第96話 フェリル防衛戦11


 岩山をくり抜いただけの城の、さらに雑な造りの地下牢はとても冷たく寒い。


 シエルは両掌を擦り合わせ、深く息を吐き出した。


 頭の中がモヤモヤしていて、手足を拘束されていないにも関わらず、とても魔術を使用して逃げ出せる状態ではなかった。


 呼吸を整え、落ち着いて思考を巡らせる。


 夏の初めにレオが巻き込まれた事件で登場したあの薬を打たれたのだと、シエルは思った。


 詳しくは後日レオから聞いている。体内の自身の魔力を探すが、まるで最初からそんなものなかったかのような違和感。レオが言っていた通りだった。


 あの製薬会社はその後国に管理されることとなった。そして、ナターリアの国家元首が魔族と関わっているのだとしたら、その薬も当然、魔族に知らされているだろう。


 研究は破棄されたとレオは言っていたが、こんなに便利なものが流用されないわけがない。


 自分自身が捕まってしまったのはまだいい。もとより選んだ道はイバラだらけだ。魔族でありながら、魔族を敵とし魔術師と手を組んだ。選んだのは自分自身だ。


 しかし、気がかりなのはヨエルの事だ。


 幼い妹の顔がシエルの脳裏を過ぎる。ダメだ、深き考え過ぎないようにしなければ。何もできないのだから、何もできないことに悩むのは合理的ではない。


 何か別のことを考えるべきだ。


 ナジクに刺された傷はまだ残っているが、出血は止まった。いつもなら魔力が自然と作用して、二日も経てば塞がるような傷だが、これも薬の効果なのか、全く治る気配がない。


 魔族が人間よりも優っているとしたら、それは莫大な魔力量と治癒能力のおかげだ。シエルは今、ただの人間と変わらない状態だと言っても過言ではない。


 ジクジクといつまでも痛むなんて事を、シエルは今初めて体験している。今度からもう少し丁寧にレオの怪我も治してやろう、などと同情的な気分にもなる。


 そんなことより、だ。


 はあ、とシエルはひとつため息を溢す。


 一体なぜ、レオと手を組んでいる事がバレたのか。


 今考えるべきことはそれだ。


 この六年間、細心の注意を払って来たつもりだった。


 二人で会うときには人も魔族もいない場所を選んでいた。シエルが魔族を倒すのは、貴族としておかしいことではない。邪魔だというだけで殺し合いが起きる魔族社会においてよくある事であり、理由など後でどうとでもなる。


 そうなると、レオの方からバレた可能性が高い。


 学院生の数人と特級魔術師に知られているし、ナターリアの国家元首と魔族が繋がっているのだから、そこから情報が魔族に伝わったと考えるのが妥当だ。


 これでは細心の注意を払っていたとは言えないな、とシエルは自嘲した。


 やはり不用意に人間の前に姿を表すべきじゃなかった。何度となくフェリルにも訪れているから、どこかでバレてしまったのかもしれない。そう思うが、後悔してももう遅い。


 それに自分がいかなければ、レオはとっくに死んでいただろう。学院へ入ってからのレオは、外で任務をこなしていた時以上に危ない目にあっている。


 〈封魔〉によって力を抑えられていることもあるが、それにしても執拗に命を狙われている事が気にかかる。


 魔族は単純に、強すぎる敵としてレオを邪魔に思っているようだが、国家元首が、特級魔術師を使い、魔族とも手を組むほどレオを殺したい理由とは一体なんなのだろうか。


 そこまでは、残念ながらシエルには想像すらつかなかった。


 知りたい事が知れない状況で、さらには今後自分がどうなるかもわからないままで、シエルは深くため息を吐く。


「なんだ、元気そうじゃねぇか」


 その時、牢が並ぶ地下の空洞に声が響いた。他人を心底バカにする様な、苛つかせるような声だ。


 そしてその声が誰のものであるか、シエルはすぐに理解した。理解すると同時に、左の頬がピクピクと痙攣する。なにせものすごく嫌いな相手であったからだ。


「ジェレシス、笑いにきたのなら帰ってもらえるかな?僕は今君の顔も見たくないし、声も聞きたくないんだ」


 この二日、傷が治らないダメージが大きく、意識があるのかないのかという時間が幾度かあった。


 そんなシエルにとって、誰かと話すのは久しぶりだ。だが、まったく嬉しい気分にならないのは、相手がジェレシスだからだ。


「フハハッ!寂しいだろうとせっかく遊びに来てやったのに、随分な言いようだな」

「気付いてないかもしれないからはっきり言うけど、僕は君がとても嫌いだ」


 シエルにしては険しい顔でジェレシスを睨み付けた。しかし、ジェレシスはそんなもの気にも止めず、長い金の髪を揺らしてシエルの眼前に蹲み込んだ。


 鉄の格子越しに灰色の双眸が、血濡れで惨めなシエルを見やる。


「そんな状態のお前に睨まれてもなにも怖くないな、貴族さんよ」


 フッと鼻で笑われ、思わず唾でも吐きかけたい気分になるが、それをぐっと堪える。貴族として、そんな事をしてはならないな、と自分に言い聞かせる。


「……何か用?」


 そう問えば、ジェレシスはニヤリと笑った。


「助けてやろうかなぁ、なんて思っていたんだが……俺が助けたらお前のプライドはズタズタだな」


 瞬間、シエルは渾身の力を込めて鉄の格子を殴った。魔族が魔族を捕らえるために作られたものであるため、殴った程度でどうこうできるものでもない。ただシエルの右の拳の皮膚が切れ、僅かに血が滲んだだけだった。


「お利口な貴族のツラのわりにおっかねぇなあ」

「黙れ!!揶揄いに来たのなら帰れ!二度と顔を出すな!!」


 憤慨して怒鳴るシエルに、しかしジェレシスは笑みを浮かべたままさらに言葉を続ける。


「まあ落ち着けよ。プライド捨ててでも聞いて損はない話があるんだが……どうする?今後のお前とレオの予定に大きく関わる話だぜ」


 興味が湧かなかったと言えば嘘になる。自分だけではなく、レオにも関わりがある話とは何なのか?


「……ちょうど退屈していたところだし、大嫌いな君の話でも聞いてあげられる時間はある」

「どんだけプライド高いんだよ…」


 やれやれと首を振って、ジェレシスはその場にあぐらを描いて座った。


 そうして落ち着いてみると、ジェレシスは軽薄な物言いとは正反対に、意外と知的な表情をしていることに気付いた。


「まず、俺とレオの関係から話そうか」

「そうしてくれ。腕を引きちぎるような関係だとしか知らないからね」

「……これだから貴族様は執念深くてイヤんなる」

「奇遇だね。僕も出自もわからない粗野な魔族は嫌いなんだ」


 お互いに軽く笑みを浮かべ、内心では今すぐ殴ってやりたいという思いを押し隠す。


「まあいい。とりあえず黙って聞け」


 言われた通り、シエルは硬く口を閉じた。


 満足そうな顔をして話し出したジェレシス。


 その内容は、シエルを驚かせるには十分だった。

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