憧れの人と初めて話す事が出来た話。
「あれ……?もしかして、あなたはうちのクラスの方ではないのですか?私の記憶が正しければ、うちのクラスであなたを見た事は無かったような気がするのですが……。」
「え、あっ……。そ、その……。えぇ?」
ーー思考停止。今の俺はまさにその言葉がピッタリと合う位に、自分の頭の中が真っ白になっていくのを理解した。
今、自分の目の前に憧れの人がいる。その事実が、どうしようもなく頭の中を支配してしまっていて、それ以外の事は何も考える事が出来ないような状態であった。
しかも、大橋さんは俺だけに意識を向けて、こちらに話し掛けてくれているのだ。こんな貴重でありえない状況……。この後の高校生活では起こり得ないかもしれない。
(と言うか、恐らくもう起こらない。)
しかし、自分でも上手く彼女と話したいと思ってやまないのだが……。やはり俺に憧れの相手との会話はあまりにもハードルが高過ぎた。俺は大橋さんからのその問い掛けに対して、そのような意味のない呻き声のような言葉しか口にする事が出来なかった。
しかし、そんな言葉にもなっていない俺の呟き対しても、大橋さんは怪訝そうな顔ではあるが、「大丈夫ですか?」と俺の顔を心配そうにソッと覗き込んでくれる。
「あ、あの……。驚かせてしまってすいません。私はてっきり、あなたがうちのクラスの方かと思い、クラスまでプリントを一緒に運んでもらおうと思っていたんですけど……。
すいませんでした!意図せずとは言え、無関係の方を巻き込んでいました……。」
すると、大橋さんは申し訳なさそうにそう言うと、しゅんとした様子で俺が手に持つプリントの束に手を伸ばそうとしている。
そして、その伸ばした手が少しだけ俺の手の甲に触れた事でハッと意識を取り戻し、俺は慌ててその伸びた手からヒョイと逃れるようにして、プリントの束を死守する。
それは何かを考えての行動ではなく、単に憧れの大橋さんの手が触れた事に驚いてしまった咄嗟に出た行動であった。
すると、伸ばした手を俺に避けられるとは思っていなかったのか、俺が身を引いてその手を避けた事に驚きを隠せないと言った様子で、呆然と俺の事を見つめていた。
「(あっ……。ヤバい。大橋さんの手が触れた事に驚いて、思わず自分から大橋さんの手を何かもう露骨なまでに避けちゃった……。
咄嗟の行動とは言え……。女子のそれも憧れの人の手が触れてしまったとは言え、こんな過剰な反応をしてしまうなんて……。自分でも相当に情けない……。)」
しかし、自身の咄嗟にとってしまった情けない行動を自己嫌悪するよりも、今は無意識とはいえ避けてしまった大橋さんへのフォローをする方が優先だと思うので……。
「あ、あの!確かに俺は大橋さんと同じクラスの生徒じゃないんですけど……。違うクラスだとしても手伝わせてくれませんか?
また……。上手くは言えませんが……。このまま、俺も一緒に運んだ方が楽だと思うんです!ほ、ほら!さっきも言ってたじゃないですか。このプリントを運ぶのに『横着をしてしまった』って。だからこれも……。その横着の一つと言いますか。しかも今回は俺が大橋さんに頼んでいる横着なんで……。
あ、あんまり、気にしないでください!」
俺は大橋さんの顔は(緊張するから)あまり見れず、少し早口で、その屁理屈とも言えないような強引な揚げ足取りを行った。
当初の目的を継続しつつも、あくまで俺からのお願いという体を維持して、大橋さんの心配を含めた二重の意味でのフォローする。
こうすれば、俺がさっき大橋さんの手を咄嗟に避けた事も、その手が恥ずかしかったから避けたのではなく、このまま手伝いを継続する為だと解釈してくれると考えたのだ。
すると、突然の早口になった俺にビックリした様子の大橋さんであったが、端的に言えば『あなたの手伝いを続けたい』という言葉の意味を理解したのか……。
ふふふと、これまた初めて見たような上品な微笑みをその顔に浮かべている。
「ふふ……。やっぱりあなたって、少し他の男の人とは変わっていますね。変にソワソワして落ち着きがないように見えますが……。その中身は芯の通った優しい人で、身知らずの私を助けてくれる良い人です。
それでは、改めてではありますが……。お力添えをお願いします。私のクラスまで一緒にこれらを運んでください。」
「あっ、は、はい!こちらこそ、よろしくお願いします!って、手伝う側が言うのは変だけど……。そ、その……。よろしく!」
その後、大橋さんとぎこちないながらも会話をしつつ、そのまま教室へと向かった。
その道中、他の生徒からは特異なものを見るような目で見られてしまったが……。
まあ、これは仕方のない事だろう。俺が逆の立場なら、変な目で見るとまではいかなくても、『どうしたんだろう?』ぐらいには思って見てしまうはずだから……。
すると、俺がふいに黙った事を大橋さんは不思議に思ったのか……。「どうかしましたか?」と、こちらに声を掛けてくれる。
目敏い彼女に驚きつつも、俺は大丈夫であると返事をしつつ歩き続けて、ようやく俺たちは大橋さんの教室の前まで到着した。
そして、やっと一息ついたと、そう思ったタイミングで予鈴のチャイム音が鳴り響く。
その後、それと同時にゾロゾロと一斉に生徒が教室に戻って来たので、ここにはこれ以上の時間留まれない事を示していた。
そのため、少しだけ名残惜しいが、自身も早く教室に戻らなきゃいけないので……。
「じゃあ……。プリントここに置きますね。大橋さん。初対面でしたけど、少しでも話す事が出来てとても楽しかったです!
また次はないかもですけど……、何か困ってる事があって、たまたま廊下で俺を見かける偶然があれば、また声を掛けてください!その時は出来る限りで力になりますから!」
俺は
これで憧れの人との夢のような時間が終わりかと思うと、とても名残惜しい事なのだけども……。これは仕方がない事だ。
そもそも、俺が大橋さんと話が出来る事自体が奇跡のような状況で、俺と彼女では、まさしく生きている世界がまるで違うのだ。
魔法が解けてしまえば、元の姿に戻らなければいけないように、ただの生徒である俺と特別な存在の彼女との関係も、キレイさっぱり元の無関係な2人に戻らなければならない。
ただそれでも、憧れの人に対しての消す事の出来ない名残惜しさから、最後に『偶然にでも会えたら』と、ありもしない可能性について伝えたのは……。何だろう?そうあったらいいと思う自身の願望なのかも知れない。
「(うん……。でも、これで憧れるのも終わり。大橋さんは意外に話し易くて、すごく笑顔が可愛いらしい人だったけど……。やっぱり俺とは住む世界が違うんだ。
それがどんなに近くに見えて、手を伸ばせば届きそうでも……。きっとそこは、俺にはとても眩しくて、それでいてあまりにも遠過ぎる場所にあるだろうから……。)」
そして、俺は一方的に大橋さんに言葉を告げると、どこか逃げるようにその場を後にしようと背を向けて……。パシッ!
何かと思えば、背を向けて歩き出そうとした俺の手を、誰かが勢いよく掴んだようだ。
思わず俺が振り返ってみると、なぜかプクッと膨れた頬をして、若干の上目遣いをしている大橋さんが俺の手を掴んでいて……。
ーー次話へと続く。ーー
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます