侯爵令嬢は学者になりたいのに周りがやたらと后にしたがるので困ってます

海野ぴゅう

第1話 祝福されない誕生

「なんたることだ…」


 山深いフォンテンブロー地方の初夏の空には、この地方では滅多に見られないオーロラが荘厳に輝き、天からは無数のひょうが無粋な音を立てて降り注いでいた。

 外を歩く領民は不安な気持ちでのきの下に入り、この異変をやり過ごしている。


婆様ばばさま…」「ミネア様、これは…」


 領主の子の誕生を祝いに来た親戚達は酷く動揺し、その場にいた領主の母、ミネア婆の周りを取り囲んだ。

 フォンテンブロー侯爵家には定期的に不思議な力を持つ人間が現れた。いわゆるである。侯爵家は彼らの力を使って数多あまたの危機を乗り越えてきた。

 そして、その力を持っている事を隠す為にひっそりと一族は暮らしていた。


(これは…予知夢にもあったから間違いないじゃろう)


 エメラルドグリーンの目を持つ領主は、岩のようにじっと外のオーロラとひょうを見つめるミネア婆の傍に立った。彼女の目も同じ色だが、もうほとんど見えてはいない。


「婆様…」


「…」


 彼女のうつろな目にはうっすら涙が浮かんでいた。



~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥



 王都から300マイルほど離れたフォンテンブロー地方は、決して裕福ではないが魅力に富んだ地域だ。

 山脈に囲まれた風光明媚な景色を求めてやってくる貴族や王族、大商人の別荘がたくさんある。また、鉄鉱石や稀少な鉱物資源が豊富であり、それらを運ぶ機能的な道が端から端まで整っているので山の割には交通の便がいい。

 それらの資源やインフラをねたむ周辺諸国とのイザコザが絶えなかったが、険しい山が自然の砦になっていることと、フォンテンブロー侯爵家の賢明な采配により長く平和が保たれていた。侯爵家は代々贅沢を許さず、よく統治していた為、領民や本国であるルテティア国王からも信頼が厚かった。


 そんな王国から遠く離れたフォンテンブロー地方のそのまた端っこの山のふもとの街に、賢いと評判のエメラルドグリーンの瞳をもった少女が住んでいた。名前はレイチェル。髪は金色で腰まであるのをゆるいふたつお下げにしているが、顔つきには子供っぽさは見られない。


 景色は冬の終わりを告げていた。彼女はロウバイの細工じみた黄色い花やクリスマスローズの白、クロッカスの紫など、一足先に春を告げる花がちらほらする山道を一人でどんどん登り、お気に入りの崖の先端に立って遠くを見渡した。

 目の前には侯爵である父が治めるフォンテンブローの美しくて平和な領土と、そのはるか向こうには万年雪が被る険しい山々が連なる。

 12歳になった彼女はに明日出立しゅったつする。父の命でルテティア王国の首都ブルクにある寄宿学校に通うことになったのだ。




「レイ様、夕食のご用意が出来ております」


 彼女が山から降りて家に帰ると、たっぷり太った黒髪の女性が出来上がった料理を皿に移し、トレーに置いた。それを彼女の息子のアランがレイチェルの前に丁寧に差し出した。彼の髪は燃えるように赤く、年はレイチェルと同じだが、背は高く背筋が伸びて動作がきびきびしている。


「今夜は皆で一緒に食べましょう。ここでの最後のご飯なのだもの」


 寂しさを隠してニコリとするレイチェルを見てキキの目から滂沱ぼうだと涙が流れ落ちた。朝からずっと泣くのを我慢してきた彼女の防波堤は決壊していた。口うるさい家庭教師でもあるキキは情が深く涙もろい。


「急過ぎます…妹君が亡くなったからって娘であるレイ様を王都の人質に差し出すなんて…なんて酷いなさりようでしょうか!お嬢様をずっとお育てしてきたキキは悔しくてたまりませんっ!」

「そんなこと言わないで、キキ。私なんかでもお父様の役に立てるなら、それでいいの。キキの住むこの領地が平和でいられるならば、どこにでも行く覚悟よ」


 レイチェルは涙をエプロンでしきりと拭うキキのむっちりした背中を撫でた。それを横で見守っていたアランは母を優しく抱きしめた。彼のふわふわの赤毛が母の頬にかかる。


「オレも酷いとは思う。でも、こんなところにレイ様が一生いるのも酷い話だろ?母さん、ここは我慢だ。いつか王都に呼び寄せるから」

「アラン…あんたは優しくて強い子だ、私がそのように育てたんだからね。レイ様をしっかりお守りするんだよ。忘れるんじゃない、あんたは領主様や王様の誰よりもレイ様をお守りするために生まれて来たんだ」


 キキは、首都で王直属の騎士団員だったアランの父親を思い出しながら彼を見た。赤髪と知性の宿る切れ長の黒い瞳に夫の面影を感じる。


「もちろんだよ、母さん。首席で学校を卒業して騎士団に入ってみせる」

「アラン…無理はしないで。私の傍にいてくれるだけで充分ですから」


 あまりの二人の気合いの入りように、思わずレイチェルが口を出した。

 

「レイ様…なんともったいないお言葉…」とつぶやいてキキはまたもエプロンに顔をうずめた。


(マジでもったいなくなんてないよっ)


 彼女の父は産まれてすぐの彼女を不吉な子だと山奥に幽閉し、夫を亡くして子供を産んだばかりのキキに押し付けた。その子供がアランだ。

 ふたりはキキのたっぷりの愛情を受けて育てられた。

 キキを選んでくれた点では父をと思うのだ。

 本当の母親はレイチェルが不吉な子供であったことから鬱にでもなったのだろう、若くして亡くなったと聞いている。気の毒ではあるが、レイチェルは一度も会ったことのない両親やフォンテンブロー侯爵家には興味がなかった。


(キキのような気のいい教養のある女性に育ててもらえたのは幸運だった。辛気臭い侯爵家なんかで育つのはまっぴらごめんだ。でも王都では大人しくして、が正夢にならないよう気を付けないと…)




 レイチェルはフォンテンブロー最後の夜にまた夢を見た。小さなころから何度も繰り返されるは彼女にとって恐怖でしかなかった。



 彼女は暗いじめじめした地下に閉じ込められている。

 臭いしたまにネズミの鳴き声が聞こえる。じっとしているともぞもぞした気持ち悪い虫が寄ってきて、彼女の肌を這った。食べ物も残飯のように酷いものだ。髪や肌に触れるとカサカサで自分が若いのか老婆なのかも判断がつかない。



 彼女は目を覚ましていつものように自分をぎゅっと抱きしめた。あんな風に死んだように生きていくなんて絶対嫌だった。この王都行きは彼女にとって不吉だが、救いでもある。


(うちは魔女の家系だと噂に聞いたことがあるが私にも力があるのかもしれない…これが予知夢なら絶対に未来を変えてやる。王都の地下で幽閉されて死んでなんかやるもんか!親に捨てられた私にだって生きる権利はあるはずだ)


 キキとアランが思っている以上にレイチェルは現実的だった。そして彼女は夢が現実にならないように特大の猫を被って武装していた。


(人に後ろ指を指されないようひっそり生きていけばいい。とにかく生き残れば私の勝ちだ)


 レイチェルは大きく新鮮な空気を吸ってからゆっくり限界まで吐き、またベッドに潜り込んだ。朝日まではまだ時間が十分ありそうだった。

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