第5話 嫌悪と自傷行為
突然飛んできた怒号に、その場にいた全員びくりとした。誰もが驚いて飛び跳ね、心臓が早鐘を打つ。そして一瞬にして場が静まった。
振り向くと、怪訝な視線をこちらに送る男子高生が一人。
先程ベンチに腰かけていた悠人が近づいてきて、迷惑そうな顔を向けていた。
「猿みたいに大声出しやがって、目障りだぞ。騒ぐなら動物園に帰れ」
「こいつのせいで萌ちゃんが泣いちゃったの」
女子たちはそう言うと佐沼へ軽蔑の視線を送った。
あからさまな敵意を向けられると、佐沼は居心地が悪そうに顔を伏せる。
「おい、おかっぱ。なにしたんだ?」
悠人は俯く佐沼に声をかけた。すると佐沼は小さく震えながら必死に首を振る。
「ぼ、僕はなにもしてない! 走っててぶつかりそうになったから止まったら、向こうが急に変に体を捻って転んじゃって――」
「あん? じゃあそいつ奴が勝手に転んだだけじゃねーか。なんで責められてんだお前」
「こいつが萌に触れようとしたからよ」
「は?」
意味がわからないと悠人が首を捻ると、食い気味に女子が即答する。
その返答に悠人は再び疑問符を浮かべた。すると別の女子が補足する。
「ほら、こいつキモいでしょ? こんな奴に近づかれたら誰だって嫌じゃん」
確かに佐沼の見た目は、女子受けのいい容姿とは言えなかった。
ガリガリに痩せた体格、無駄に厚い唇、お河童頭にダサイ服装。引き攣った口元から覗く歯並びの悪い黄ばんだ歯。それは典型的なブサイクな人間の姿であった。
そして今なお、女子たちは佐沼を軽蔑の目で睨んでいる。
「なのにいつも平然と横を通り過ぎて。こっちはすっごい迷惑してるの!」
「今だって佐沼君がいたから、萌ちゃんが無理やり避けようとして転んじゃって――」
「はあ!? なんじゃそりゃ!」
ようやく事態を呑み込むと、悠人はバカバカしい真相に声のボリュームを上げる。
「ただのいじめじゃねーか、なんだよ避けようとしたって。そんなのそこのガキが悪いに決まってんだろ! 罰が当たったんだよ! ざまあみろ!」
「なに言ってんのあんた!? あり得ないんだけど!」
「どう考えても気持ち悪い見た目をしてるくせに近づいてくる方が悪いんじゃん!」
萌の行為を咎められると女子たちは怒涛の勢いで反論した。あまりの理由のくだらなさとバカげた言い分、そして歪んだものの考え方に悠人はうんざりする。
「ふざけたこと抜かすな! お前らそんなに人を傷つけて楽しいか!?」
「私たちもそいつのせいで傷ついてんだけど。今だってこいつがいるだけで嫌だし」
「特に萌ちゃんなんて特に毛嫌いしてるから、一番傷ついてるんだよ! 今だってそれが嫌で泣いてるの! わかんないの!?」
「知るか! お前たちのどこに傷つく要素があんだ。例えそのガキが怪我しようと、俺はそっちのお河童の方が不憫だ」
そう言って悠人は佐沼を指差す。そして萌に向き直った。
「おい、泣いてるお前。ちゃんとお河童に謝れ。気持ち悪いのはお前の勘違いで、認知が歪んでるだけだ。最後にはきちんと握手しろよ」
「それだけは本当に嫌! 絶対に触りたくない! そんなキモい奴と握手なんて、どうしてそんな酷いこと言うの!? あんたなんか人間じゃない!」
「触ったくらいで別に死にゃしねーよ。ほら、手出せ」
「ちょ!?」
悠人は戸惑う萌の腕を強引に掴むと、服の上から佐沼の肩に触れさせた。
瞬間、萌の全身にかつてないほどの悪寒が走る。
「う、あ、あぁ……ああぁあああぁぁああぁああっああぁぁぁぁああぁぁあああああっ!?」
「な!?」
「いや、いやあぁ! 離してぇ! 離してよおおぉぉ!?」
発狂したように叫ぶ萌に戦慄すると、悠人は思わず萌の腕を離した。
「嫌だ、汚いっ。キモイ、キモイキモイキモイキモイキモイ……ッ!!」
萌は目を見開くと瞳孔を伸縮させる。鍵爪の形にした反対の手で佐沼に触れた手に爪を立てると、皮膚を剥ぎ取る勢いで掻き毟って自らの手をズタズタにした。
「なにしてんだお前!? やめろ!」
悠人は憑かれたように血相を変えて自傷行為をする萌にドン引きすると、急いで萌の手を取って強引にやめさせた。だが萌の動きは止まらない。
「いやあ離してよ! 汚れたから早く綺麗にしないとダメなの! 気持ち悪い汁のせいでばい菌が着いちゃったじゃない! すぐに洗わないと!」
「まだそんな自分勝手なこと言ってんのかテメーは! 潔癖症じゃあるまいし。そこまでこいつのことが嫌いか!? 自分がどんだけこいつに酷いことしてるか自覚しろよクソガキ! ばい菌なんてのはオメェの妄想でしかねぇんだよ!」
怒鳴り散らすと、悠人は再び萌の手を掴み、今度は佐沼の顔に触れさせる。
するとついに萌は限界を超えた。口元を抑えると、ぷくっと頬を膨らませる。
「うっ!? ……ゲポォ!!」
次の瞬間、萌はその場で盛大に吐き戻した。
それは正真正銘、萌が佐沼に対して抱く嫌悪から来た嘔吐感だった。
萌は、本当に心の底から佐沼が気持ち悪くて吐き戻したのである。
「なっ!」
「萌ちゃん!? も、もうやめてよ! 萌ちゃんに酷いことしないでぇ!」
萌が一気に体調を崩すと、一部始終を見ていた少女たちは必死になって悠人を止めにかかる。対して悠人は、萌の常軌を逸した拒絶反応に目を剥いた。
「ど、どうなってんだお前の体は……!? ふざけんのも大概にしろよ!」
「どうもこうも、萌ちゃんは本当に気分悪くなっちゃったんだもん」
やけに落ち着いた声音に、悠人は思わず動きを止める。
横を見ると、ステッキを構えた真名が佇んでいた。
そして高校生が小学生の腕を掴み、何度も怒鳴りつけている光景に、周囲が一切気にかけていないことに、悠人も萌も少女たちも疑問に思わず、気づきもしない。
「? お前は……」
「ほら」
悠人がなにか言う前に真名はステッキを振るう。
刹那、夢見る少女の頭の中の世界がそのまま具現化したような光景が再現された。
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