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結局ほとんど一睡もできないまま朝を迎えたジークの前に現れた取締官は、いつもと違う様相を呈していた。――端的に言えば、両の手にこんもりと、書物の山を抱えていた。
「所望の品は揃えたぞ。今日一日だけ時間を与えてやるから、死ぬ気で覚えるんだな。……鼠風情に、どこまでできるかわからんが」
その言葉に、眠気に襲われていたジークの意識は、一気に覚醒する。まさか待ちに待っていた情報が、こんなにも早く集まるとは思ってもみなかったからだ。
何よりこれだけ書物があれば、昨夜チセが届けてくれた冊子も、どさくさに紛れて大っぴらに読むことができる。絶好の機会だ、とにんまり笑みを浮かべたい気持ちを堪え、ジークはどうにか殊勝な表情を形作った。
「はい、心して読ませていただきます」
取締官の無機質な視線を正面から受け止めて告げると、やがて興味を失ったかのように、ふい、と顔を逸らされた。これで面倒な用は済んだとばかりに、取締官は足早に廊下を戻って行く。
「じゃあ、手分けして漁るとするかの」
「ああ。じゃあ、こっち半分を頼む」
携帯食料とほぼ変わらない硬さの干し果物を食いちぎりつつ、ジークは片手でぱらぱらと頁を捲っていった。
(『混成種のすべて』――『混成種とは』『混成種はなぜ造られたのか』『参考:二大国の歴史』『危険な能力に迫る』……だめだな、こりゃ)
目次を流し見て、今回の修繕に直接役立ちそうにないものは脇に避けていく。隣で同じ作業を行っているムジカと二人、淡々と手を動かしていると、ほどなく選別作業の終わりが見えてきた。
「じじ――お師匠様、そっちはどうだった?」
……分厚い本の角を、こちらに向けて振りかぶるのはやめてほしい。
「二冊じゃの。お前はどうじゃ、ジーク?」
「俺の方は三冊。……一日あれば、余裕そうだな」
「ふむ、そうじゃの。では早速、読み込むとしようか」
現存する設計図に仕様書、取扱説明書の類をほぼ暗記してから作業に臨む仕事柄、二人とも文字に目を通すのは早い。知らぬ間に運ばれていた昼食が冷め切った頃には、ジークもムジカも、自分の目の前に置いていた書物をほぼ読破していた。
「どうじゃ? 何か収穫はあったか?」
「今の所、ほとんどないな」
「ほほう、要するにちょっとした発見はあったわけか」
「一冊だけな。この『混成種生態学大全』の中に、解剖図と治療法が少しだけ載ってた。――今回の修繕の役に立つかは、微妙だけど」
「では、残りの一冊が頼みの綱というわけか」
「ああ。――じじい、悪いがちょっと知恵を貸してくれ」
嘆息するムジカにひそかに目配せすると、心得た、とばかりに師は小さく頷いた――かと思いきや、わざとらしく広げた片手を耳に当てて、首を傾げた。
「すまんな、最近めっきり耳が遠くてのう」
「お師匠様、浅学の私めに、どうかお力添えをいただけないでしょうかっ!」
どうやら、意地でもじじいとは呼ばせないつもりらしい。
半ば自棄になってジークが叫ぶと、ムジカは満足そうに何度か頷いた後、ジークの隣、すなわち
他の書物の陰に隠すようにして、チセが届けてくれた、古い冊子の頁を開くと、ひときわ古い紙と埃の匂いが、ふわ、と鼻先を漂った。
「――うわ、これ古代語じゃねえか。じじ、……お師匠様は、読めるか?」
「わしを誰じゃと思っとるんじゃ? これくらい朝飯前よ」
さながら至らぬ弟子に教えを垂れる師のごとく、得意げに。どこか誇らかな口調で、ムジカは冊子の内容を読み上げていった。
「どれどれ……。『緑の月、七日。新しい仕事を命じられた。人類を救う、新たな生命体を造り出してほしいと。神をも恐れぬ所業だが、心惹かれる自分が存在するのも確かだ。さて、どうしたものか』――おいジーク、まさかこれは、混成種の生みの親の日誌か? だとすれば、とんでもない大発見じゃぞ」
「いいから、早く続きを読んでくれ! 取締官どもに見つかって、取り上げられたら仕舞いだぞ」
「おおすまん、つい興奮してしもうたわい。――『青の月、十日。今日から新しい仕事が始まった。無論失敗ばかりだが、だからこそ取り組み甲斐があるというものだ。この仕事が成功すれば、多くの命を救えるかもしれない』……そもそも混成種は、戦争のために造り出された兵器では、なかったとでもいうのか?」
「続き!」
「まあそう急ぐな。……『黒の月、十六日。ついに、最初の一人が完成した。〝エル〟が目を開けた瞬間の喜びは、筆舌に尽くしがたいものだった。私に話しかけてくる姿は、わが子のように愛おしく、戦地に送り出すのが忍びないほどだ。どうか、多くの人々の役に立ってほしい』……ふむ。
『白の月、二十日。〝エル〟が死んだ。……殺されてしまった。戦地に薬を届け、緑を取り戻すだけの無垢な存在が、なぜ? 何一つとして、彼女に罪はなかったのに』――ここから、少しずつ筆跡が乱れてきておるな。
『灰の月、二十五日。もう、新たな存在を造る気はない、と告げたが上官たちは聞く耳を持たない。もうあんな思いをするのはこりごりだ。だが、一度始めた仕事を放り出すわけにはいかない。……今度こそ、生きて戻って来てほしい』……ここから一気に続けるぞ。
『黄の月、二日。最低限身を守るための因子を植え付けたことが功を奏したのか、〝ニナ〟は、無事に帰って来てくれた。任務も無事に果たしたらしい。本当によかった』
『銀の月、七日。〝ニナ〟と〝ニコル〟と〝アズール〟が、死んでしまった。――身を守る術を身につけさせたのに、どうしてだろう。決まっている、理由は明白だ。敵軍が、目障りな彼女たちを、彼らを、狙い撃ったからだ。ご丁寧に、上官はそう教えてくれた。……もうたくさんだ。生まれた子どもたちが殺されてしまうのは、もう、まっぴらだ』
『赤の月、八日。〝ラズリア〟が誕生した。己の身を守るための外装甲代わりの甲角虫の因子と、己が身に危機が迫った時に迎撃するための蒼礫獣の因子を組み合わせる。これで、今度こそ、無事に戻ってきてくれるはずだ』
『紫の月、十三日。〝ラズリア〟は、無事帰還した。――大勢の、敵兵の返り血に塗れて。上官たちは〝ラズリア〟の強さを口々に褒めたたえたが、私は内心ぞっとした。……私は、誤った道に、知らぬ間に踏み込んでしまっていたのではないか、と』
『青の月、九日。……〝ラズリア〟が、戦死した。一番長く、私の下に戻って来てくれていたあの子が、死んでしまった。なぜ死んでしまったかは、明白だ。――戦が、続いているからだ。戦が終わらない限り、その渦中にいる者の命は、無為に散らされるばかりだ。私はとうとう、その事実を思い知った。――だから、戦を、必ずこの手で終わらせる。無残に殺された、あの子たちのためにも』
『金の月、三日。――ついに、この大戦に終止符を打つ時が訪れた。演算宝珠二つに、神代の遺産と謳われる竜骨因子を組み込んだ究極の存在が、誕生した。神話の竜姫になぞらえて、〝シェリエ〟と名付ける。黄金の双眸を〝シェリエ〟が見開いた瞬間、その存在のあまりの神々しさに、私は圧倒されて思わず息を呑んだ。創造主たる私にとっても、想定外の事態だ。はたしてこの存在を、私たちは、従えることなどできるのだろうか?』
『銀の月、十五日。〝シェリエ〟は生まれながらに誰よりも賢く、そして強かった。彼女は初陣で敵軍を壊滅に追い込み、今や最強の兵器の名を恣にしている。だが、彼女は戦うことに、思い悩んでいるように思えた。情緒面においても、今までの子たちよりも、遥かに人間に近いようだ』
『白の月、二十二日。〝シェリエ〟に、もっと自分を強化してほしいと頼まれる。なぜかと問うと、貴方をこれ以上哀しませたくないからだ、と告げられた。絶句する私を見て、〝シェリエ〟は微笑んだ。――人間と、全く変わらない笑みだった』
『緑の月、十日。他の子どもたちは相変わらず戦死していくが、〝シェリエ〟は、三年が経った今も、私の下に帰って来てくれる。……それがどれほど、救いになっていることか。最近、しきりに彼女は、この戦が終わったら、何をしたいかと問うてくるようになった。きみはどうか、と尋ね返せば、黙り込んだ後、少しだけ頬を染めて、貴方と世界を巡ってみたい、と呟いた。その横顔は、可憐な、ただの少女そのものだった』
『黄の月、五日。〝シェリエ〟の活躍のお蔭で、ようやく戦の終わりの糸口が見えてきた。世界を巡る旅に出るという約束を、果たせそうだと思っていた矢先に、不穏な噂が耳に入った。――どうやら私は、投獄されるらしい。考えてみれば当然だ、〝シェリエ〟に懐かれている私は、終戦後は邪魔な存在でしかない。私を殺し、直接〝シェリエ〟を操れる方が、都合がいいに違いない。――身勝手にも、彼女を道具扱いすることに、激しい憤りを覚える自分がいることに、驚く』
『黒の月、二十四日。正真正銘、これが最後の日記になるだろう。明日、私は投獄され、やがて処刑される。――どうか、〝シェリエ〟が無事であるように。私の死を知っても、哀しまないように。それだけを、祈っている。……私は罪深い人間だが、どうか同胞たちよ、彼女たちを救ってくれ。――救いたかったはずの世界を壊してしまった私の代わりに、願わくば、この世界を修繕してほしい』」
これで終わりのようじゃ、とムジカが締めくくるように呟き、牢の中に、長い、沈黙が落ちる。
「……この日誌の、持ち主の名は? 書いてないのか?」
「うむ、最後に記してあるようじゃが、かなり掠れていての……ア、から始まる名であることくらいしかわからん」
「そう、か……」
怒涛のような情報量と、綴られた内容の凄まじいまでの重苦しさに呑まれて、それ以上二の句が継げなかった。しかしジークの脳裏には、もしかして、と一つの仮説が、徐々に浮かび上がってきていた。
「なあ。……この日誌によると、〝シェリエ〟には、二つの演算宝珠を組み込んだって書いてあるよな。おそらくこの演算宝珠は、
「……どういう意味じゃ? 核結晶なぞ、現代の技術では創れまい」
すぐさまごもっともな指摘をした師に、ジークはゆっくりと首を振った。
「ああ、創るのは到底無理だろう。――でも、同じ第Ⅰ種から、核結晶を移植すればどうだ?」
「……なるほど、それで〝
苦々しい面持ちで吐き捨てたムジカに頷き、ジークも暗澹たる想いが胸の裡に立ち込めていくのを自覚する。
発見次第、無条件に狩れとされていた、第Ⅰ種は――おそらく生贄として、この施設に集められていたのだ。
ある者は、臓器を。またある者は、血液を。供物として、あの少女に捧げるために。
核結晶の存在を知らぬ取締官たちの手によって、少女を復活させるための実験台として、捕縛された数多の者が、犠牲になったはずだ。
(そんな身勝手が、これ以上まかり通っていいわけがない。――チセの、姉貴は……無事、なのか?)
被検体に選ばれ、施設から逃げおおせるほどの力を誇ったという、赤い髪の少女は、今、どこにいるのだろうか。
ぐ、と懐を握り締めると、衣の中に隠した首飾りが、内側から存在を主張してきた。
「――師匠。頼みがある、俺に力を貸してくれ」
エレオノールに、チセに、託された翠玉を、祈るように掴んだまま。
ジークは己が師に深々と頭を下げ、助力を乞うた。
「無論、かわいい愛弟子のためなら、いくらでも手は貸してやる。――その代わり、高くつくぞ?」
「上等だ。三倍返しにしてやるよ」
にっと不敵な笑みを浮かべ、三本指を立てて返せば、「お前ごときがわしに三倍返しなど十年早いわ」と、なぜか拳骨を落とされた。
「~~~ってえ! 今殴る必要なかっただろうがくそじじい!」
「可愛げのない弟子に貸す手はないのう」
「くっそ、すみませんでしたお願いします力を貸してください師匠!」
「――最初から素直にそう言え、ジーク」
深い声音につられるように、頭をゆっくりと上げると。
滅多に見せることのない、師としての表情で、ムジカはジークを見つめていた。
「わしはお前の師じゃ。弟子に頼られたら手を貸すのが、師たるわしの務め。……だからもっと、最初から素直に頼ってこんか、この馬鹿者」
少しは自分の弟子の素直さを見習うんじゃな、と続けられ、ジークは唇をぐっと噛み締めた後、喉から絞り出すようにして、ようやくその一言を告げた。
「……ありがとう」
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