第7話 魔術師養成機関④


 入学式は簡素なものだった。


 貴様ら今日から学院生な!よろしく!てきな軽い気分で終了。


 午後から早速授業。遅刻欠席は、よほどの理由が無いと認められない。着席は授業開始の五分前。名前を呼ばれたら、はいと元気よく返事。朝昼夜の食事は指定の時間内に。風呂と洗面は決められた時間までにすまして、消灯と同時に寝ろ。


 なんこれ?


 協会魔術師でも、こんな規則正しくロボットみたいな生活してる奴なんて一人もいないぜ?


 なんなら宿舎なんかしょっちゅう賭けカードやってるし、派手な化粧に香水臭い女は出入りしているし、誰かがぶちまけたアルコールに、タバコの火が飛んで火事になるんじゃ無いかと思うこともしばしば。


 というのは完全な余談だが、なんせ考え事をしていないと気になって仕方がない。


「おいあいつ、昨日先輩と揉めた奴だ」

「うわっ、痛そう。ボコボコにされたって本当だったんだ」

「関わらない方がいいよな」


 なんて声が、そこいらから聞こえて来る。


 そりゃ俺だって関わらない方がいいと思う。初日から包帯やガーゼだらけのこんな奴になんか。


 お昼休憩も、別にひとりでいいし。今更レベルの低い奴らと会話すんのもめんどくさい。


 ってか、俺がボコボコにされた事はこんなに広まってんのに、電撃ビリビリはなんで誰も言わないの?


「レオ、お疲れ様」

「お疲れリア!!」


 リアだ。もう俺はリアがいればそれでいい。


 食堂へ向かう途中、偶然出会ったリアと二人で歩く。マジで可愛い。ピニョもこれくらい美少女だったらいいのに。


「レオは何組だった?」


 独房の食事みたいのを受け取って、空いた席を確保する。食事をしながら、リアが楽しそうに話しかけてきて、俺はだいぶニヤニヤしていたかもしれない。


「1組。リアは?」

「私も!!良かった、一緒で」

「俺も嬉しい」


 ああ、天使よ。その笑顔はマジ天使。


「レオは他に友達いないの?」


 リアが可愛らしく豆のスープをすすってから聞いてきた。熱いのか、少し顔をしかめるところもめちゃくちゃ可愛い。


「友達」

「そう、友達。もしかして、どこか地方から進学してきたの?」


 待てよ。俺、友達いないんじゃね?


「12歳からこの辺りに住んでる。それまでは世話になったジジイの別荘に住んでた。こっから北に向かって二日くらい歩いたとこ」

「そうなんだ!じゃあ、そっちに友達がいるのね」

「あーうん、まあそういうこと」


 空気が悪くなりそうなので、本当のところは黙っておく。


「私は、幼なじみの女の子とこの学院に来たの。名前はイリーナ・ラウルって言うの。とっても可愛いんだけど、ちょっと照れ屋なとこがあって」

「ふーん」


 正直あったこともない女の話なんてこれっぽっちも興味がない。


 リアが可愛いから聞いていられるというだけだ。


「イリーナはちょっとおっちょこちょいなんだけど、魔術の腕はいいんだよ。昨日のレオ程じゃないけどね」


 そりゃ俺くらいのやつがゴロゴロその辺にいたら、魔族なんてとうの昔に死に絶えてるだろう。


「へー、楽しみだな、そいつ」


 完全なる棒読みで言う。しかし可愛いリアは気付いてもいない。そんなところがまた可愛い。


「レオも退屈しないと思うよ!ほら、噂をすれば…あ」

「ん?」


 リアが俺の後ろを見て、ポカンと口を開けた。


 振り返ると、肩までの褐色の巻毛の、猫目女がいた。


 そいつはちょうど、焦ったような顔で、空中に浮いている。いや、躓いて飛んだと言った方が的確かもしれない。


「ぎゃあっ」

「うわっ!?」


 本日の昼食は、熱々の豆のスープだった。その豆のスープが見事に俺の上に降り注いだ。


「アッツ!!」

「レオ!?」


 急いでハンカチを取り出したリアが、優しい手つきで拭いてくれるが、熱さはどうしようもない。


「ああああ〈ししし鎮る水面、清流の流れ、あああ洗い清めよ:水波〉!!」


 とたんにあたり一面が水浸しとなった。俺だけじゃなくて、リアも、その辺のテーブルもだ。


「ご、ご、ごめんなさいっ!!」


 慌てて頭を下げる、イリーナと思われる女。


「ああああどうしよう。またやっちゃった」

「またやっちゃった?お前、この俺を水浸しにして、またやっちゃったで済ませるつもりか?」


 なんて女だ!!


「だから、本当にごめんなさいっ!!なんでもするから許して!!」

「なんでもする?」

「え、あ、あたしに出来ることなら…だけど」

「……わかった。ならいい。そのかわり、お前に拒否権はないからな」

「わ、わかった」


 ともかく新品の制服が台無しだ。


「ったく、ピニョ!」


 と言って、そういやピニョは宿舎で留守番をしていることを思い出した。


「クソッ!!」


 仕方ねぇなあもう!!


「〈時の風、移ろい瞬き、正しく直れ:刻逆〉」


 円環構築。同時に魔力を流す。


 途端に心臓がドクンと脈打つ感覚が、瞬く間に全身に、痛みとなって駆け抜ける。


「ウッ、ハァ、ハァ」

「だ、大丈夫?」


 リアが心配そうに俺の顔を覗き込む。


「大丈夫だ。これで制服も元に戻っただろ」


 キョトンとするリア。自分の制服を眺め、ハッとして目を輝かせた。


「すごいっ!!どうやったの?」

「刻逆だ。ある程度時を戻せる。まあ、物に限るけど」


 刻逆は四元素に属さない一級魔術だ。範囲指定を極小にして、とりあえず俺とリアの服を濡れる前に戻したが……


 それでもかなりのダメージだ。まったく、ザルサスの封印魔術は強力過ぎて嫌になる。


「刻逆?」


 と、唇をワナワナと震わせているのは、悪の権化であるイリーネだ。


「刻逆って、一級魔術でしょ?なんであんたがそんなのできるのよ?」

「イリーネ、ほら、昨日話したでしょ?この人が雷撃で先輩たちを倒したレオだよ」

「えっ!?ってことは、あんた、特殊魔術を二つも操れるってこと?」


 信じられない、とイリーネが目を見開き、それから不審そうな表情に変わる。


「そういうお前は、不完全な三級魔術で俺とリアを水浸しにしたが。世の中には一級魔術を自在に操れるやつもいれば、三級魔術で噛み噛みのやつもいるって事だ。まあ、俺はそんな拙い詠唱を聞いたことがないから、お前の方がよほど珍しい人間なんじゃないか?」

「なっ、なんなのよ、それ?あたしをバカにしてんの?」


 イリーナは、言葉こそ強気だが、その目には涙が浮かんでいた。


「いや、バカにするまでもない。五級からやり直せ。四元素で噛まなくなったら、四級に慣れろ。三級魔術はそれからだ」


 するとどうだ?イリーナは、あろうことか泣き出したではないですか。


 俺はあくまで正論を言った。


 この俺でも……いや、俺はそこまで苦労しなかったな、そういや。


 わりと早くに四元素の魔術には飽きていた。一級指定の特殊魔術の方が奥が深いし、自分の得意なのが一級の雷だと気付いたからだ。


「はあ。もういい」


 ため息が自然と出た。


 俺は食堂中の学生に見られながら、さっさとそこを後にした。









 イリーナは自分の非を確かに認めていた。


 熱い豆のスープは、絶対に溢してはいけない。そう自分に言い聞かせていたのだが、いわゆるおっちょこちょいの彼女には、自己暗示が返って仇となる。


 気にし過ぎるとやらかしてしまうのだ。


 そしてどうだ。あろうことか、食堂の他の学生も見ている前ですっ転び、さらには熱いスープを学生にぶちまけてしまった。


 慌てて冷やそうと、覚えたばかりの三級魔術を詠唱する。


 しかし、綻びだらけの円環を構築し、不完全な魔術はあたり一面を水浸しにしてしまった。


 スープをかけてしまった相手は、面倒そうに、しかし流暢にはっきりと詠唱した。それは、学生程度ができるはずもない一級魔術。歌うように紡がれた美しい詠唱。円環構築もあっという間で、全体を把握する前に消えてしまった。


 すごい。自分には到底たどり着けない職人技だ。


 イリーナは初めて、魔術に心を惹かれた。同時に、まるで息をするように魔術を使うこの少年は、何者だろうと興味が沸いた。


 だけどその少年レオは、とても辛辣だった。


 『五級からやり直せ』


 それは、イリーナにとってもっとも辛い言葉だった。


 自分には才能がないと、言われているように感じた。


 努力してきたはずなのに。


 誰よりも負けないように勉強してきたはずなのに。


 この壁はなんだろう?


 特級魔術師と五級魔術師は何がちがうのだろう?


 イリーナたち学生は、その違いを知らない。なぜなら特級魔術師は協会が出来るだけ秘匿しているし、高ランクの魔術師ほど、人里離れた所で魔族と闘っている。


 学生たちは、守られているからこそ、その圧倒的なランクの差を知らないのだ。


 イリーナはとても努力家で、誰よりも負けないようにと努力をしてきた。


 だからこそ、壁にぶち当たった時の対処方法を知らない。


 壁があると言えば、そこまでの人間だと思われてしまうから、イリーナは誰にも相談できないでいる。


 羨ましい。


 持っている人が羨ましい。


 学院に来たのは、多くを学ぶためじゃない。


 自分より下がいる事を確認して、この目で見るためだった。


 そうして自信を取り戻そうとしていた。


 なのに、あのレオという少年は何なのだろう?


 あんなのが近くにいるなんて。


 学院でもトップを取れる自信があったのに。


 ただ下を見て安心していたかっただけなのに。


 イリーナは泣いた。


 なんで涙が出るのかは、よくわからなかった。


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