第1話 迷い子は影へ 上
「もう!クラウス街24番地スマイルカフェっていったいどこにあるのよ!」
そう言ってアンナは手元にある地図をもう一度広げて見るが解決に至りそうにはない。
そもそも既に目的のクラウス街についているのだ、後は友人と待ち合わせの約束をしたカフェを探すだけだ。なのにもうクラウス街を一往復しようとするのにお目当ての店の影も形もない。1時間も早く余裕を持って出かけたのにこのままでは遅刻をしそうだ。
「だいたい!番地がこんな見にくいのが悪いのよ、市長はもっと都市整理に力を入れるべきだわ!」
焦りはイライラに変わり八つ当たりでもしたいような気持ちになっていた。もう人に聞いた方が早いのだろうか?
(でも都会の人は怖いし……)結婚して初めてこの大都市ロアーに訪れたアンナはこの世界三大貿易都市の一つとうたわれる大都会のスケールの大きさに圧倒された。
まだ先の人魔大戦の傷痕が抜けきってない地方もあるのにこの都市では人は大いに働き食べて遊びまるで他の都市より早く時間が進んでいるかのようだった。時計の秒針のようにキリキリ周り働く人々にとって田舎上がりの女の道案内などにかけれる時間などない、と考えられたのだろうか、つい先週夫の勤めている会社を探そうと道ゆく人に道を聞こうとしたところ取りつく島もなく断られたり、ふんと鼻を鳴らして通り過ぎられたり、聞こえないふりをされたりもした。
新しく買った靴を履いたのが悪かったのか、さっきから腰が重く歩きづらい。途方にくれたアンナの目に一つの店が映る。
「まあ可愛い」
クルクルした文字で書かれた看板によるとここはキャンディーショップだ、しかしショーウィンドウからは愛らしい動物や透き通るような赤や青の花びらを持つ花々がみえまるで精巧な玩具屋のようだ。
「パパ!あたしあの熊さんのペロペロキャンディが欲しい!」そうねだる幼い少女の手を引いた幸せそうな家族が店の中に入っていく。
ーこんな光景私達が子供の頃にはあり得なかったわ、今の時代、この都市に生まれた子供は本当に幸せね……私と夫がいずれ子供を持ったらこうやって休日に玩具やお菓子を買いに街に遊びに行くのだろうか……?
思わず足を止めて街ゆく人に目を向けた。さっきまで店を探すのに必死で気がつかなかったがこの繁華街に歩くのは和気藹々と歩く家族連れや親密そうなカップルばかりで、雑貨店と酒場が立ち並んだアンナが住んでいるダウンタウンやアタッシュケースを抱えた事業人が忙しなく行き交っていた夫の会社がある金融街とは全く様子が違う。もしかしたらここなら親切な人にも出会えるかも。
そう思って歩み出そうとした瞬間だ。
「ねえ、ママ、あたいもキャンディが欲しい」
か細い声が腰元から聞こえた。
「え?」視線を落とした瞬間アンナは地図を放り出して飛び上がった。
「何!?あなたなんなの!?」彼女の腰元にはいつの間にか1人の子供がすがりついていた。
子供、とよんでいいのだろうか?顔の輪郭は溶けたように判別出来ず髪もザンバラで性別も歳もわからない、それは小型の人型の生き物としかわからない。枯れ枝のような手足はアンナのスカートの周りにしっかり回され、しわがれた声が地から這うように伝わってくる
「ねえ、ママ」
「嫌!知らないわよ!何なの!はなしてよ!」
得体の知れない生物に纏わり付かれた恐怖にアンナはパニックに陥った。身のついた火の粉を振り払うように彼女は手を振り回し身体を揺さぶったがそれは手に吸盤が付いているようにアンナの体に吸い付いて離れなかった。
(本当に人間の子供かも知れない)その懸念から実力行使出来ずにいたアンナもついに両手を使いそれを引き剥がそうとする。しかし……
「あああ」ずぶりとした感覚と共にアンナの両手が子供の身体に沈む。あまりに信じがたい光景アンナは言葉を失いへたり込んだ。
と、その時だ
「あーあ、ダメだぞ、お姉さんを怖がらしちゃあ」
あまりにも朗らかな声が頭上から聞こえた。
「さ、パパの所においで」浅黒い肌のたくましい腕が子供に差し伸べられる。すると先ほどまで根が生えたようにアンナから離れなかったそれはあっさりとその腕にとりすがり現れた時のように唐突に掻き消えた。
「大丈夫ですか?レディ」そう語りかけられてアンナはハッとする。自分がキャンディ屋の前に座りこんでいるのに気がつく。
「え?今のは……いったい」
何かがあったのを覚えている。
時間にすればほんの数十秒の間に起きた出来事だ。なんとか状況して整理したいがアンナは自分が何も思い出せないことに気がつく。確実に何かがあったことは確かなのに記憶を辿ろうとしても雲を捉えようとしているかのよう手応えがない。
「手をお貸ししましょーか?」いつの間にか目の前には彫りの深い顔立ちの美青年が屈んで手を差し伸べていた。
「あ、ありがとうございます」混乱した頭のまま反射的に手を掴むとしっかりとした力で地面から引き起こされる。
「怪我とかしてない?いきなり躓いたからびっくりしたなあ」青年の穏やかな声がアンナを宥めるようだった。
そうか、私は人にカフェの場所を聞こうとしたときに躓いて道にへたりこんでしまったのだ。アンナ記憶の中のもやもやをその結論に押し込んだ。
「あ、地図落ちてるし」そう言って青年はひょいと地面からアンナにとって見覚えのあるものを拾う。
「す、すみません、それは私が落とした物だと思います」
「そーなんですね、はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
アンナが礼を言いながら地図を受け取ろうとすると
「これ」青年が地図の上に付けられたチェックマークを指差す
「ひょっとして、スマイルカフェに行きたい的な感じですか?」
「あ、はい。でもなかなか見つからなくて、このあたりのはずなんですけど」
「ああ、初めての方はわかりづらいですよね〜。そこから入るんですよ」
青年のしなやかな指先がぴっと斜め上を指す。
「え」斜め上?その方向に頭を向けたアンナの目に入ったのは高い位置に掲げられたニッコリマークの看板。
「二階だったの!?」
素っ頓狂な声で叫んでしまう。
青年はおかしそうに笑い声を上げた。アンナは頬を赤らめたがそこまで悪い気はしなかった、青年の笑い声がとても爽やかで嫌味がなかったからだろう。
思わず釣られて笑ったアンナの心中から焦りも不安も消えていくようだった、ほんの数十秒間の記憶を共にして。
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