さよならを覆す最高の方法
ritsuca
第1話 間違いなく君だったよ : 彼女の話
テレビの向こうの幼馴染は、今日も相変わらず元気そうだ。
いや待て、この番組は生放送じゃないか。まぁ、些細なことかな。SNSではっちゃけてるみたいだし。一つ落ち着いてはまた一つ、と懲りずに炎上しないすれすれのラインでネタを投下し続ける幼馴染のアカウントは、今日もそこそこに元気だ。そろそろ炎上しても誰も驚かないと思う。
数年間の通勤生活に疲れ果て、職住近接を求めて越したマンションは4.5畳ワンルーム。おかげさまで断捨離がとても捗ったが、それももう数年前のこと。何度めかの更新を終えた部屋は、混沌としか言えない有様である。さすがにそろそろ片づけないとやばい。
そんな部屋の壁際に設置したテレビと向かい合う位置関係のベッドに腰かけて、スマホを膝に。視線はテレビとスマホを行ったり来たりしつつ、カレーうどんを啜る。跳ねたら布団カバーに染みが、というのも気にならないでもなかったけれども、それよりも平穏無事に食べられる場所を探す方がはるかに優先度が高かったので仕方がない。
さて、混沌の原因だが。
(あ、これはそろそろ来る、か、な)
カーテンも窓も閉め切った部屋の中、エアコンも何もつけていないのに空気が揺れて、視界の左端から色が溢れた。
ベッドの隣に、重み。カレーうどんの香りを壊さない程度にほのかな香りに、またか、と首をねじれば案の定、人がいた。これでもう何度目か。
「いい匂いがする。今日はカレーうどんか」
「君のはないよ」
「麺は?」
「茹でてない」
「カレーは?」
「ない」
じゃぁ……、と狭い部屋のなか、隣の人物はまっすぐ台所を見て、にこりと笑う。なぜコンロの方が部屋に近いのだ。冷めないと片づけられないから、と置いておいた鍋に気づかれてしまうではないか。
案の定、コンロを指さして、首を傾げる。男性でそのしぐさが似合う年齢には限りがある、と思っていた1年前の私に言いたい。美魔女よろしく、男性にも年齢制限のない輩はいるのだ。残念ながら。
隣を向いていた頭をテレビに戻して、無言で麺を啜る。真正面から見てはいけない。
「あの鍋は?」
「……明日の朝に食べるカレー」
「あんじゃん」
「今日の夜食べる分はもうないし」
「もらうねー」
勝手知ったる、とばかりに混沌のなかを闊歩する背中は、どう見てもテレビで泥につっこんでぐっちゃんべっちゃんになっている人と同じ背中だ。
世の中には、不思議なものがある。
真昼の月。ゆらぎのリズム。虫の知らせ。百物語。一晩の夢と引き換えに軽くなる財布。
科学的にメカニズムがわかっているもの。わかっていないもの。科学とは離れたところにあるもの。ただの現象。
30数年の人生の中で最大の不思議が、この部屋にいるもう一人――私の幼馴染だ。
「丼見つからなかったからパスタ皿借りたよ」
まーた部屋の中ぐっちゃぐっちゃにして、と言いながら書類で埋もれているローテーブルにパスタ皿を置くと、この部屋に現れた時から背負ったままの薄いボディバッグから箸袋を取り出す。初めてこの部屋に現れたときには持っていなかったと思うのだけれども、いつの間にか持参した箸で食べるようになっていた。
そう、今日は何度目かの来襲、もとい、本人曰く来訪なのだ。
ごくごく自然に居座っているけれども、こんな風に訪れるようになって、これまで一度だって玄関から入ってきたこともないし、帰っていったこともない。訳が分からない。
この「謎」の一字で片づけきれない来訪が目下最大の悩みで問題で、それからこれは非常に認めたくはないが、楽しみになっている。
シャッター音がして、1分後、スマホが新着投稿を知らせる。
「……ちょっと」
「自分で茹でてよそったから、嘘じゃないじゃん?」
「そこじゃない」
そこじゃないのだ、本当に。画面に映るのは、加工されまくってメイン以外はぼやけているし、うまいこと周りは片づけられているように見えるものの、どこからどう見ても我が家のローテーブルの上に載ったパスタ皿なのだ。カレーうどんの入った。極めつけは、「今日の夕飯。うまくできた(ピース)」とつけられたキャプションである。
おいこら。
おいこらちょっと待て。
瞬く間に増えるリプライに、そっとスマホの画面電源を落とす。私は見ていない。見なかった。
「あんまり色々気にすると禿げるよ?」
「……誰のせいだと……」
「自業自得?」
ツッコミを入れようとするこちらが野暮なのではないかと思ってしまう、このあざといばかりに傾げられた首よ。へし折れそうなほど細ければよかったのに。犯罪者になりたくはないが。
でも、この感じは間違いなく。
(間違いなく君だったよ)
食べ終えた丼と箸を手に、立ち上がる。
夜はまだ長い。
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