風の旅人

伊達サクット

風の旅人

 精霊の旅は、大地の人間を生かす。

 風により山や森の上空に運ばれた雲は、恵みの雨となって地面にふりそそぎ、草木の精気を川によって海へと流す。そして海は太陽の光によって雲となり、再び風によって大地へと運ばれていく。

 太陽、雲、風、水、森、その全てに精霊が宿っており、永遠と繰り返される精霊達の終わらぬ旅は、百姓の田畑に豊穣を、漁師の船出に大漁をもたらす。

 人々は古来より伝わる神話の教えを連綿と受け継ぎ、自然と調和して繁栄してきた。



 アーツは三年ぶりにカターリアの町へと戻ってきた。

 大きな河に面したのどかな町で、人々は作物を育てたり漁を営んで生計を立てている。

 町から町へと、あてもなく旅をして生きているアーツにとって、この町の澄んだ水を飲むのは、前々からの楽しみであった。

「あなたはどこから来たのですか?」

 世話になった人達の問いに対し、アーツは「海の方から」と答え、差し出された水を飲み、喉を潤した。

 アーツは町の高台から、雲ひとつない晴天のもと、陽光を照り返す河の水面や柔らかい風が草木を撫でる広大な草原を一望した。

 これからもこの大地には海からの暖かな風が恵みをもたらしてくれるだろう。

 町を後に、アーツはどこともなく旅を続ける。

 その途上で、彼は一人の旅人とすれ違った。

 そして、ふと思い立って旅人の背中に声をかける。

「ちょっとすみません」

「何でしょうか?」

「あなたはどちらへ行かれるのです」

「ハルア地方、海の方ですね」

 旅人の答えを聞き、アーツは笑顔を見せた。

「ならば、ちょっとお願いが。ついでに連れて行ってほしい者が――」

 こうして、アーツは肩の精霊を次の旅人に託した。

 託された旅人が見た精霊は、可愛らしく、優しげな笑顔を見せていた。まるで風の向くまま、新たな同行者との出会いを楽しむかのように。



 騎士ブルフスが、祖国の使者として初めてその名を世界に轟かせるカターリア帝国を訪れたのは、空がひどく淀んだ日であった。

 大陸で最も権勢が強く、強大な軍事力を誇る大国である。

 ブルフスは厳格な門兵に通行手形を見せて中に入った。

 そこに広がっていたのは、噂どおりの壮大な都市国家だった。石造りの家々が無数に並び、王侯貴族が住む贅を尽くしたカターリア宮殿はまるで神の作った住まいなのではと錯覚するほど巨大で絢爛なものだった。

(しかし、何ということだ……)

 ブルフスは顔をしかめた。美しく洗練された町並みとは相反した、街中に漂う醜悪な糞尿の臭い。人々は毎朝建物の窓から排泄物を投げ捨て、街路と並走する水路に垂れ流す。

 外敵から守るため、帝国は高い壁で囲われていた。その壁が南からもたらされる風をも阻み、密閉された都市に不潔で淀んだ空気を燻らせていたのだ。

 宿の店主がよそ者のブルフスにこっそりと教えてくれた。帝国では疫病が流行っており、国民の間では下水道が整備されておらず排泄物の処理が確立されていない都市機能の欠陥が原因だと専らの噂だという。しかし、帝国はそれを否定しており、大きな声で言うのはタブーになっているらしい。

 ブルフスが帝国に滞在していた最中、たまたま同じ宿に居合わせていた吟遊詩人の弾き語りを聞いた。それによると、二百年前のカターリアはまだ小さな町で、多くの旅人が清らかな水を求め、憩いの場として賑わっていたらしい。

 そして、旅人が去ると、その後を追うように暖かな風が町を覆ったそうだ。

 話をしたところ、この詩人も帝国の不潔さに嫌気が差し、早々にここを去るつもりだという。

「そなた、どこへ向かう?」

 ブルフスは問う。

「そうですね。ここは空気が悪いし、常に戦の影がちらつく。ハルア地方はまだ平和そうだから、そっちでひとつ仕事しようかと思ってます」

「ならば、頼みたいことがある」

 ブルフスは肩の精霊を詩人に託した。

「……本当だ。見えます、姿が。信じられない。だけど、この精霊は泣いていますね」

「出会ったときからそうなのだ」

 ブルフスは思った。嘆きの精霊はどんな風をここに運ぶ? この鉄壁の帝国に、少しでも新しい風をもたらすことができるのか?

「分かりました。確かに、引き受けましたよ」

 心の中の疑問を口には出さず、ブルフスと詩人は寂しく笑い合った。



 ホバーバイクのエネルギーが尽きかけている。

 マリアは若干焦ったが、レーダーによるとあといくらもしない内にエリアB-32・『旧カターリア区画』に到着する。

 噂どおりに精霊炉のシェルター倉庫が無事だったら、エネルギーは補給し放題だ。しかし、そんな宝の山があるかもしれないのに、誰もこのエリアに近づこうとはしなかった。

 B-32は連合政府によって永久汚染地区に指定されていたし、精霊炉はいつ爆発するかも分からなかった。

 しかし、親も兄弟も、故郷すらも失った彼女にとっては、そんなことはどうでもいいことだった。今日生きる為に利益に飛び付く。そうでもしないと、こんな荒廃した世界では孤独で後ろ盾もない自分は生き延びていけない。

 カターリア・シティの廃墟にそびえる精霊炉。生物の器官のように緻密に張り巡らされた機械群の核からは青白い光が煌々と発せられていた。

 レーダーに強大なエネルギー反応を感知する。やはり、噂どおり、炉にはまだ火が灯っていた。いつ暴走して爆発するか分からない。

 だが、やはり倉庫も噂どおり無事だった。汚染を免れて放置されている大量のエネルギー結晶体。マリア一人では持ち出すことはできないが、この情報をその筋に売れば大儲けできる。

 こんな場所に長居は無用だ。とりあえずホバーバイク分のエネルギーを盗んで足早にこの場を去ろうとすると、彼女は炉の核から、何者かの息遣いを感じたような気がした。

 マリアは若干の恐怖を覚えたが、好奇心が勝り、意を決して核の近くへ歩みを進める。

 そして、青白い光の中に、核に組み込まれた精霊の姿を見たのだ。

「あんたが……」

 精霊か。

 その姿は、マリアが憐憫の感情を引き起こすほど憔悴して弱々しいものだった。

 炉のシステムが暴走しないよう、渾身の力を振り絞って安定させ続けているようだ。

「なんでそんなことしてるの? ここに人間は私しかいないわ。みんなあんたを見捨ててとっくに逃げてんのよ?」

 精霊は、彼女の言葉には耳を貸さず、核の中で祈るようにシステムの安定に注力していた。

 人の手で核に組み込まれただろうに、このまま放置させておくのは間違っているように思えた。

 彼女は銃を抜き、核に向けて撃ち放った。一発、二発。

 正確無比な弾道は精霊のギリギリのところをかすめ、精霊を束縛するコードを切断していく。

 そして、マリアは束縛から解放された精霊を無理矢理自分の肩に乗せて、ホバーバイクを全力疾走させてその場を後にした。

 しばらくの後、彼女の背後で轟音と共に大爆発が巻き起こり、B-32は消滅した。

 精霊は物憂げな表情でその爆発を眺めていた。

「なんであんたが悲しむの? 人間の営みなんて本来、あんたのような存在には関係ないことでしょ?」

 マリアの言葉を聞いて、精霊の頬に一筋に涙が伝った。

「また汚染が広がるって? いいのよ、こんなクソみたいな世界、もっと汚れて、何もかも滅んでしまえばいいのよ」

 マリアは憎しみを込めて言葉を吐いた。肩の精霊は、視線をどこか遠くへ向けていた。

 彼女はふと、ホバーバイクを停めた。

 ヘルメットのバイザーに映しだされる情報を確認し、大気の汚染が人体に影響ないレベルだということを確認してから、バイザーを上げる。

 少しだけ露出した肌に当たった柔らかい南風は、背後で巻き起こった爆発の前ではあまりにも弱々しかった。

「……海に行こっかな」

 なんとなく、マリアはそう思った。


 

 精霊の旅は、大地の人間を生かす。

 風により山や森の上空に運ばれた雲は、恵みの雨となって地面にふりそそぎ、草木の精気を川によって海へと流す。そして海は太陽の光によって雲となり、再び風によって大地へと運ばれていく。

 太陽、雲、風、水、森、その全てに精霊が宿っており、永遠と繰り返される精霊達の終わらぬ旅は、百姓の田畑に豊穣を、漁師の船出に大漁をもたらす。

 人々は古来より伝わる神話の教えを連綿と受け継ぎ、自然と調和して繁栄してきた。


 たとえ人がそのことを忘れたとしても、仮に人が滅び去ったとしても、その影で、精霊は永遠に旅を続ける。

 泣きながら、祈りながら。


<終>

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