第3話 協定関係

「いにゃぁ~~~~んっ!」


 教室に向かう途中のことだった。

 廊下を歩いていると、到底小学生が出しているとは思えない妖艶で甘ったるい嬌声が響く。それも他の子どもたちに聞かせたくないほど艶めかしい。

 鼻につく声に秋津はギョッとしながら目を向けると、廊下の先でふざけ合っている女子二人組を発見する。その周囲にも数名の女子がいる。


「なにがいにゃーだっ、また変なクリオネ出しやがって! もう今度という今度は絶対に許さないからな!」

「おっほぉ!? ごめん許して、もうしないから咲ちゃんほおぉっ!」


 喧嘩だったとしても野放しにしておけないセンシティブな雰囲気に、秋津はどういう状況なのかと騒ぎの方へと足を向ける。

 そこには廊下でもみくちゃになっている二人の少女がいた。

 が、怒り心頭な片方に対して、なぜかもう一方はわざとらしく見悶えているだけで、喧嘩というよりはじゃれ合いに見えた。

 すると激高していた咲と呼ばれた少女は秋津を見つけ、キッと睨みつける。


「別に喧嘩してるわけじゃありません! こいつがふざけたことしたから……っ」

「え? あ、ああ……」


 なにも言っていないのに自分を見つけるやお節介だと叫ぶ咲に、秋津は呆然としながら素っ気なく答える。そんな秋津より大袈裟に反応した女子が横にもう一人。


「ふざけたなんて酷いよ咲ちゃんっ。真名ちゃんはちょ~っといたずらしただけなのにこんなふうに」


 惚けながら言いながら真名は手に持っていたステッキを構える。瞬間、アメーバのような形状の幻影のクリオネの頭が、咲の股間からにゅっと生えた。


「だからやめろっつってんだろうがあぁぁ!」


 ブチ切れた咲は真名の両足を持ち上げるとそのまま真名をひっくり返し、股間に右足を押しつけて小刻みに強烈な電気あんまを食らわせた。


「おんおんおんおんおん!」


 真名は新しい感覚に酔い痴れると、善がった声を上げて喘いだ。


「わあ、真名ちゃん子どもに見せられない顔してる。そんなに凄いの?」

「振動速度えっぐ。これ地震なら絶対日本列島沈没じゃん」


 友人たちは興味津々といった表情で二人の取り組みを凝視すると、顔を赤らめながらセクシュアルな動作を観察していた。


「キャ――咲ちゃんやめてぇ破れちゃあう!? 出産ごっこで仕込まないでぇー、女の子同士で励んでもなにも生み出さないのぉ!」

「生み出すんじゃなくてクリオネを消せっつってんの! てかまだ私の股座からクリオネ垂れてんだけど!? 早くどうにかしてよぉ!」

「あぁー! 生まれるぅーっ、妊娠するーっ!」

「出産しながら妊娠してんじゃねぇ! 順序が逆なんだよお前は!?」


 よもや正気とは思えない真名の言動に、これまた的確なツッコみゆえに言っていることが謎になってしまった咲の怒声が廊下に響く。

 常軌を逸した二人のやり取りに秋津は心の底から困惑した。

 しかしこのまま放置しておくわけにもいかない。それにあと数分で予冷も鳴る。


「ほら、もうあとちょっとで授業始まるから教室戻ろう。次の時間に遅れるよ」


 おかしな言動や常識外れの行動には触れず、秋津はわざとらしく腕時計を見るジェスチャーをしてクラスに戻るよう促す。

 その発言はどこか他人行儀で、生徒に関心がないように聞こえた。なにより注意もしなければ、どこか一線を引いてそれ以上関わろうとはしない。


「あ、私次、音楽室だった! 早く戻らないと! じゃあね!」

「そんじゃ私もそろそろ戻るね」


 秋津の言葉に女子の一人が声を張ると、そのまま急ぎ足で自分のクラスへと戻って行った。次いでもう片方も潮時を察して背を向ける。


「次やったらただじゃおかないから」


 収まりきらない怒りを滲ませながらも咲は真名の拘束を解くと、ぶすっとした顔のまま自分のクラスへと戻って行った。股間から生えていたクリオネも消えている。


「はおぉ……まだお股じんじんしてゆ……外であーそぼっ」


 内股になった太ももの間に両手を挟んだのも束の間。真名はすぐにケロッとすると、当然のようにステッキを持って校庭に向かおうとする。


「いやいや、ちょっと待ちなさい」

「ほにゅー?」


 そんな真名の背中に、秋津は呆れ気味の殻笑いをしながら手を伸ばして、手首全体を使ってちょいちょいと手招きする。真名は変な声を出しながら振り返った。


「なぁにい? 真名ちゃんにご用がおありで?」

「次の授業が始まるって言ってんでしょ。早くクラスに戻りなさいって」

「ん~でももうお勉強は飽きちゃったしーい」

「いやダメでしょ。もう遊びの時間は終わり。ほら、早く教室に行って」

「えぇーっ。先生だって面白そうなことしてるくせに、一人だけ狡くなぁーい?」

「別になにもしてないじゃん。教室に戻ってって言ってるだけで」

「真名ちゃんみたいにみんなの心操っていっぱい遊んでるくせにぃ」

「!?」


 真名がさらりと告げると、秋津は初めて自身の感情を表に出した。

 教室で朝礼をしていたときや、職員室で挨拶をしていたときと違い、顔面に張りつけていた薄ら笑いを消すと、すっと真顔になる。

 そして到底子どもに向けるべきではない冷酷な視線で真名を睨んだ。

 真名はというと、秋津の眼光に気づいてなお、相変わらず自分の世界に入って体をくねらせていた。一切臆した様子もなく言葉を重ねる。


「先生、みんなをマインドコントロールしてるでしょ? 真名ちゃんにはみぃーんなお見通しなんだからねっ。ねーなんでそんなことしてんの? ねーなんで?」

「あっはは……ほら授業始まるから」

「あー先生誤魔化してるー。人には言えないことなんだぁ?」

「悪いけど遊びにつき合ってる時間ないんだよ。クラスはどこ?」

「んふうぅっ、さっき足でズンズンされたとこジンジンしてきちゃったぁ……っ」

「いい加減に――」

「後々こいつにも厳しい指導が必要なようだな」


 突如豹変したように落ちた声のトーンに再び秋津の表情が凍る。

 それは不意に真名の纏っている空気が変わったことも原因だったが、一番の理由は、見事に自分の心中を言い当てられたことに驚いて硬直した。


「でも俺をバカにした罪は重い。こいつには特別な責務を負ってもらい、悪意の対象としてクラスの団結力を強くする役に立ってもらおう。丁度共通の敵が欲しいと考えてたところだ。これでよりクラスの絆を深められる。手始めに生徒全員の前で晒し刑だ。なにかにつけて叱りつければ、徐々に生徒たちも断罪すべき悪と認識し始め――」


 一文一句間違えることなくスラスラと告げられる語句の嵐に、秋津はなにも反応できず、底知れぬ恐怖さえ感じた。

 なによりも恐ろしかったのは、まだ思考に至っていない心情までをも明確な言葉として紡ぎ出す真名の偉業である。

 だが秋津はここで自分が勘違いしていることに気づく。

 心情を紡いでいたのは真名ではなく、真名の持つステッキがわずかに動く度に都度形を変えて蟠る、多種多様な色彩だった。

 その色彩の発生源を目で追えば自身の体へと辿り着き、それが己の全身から滲み出ているのを確認する。

 最早秋津は青ざめていた。自分から湧き出す不気味な色素に、大の大人の男が目前の年端も行かない自分より一回り以上違う少女に、言い知れぬ恐怖を覚えて打ち震える。

 秋津は思わずその場から一歩後退さる。すると秋津から放出していた色調も一緒になって同じ方向に動いた。咄嗟に秋津は逃げても無駄だと悟る。


「んふーっ、凄いでしょ? 真名ちゃんも先生と同じで、心や感情を操ることができるんだよ? 先生のは技術的なやり方みたいだけど」

「な、なんだこれ!? 感情が勝手に……っ!」

「はーい一回落ち着いてー。リラぁ~ックスぅー」


 朗らかに言うと、真名は柔らかい口調で秋津に促しながら、まあまあと宥めるようなジェスチャー交じりにステッキを動かす。

 自分の意思とは無関係に緩む緊張感に、これまた秋津は舌を巻いた。どれだけ考えても説明のつかない芸当に圧倒され、秋津はその場に頽れる。


「き、君はいったいなにを……」

「んもー、それより真名ちゃんの質問に答えるのが先でしょーっ? 先生はどうして先生なのに、お勉強とか教えたりとか教育的なことはしないで洗脳ばかりしてるの? 面白そうだから真名ちゃん知りたーい!」


 一昔前のコンパのようなノリで真名はずずいと秋津に詰め寄る。目の前で得体の知れない力を見せつけられた秋津には、白状する以外の選択肢はなかった。


「せ、洗脳だなんて人聞きが悪いな……先生は洗脳を応用してるだけだよ。それに教育っていうのは結局洗脳と同じだし、先生は先生なりの授業を実践してるだけ。君の言うマインドコントロールだって、みんなを正しい道に導きたいから取り入れてるんだよ」

「正しい道……? ……へぇ、そういう感じかぁ」


 ついにマインドコントロールをしていることを認めたことには触れず、それよりも真名は、秋津なりの自論に興味を示す。

 しかしわざわざ訊ねる必要はなかった。問い質さずとも秋津から溢れる思念から思考を読み取れば、瞬時に言わんとすることを理解できたからだ。


「ねぇ、先生。それ真名ちゃんも手伝ってあげよっか?」

「……は?」


 突然の申し出に秋津は一瞬反応が遅れた。

 そんな秋津の反応を無視し、なおも真名は続ける。


「私なら役に立つよ思うんだけどなぁー? 思念や人の心を操れるしぃ、先生にやったみたいに、先生の気持ちを読むことだってできるんだよ? こんなスーパー美少女可愛い優良物件、他じゃ絶対見つかんなぁ~い! てことで試しに利用してみない?」


 自画自賛を交えながら秋津に自分を売り込む真名。表面だけを見れば確かに魅力的ではあるが、高揚した口調からはあからさまな好奇心が全開だった。

 まったく隠す気のない真名の下心に、しかし秋津はなにか企みを思いついたように口元を歪めると、魅了されたような眼差しで眼前の少女を見やる。

 その感情の傾きさえ、真名によって引き起こされた心の動きだと気づかぬまま。

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