

 バッとお兄さんの方を向いて、目が合って、喜んで、ハイタッチして、それで――


 ふと我に帰って、急に顔が熱くなった。


「え、また顔真っ赤だけど大丈夫!? 水分摂りな!?」


 ――いや。逆にここまで赤くなってなかったのが不思議だ。

 もしかして、練習に……パルクールに、夢中になってたから?


 だとしたら……だとしたら。


 そんな風に考えてたオレに、お兄さんが一言。


「ナイスジャンプ。――


 今度こそ、顔から火が出たと思った。

 その言葉は、純粋に、今まで言われたどんな言葉より嬉しくて。


「ま、」


 思わず、オレは口を開いた。


「また、教えてっ……くれますか?」


 パルクールなら、もしかして。

 そんな風に思ったから。


「いいよ! こんな真剣に練習してくれた子、他に居ないし。絶対上手くなると思う!」


 お兄さんは、満面の笑みで答えてくれた。


「……そう言えば、まだ自己紹介してなかったね。パルクールアスリートのクロです。よろしく!」


 そう言って差し出された手を、おずおずと握り返す。


「さっ……佐倉翔です! よ、よろしくお願いしますっ!」


 なんとか自己紹介を返すと、クロさんは何か考え込んで。

 ――あ、これ、もしかして。


「オッケー、ショウね。……めっちゃ男の子みたいな名前だね」

「……男! ですっ!」

「え、マジ!?」


 やっぱりそうか、って。

 珍しく、オレは笑って否定した。


****************


『――優勝おめでとうございます、クロさん。今の心境をどうぞ!』

「メチャクチャ嬉しいです!」


 めっちゃシンプルな答だなぁ。

 隣でそんな風に思う。クロさんは、大体いつもこんな感じだ。

 でも、その日はいつもと違った。


「今回は正直、負けたかもしれないと思ったので」


 そう言って、オレに視線を向ける。

 どきり、と心臓が跳ねた。


『そう言えば今回は、初の師弟対決でしたね! サクラさんも二位と大健闘でした』

「はい。本当に、何ていうか……メチャクチャ嬉しかったです。ショウと同じ舞台に立てたのが。自分が教えてた生徒といい勝負ができるっていうのは、何だろう……メチャクチャ嬉しいですね」

『とにかく嬉しかったんですね!』


 司会がクロさんの語彙力のなさを茶化して笑いを取る。

 でも、オレはそれどころじゃなくて。

 だって、そんな嬉しすぎること言われたら。こちらこそ、どころの騒ぎじゃない。


『じゃあ、そんなサクラさん! 一言お願いします!』


 そう言ってマイクを向けられて、


「…………っ」


 オレは、ひどく赤面した。

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翔べサクラ 白井直生 @naonama

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