終章 鷹と修繕師
終章 鷹と修繕師
「……ここにおったのか、ジーク」
背後から投げかけられた師の声に、けれどもジークは答えなかった。一顧だにしない弟子を咎めるでもなく、下草を踏んで歩み寄ってきたムジカは、ジークの隣で立ち止まり、静かに天を仰いだ。
「お前のお蔭で、チセさんの姉――シンシャさんか。彼女も目を覚まし、囚われていた修繕師たちも、混成種たちも、無事脱出を果たした。なのにお主は、何をそれほど塞ぎ込んでおる?」
「……別に、落ち込んでなんか、」
呟くジークの内心を見透かしているのであろう師は、的確に、遠慮なく、核心を突いてきた。
「――おおかた、あの白銀の少女のことを気に病んどるんじゃろう? ……ジーク、よく聴け。わしらは万能ではない。いくら手を尽くしても、この世のあらゆるものは、いずれ土に還る」
「そんなこと、嫌というほどわかってるさ」
全てを救えるなんて、大それたことは思っていないし、願ってもいない。
ただ、この手の届く範囲に、あるものくらいは。
――手を差し伸べたいと、力を貸したいと、思ってしまうだけで。
「……修繕しても、結局すべてが、消えてしまうなら。――修繕師は、いったい何のために、いるんだろうな」
顔の前に手をかざし、そこから零れ落ちてしまった、様々なものを想う。
――父と母を。エレオノールとユーディスを。それからあの、白銀の少女を。
「何を言っても、今は虚しく聞こえるじゃろうが――わしらは、あらゆるものに込められた想いを、未来へと繋ぐ者。ゆえに、自らを〝
ジークは、答えない。
ただ、黙して、白銀の少女が託した願いを、言葉を、想う。
「ジーク、声を聴け。耳を澄まし、そのものに宿る意志を知れ。まだ生きたいと叫んでいるならば、単に無理だと諦めているだけならば、その手で希望を見せてやれ。……もし、もう眠りたいと訴えているならば――今までよくやったと労ってから、安らかに旅立たせてやれ」
深い声で、独り言のように呟いたムジカは、ぽん、とジークの肩を叩き、静かに踵を返して去って行った。
「……らしくないこと言うなよ、じじいのくせに」
ぽつりと口から零れ落ちた悪態には、我ながら覇気が感じられなかった。
はあ、と息を吐き、憎たらしいほどに蒼い、澄み切った空を見上げる。
(――わかってるよ。あいつが、あれ以上生きることを、望んでいなかったことくらい)
凪いだ湖面に映る満月のような、澄んだ黄金の双眸を、想い出す。
満ち足りた、穏やかな表情を。白い花のような、微笑みを。
だから、死んでほしくなかったという願望は、単なる自分の我儘で、それを他者に強いることなどできないと、ジークも理解していた。悟っていてもなお、ひりつくような痛みは、胸の裡から消えなかった。――きっと一生、忘れられないのだろう。
「――チセ? どうした、何かあったのか?」
再び背後に気配を感じたジークが呼びかけると、足音を忍ばせていたチセは、何でわかっちゃうかなあ、とぼやきながら駆け寄ってきた。そのままジークの隣に腰を下ろし、琥珀の瞳で天を仰ぐ。
「ううん。――ジーク、ありがとうね。おかげさまでお姉ちゃんも起き上がれるようになったし、もう少ししたら、歩けるようになると思う。……それでね、」
「ああ」
一呼吸置いたチセの次の発言を予期したジークが、これでこいつとの長いようで短い旅も終わりなのか、と漠然とした感慨のようなものを抱いていると。
「――わたしを、ジークの、弟子にしてください!」
あまりにも想定と異なる台詞が飛んできて、思わずジークは「は?」と隣のチセに顔を向けた。すると、みるみるうちにチセが頬を膨らませ、「ひどい」とジークを詰ってきた。
「ジーク、ひどい! わたしは意を決して言ったのに、は? って言った! ひどい!」
「え、いや待て……俺はてっきり、今までありがとう、とかこれからも元気で、とか、そういう挨拶に来たものかとばかり、」
まずい、これを言ったら逆効果じゃないか、と喋りながら気付いてはいたが、焦る口からは、思考がそのまま滑り出ていた。案の定、チセは眉を逆立てて、さらにジークに詰め寄ってくる。
「ひっどーい! なにそれ、なにそれ、なにそれ! ――わたし、ジークの弟子でいちゃいけないってこと? もうこれ以上ついてくるなってこと?」
「いや、違う! そうじゃなくて! ……姉貴とせっかく再会できたのに、水入らずで過ごさなくていいのか?」
「もちろん、お姉ちゃんも一緒だよ?」
首を傾げるチセに、こいつははたして「水入らず」の意味をわかっているのか、と不安になりつつ、念を押すように、もう一度尋ねる。
「えーと……姉貴と二人で、色々話したりとかしなくていいのか?」
「もうしてるもん。……ジーク、本当に嫌なら、はっきり言って」
大きな琥珀の瞳が、まっすぐに、ジークを射抜く。
嘘偽りは一切見逃さないし赦さない、と言わんばかりのそのまなざしに、苦笑しつつ、答えを口にする。
「――別に、嫌じゃない」
「そう? よかった! ……まあ、嫌だって言われても、勝手についていくだけだけど」
「……何で、そこまで?」
純粋に不思議だったので訊いてみると、チセは「約束したから」と、大人びた微笑を浮かべた。
「え、何かあったか? というか、誰との約束なんだ?」
「内緒。――ねえ、ジーク」
不意に居住まいを正したチセが、どきりとするほど深いまなざしで、ジークの目を、覗き込んでくる。
「……わたしは、わたしとお姉ちゃんは、間違いなく、ジークに救われたよ。本当に、本当に、ありがとう。――だから、そんなに哀しまないで。シェリエさん、最期に言ってたよ。最後に逢えたのが、お前たちでよかったって。……ありがとう、って」
その瞬間、こらえようもなく、目から、熱いものが溢れた。
チセは黙って、ただそっと、ジークの頭を、抱き締めるように引き寄せた。
「シェリエさんと、アーキェルさんの、想いを繋ぐために。わたしも何か、自分ができることをしたいの。……ジークも、手伝ってくれる?」
きっとこれからも、自分の手から、数多のものが、零れ落ちてゆくのだろう。
けれど。――零れ落ちた掌の中にも、確かに、残るものが、あるのだと。
何もかも最後には消えてしまうとしても、想いだけは、脈々と繋がってゆくのだと、その時ジークは悟った。
「……当たり前だろ。俺は――――お前の、師匠なんだから」
涙を拭い、先に立ち上がったチセがこちらに差し伸べた手を、強く、握る。
まばゆいばかりの笑みを浮かべた鷹の少女の横に並び立ち、ジークは、ゆっくりと歩き出した。
ただひたすらに、前を、見つめて。
了
鷹と修繕師 空都 真 @sky_and_truth
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