第105話 こんにちは赤ちゃん その2

「うまれたの!?」


 俺の足元を、パタパタ走る者がいる。

 誰かと思ったら、地竜の子どものディーンだ。


「ぼくおにいちゃんになっちゃうねえ」


 尻尾をパタパタ振ってそういうことを言われるとキュンと来るな……!


「そうですねえ。お兄ちゃんとしてがんばるですよ! クルミはいちばんすえっこなので、お兄ちゃんやお姉ちゃんにはおせわになったですよー」


「へえー!」


 ディーンと目線を合わせたクルミが、仲良くお喋りしている。

 我がパーティでも末の妹みたいな立場のクルミだが、ディーン相手にはちゃんとお姉ちゃんができているな。

 よきかなよきかな。


「クルミさん、子どもの相手をするのも得意ですからねえ」


 アリサが微笑みながら言う。

 おや? モフモフではないからディーンには反応しないのか。

 スタンスが一貫してるな……。


『ちゅちゅっ!』


 俺のポケットからローズが顔を出し、クルミのところへ走っていった。

 そして肩の上まで駆け上がると、ディーンに向かってフンス、と鼻息を吹きかける。


「ちっちゃーい」


 ディーンが目を丸くする。


「ローズ、どうしたですか?」


「クルミがディーンと仲良くしてるから嫉妬したんだろうな」


『ちゅちゅーっ!』


 ローズはクルミにピトッとくっつき、俺のものアピールをする。

 だが見た目が小さいネズミみたいなものだからなあ。

 微笑ましくしか見えない。


「いつになったら赤ちゃんあえるかなー」


 ディーンが屋敷の扉をペタペタ触っている。

 これらの言動だけなら、彼はまるで幼い男の子のようだが、見た目は翼に尻尾がある三頭身のドラゴンだ。


 ブランやドレで、強大な力を有するモンスターが人の言葉を解するのに慣れていないと、混乱してしまいそうな光景だな。


「さて、男爵夫人の調子が落ち着いたらではないかなあ。赤ちゃんも生まれてすぐは大変だろうし」


 そこら辺りは詳しくないが、多分そういうものだろうと思っておく。

 ジーッとクルミがこっちを見てくるので、絶対向こうは意識してるし。


 意識していることを隠そうともしないな……!


「センセエセンセエ! センセエはー、やっぱり赤ちゃんができたらー、みんなに見せたいですか? クルミはですねー」


「う、うわー」


 俺は思わずその場から逃走した。


「あっ、センセエー!」


 今までにくぐってきた修羅場を凌駕する、恐ろしい状況だった……!

 ここは戦略的撤退だ。




『わふん』


「追ってきていたのかブラン!」


 俺は今、男爵領にある神殿に身を潜めていた。


 アドポリスやイリアノスにおける宗教施設の名前は教会で、セントロー王国や近隣のシサイド王国における名前は神殿なのだ。

 これは、祀っている神の性質による。

 俺達の神は、遠く世界の外からやって来て人を救おうとするラグナ神。


 セントロー王国の神は、土着信仰が昇華されたもので、精霊神。

 この違いだ。


「まあ、おっきなワンちゃん!!」


 神殿を任されているという女性神官が、ブランを見て驚いたようだ。

 まだ若い彼女だが、ビブリオス男爵領が開拓された時、冒険者として偶然この地を訪れ、男爵と協力してここに信仰の礎を作ったのだそうだ。

 これは凄いことだ。

 なぜなら、ワイルドエルフは精霊そのものを信仰している。そんな彼らが支配する森の目と鼻の先で、別の信仰を行うわけだからだ。


 実際、最初はエルフから良くは思われていなかったらしい。

 これらは全て開拓期に書いてあった。

 既に二回読み返したぞ。


「ジーンさんがですね、神と呼ばれる古のゴーレムと戦ったんですよ。その時に、私たちとワイルドエルフのみんなが協力しました。絆が生まれたのはそこからですね! 吊り橋効果というやつです」


「ちょっと違わない?」


 サニー神官は少しずれたことを言う人だった。

 だが、しばし匿ってもらえるのはありがたい。

 この静謐な神殿で心を落ち着けよう。


『わふふん?』


「あらワンちゃん、神様に興味があるんですか? そうなんですよー。ちょっとだけ森から精霊の力を借りてるから、ここで奇跡を使うとちょっと大きい力が発揮できるんです」


 ブランと話が通じないだろうに、会話みたいなことをしてるな。


 さて、問題は俺だ。

 クルミが男爵領に来てから、猛烈に攻勢に入ってきている。


 というのも、自分に似たようなポジションであったという、男爵夫人と出会ってしまったからだろう。

 彼女に、将来の自分を投影したのではないだろうか。


 これは、今までのようにのらりくらりと躱すわけにはいかなそうだ。

 俺としては、冒険者みたいな不安定なポジションで身を固めるなんてありえないと思っていたのだが、よくよく考えたら一生暮らせるだけの金はラグナスでの仕事でもらっていたな……。


「まさかこれは、俺に引退して静かに暮らせという天啓のようなものなんだろうか。ぐぬぬ……。思い返せばあの時、ゼロ族の村を救うためにクルミを連れて行った時に全てが始まっていたというのか。いや、間違いなくあそこで始まってるな、うん。あそこで村長を選べば今のように悩むことは……いやいや、それはそれで俺が今のようなそれなりに名を知られた冒険者、と言うポジションになることはなかった気がする。そもそも、その状況でショーナウンと戦って勝てたか? むう……。運命とは上手いこと繋がっているのかも知れない……」


「あら、あなたのご主人さま、瞑想を始めてしまいましたねえ」


『わふわふ』


「そうですねえ。人生には静かに物思いに耽る時間が必要ですし。そっとしてあげましょうか。私はナオの赤ちゃんを見に行ってきますから、神殿は任せますよワンちゃん!」


『わふん!?』


 ブランの驚く声が聞こえた気がする……。


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