Everything -少女達の孤高と栄光ー

水谷 遥

4月1日

 幼児期というものは知りませんが、記憶がほぼないのですから、私にとっての幼少期は文字通り幼い頃だったのでしょう。


 景色や音や感覚だけは覚えているのもので、特に観客席の人の顔だけは明瞭に覚えていたりもします。あの日の太った婆さんの紫色の眼鏡、同じ背丈の子供達が舞台袖から私を見ている姿、大きな手に頭を撫でられ、肩を撫でられた事、テストの問題は覚えていないのですが、テストの点数は満点だった事。


 私に飛び抜けた才があるという事実だけは、記憶の生まれた瞬間から知っていました。


 幼い頃から先生と一緒に海外コンサートを行っていました。人種も言葉も分からない世界でも、日本にいる時と変わらぬ演奏、何より笑みができました。ピアノを弾けば拍手で沸いたし、バイオリンを弾けば人々は立ち上がります。笑顔を作ると、もっと大きな拍手になりました。


 人を喜ばせる方法は、実に簡単なものでした。笑顔を作る。それだけの行為で、人は無限に私を解釈します。それは概ね良い方向で進むもので、後は黙っていればオートメイションに進んでいくのです。


 だから私は、ほとんど人と会話をしなかったのに、良い子だと思われていたのです。


 でも、話をしないからと言って、私は良い子、という分けでもありませんでした。


 私は、人が気持ち悪いのです。


 私が楽器を弾くと、人は猿の人形のように手を叩きます。何に感銘を受け、どこに心を打たれて手を叩いているのでしょうか?


 本気で演奏をした事など一度も無いという真実を、この猿人形達は知らないのです。分かってもいないのに手を叩くこの人達が、私には分かりませんでした。それが人というものであり、人が分からないのですから、私も人ではないのかもしれません。


 人を見下げる、喋らない人形。


 幾分美しい顔の形をしていたので、高貴な西洋人形のように思っていました。


 私が人で居られる瞬間は、先生と居る時だけでした。


 先生は、私が唯一接した人間でした。先生の凄さは、先生が、常に私の半歩先に居てくれた事です。


 先生が海外でも有名な音楽家だという事は知っていました。その伝手で、有名な音楽家にも会い、演奏も聴きました。彼等は私の想像を超える程上手で、上手というものが何なのかを理解できない程で、それが私には、やはり気持ち悪かったのです。彼等は、やはり人形のように見えました。楽器を弾く人形。どちらにせよ、人には見えませんでした。


 でも、先生は違いました。


 ちゃんと私に聴こえる、私に分かる音で手を引いてくれて、私が成長すると、その分だけ上手く弾いてくれるのです。私が先生を人で見える位置で、私を見てくれていたのです。


 だから先生の演奏会があっても、私は行きませんでした。他の塾生はみんな行きましたが、私は、なんと言われようと行きませんでした。


 私の先生は、私に演奏をしてくれるだけの人間で居て欲しかったのです。

 私だけが知っている先生で居て欲しかったのです。


 これはきっと恋愛感情にも近かったでしょうし、それ以上の崇拝に等しかったのかもしれません。


 私は先生を崇拝するあまり、喋らない人形でいる時間がずっとずっと増えていました。言葉を話す人など先生だけ良かったし、猿人形と話す意味も、楽器人形と話す意味も全く分からなくなって、気が付いた時には、私は誰とも会話をしなくなっていました。

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