幼女戦記 〜旗を高く掲げよ〜
蝋燭澤
第1話
プロローグ&第1話(改訂版)
改訂を実施しております。
古い話は徐々に削除予定です。
原作により近い雰囲気を味わっていただけるように頑張ります。
それではどうぞ。
『プロローグ』
二者択一。
人生というものは、しばしば「AかBか」という単純な構造に落とし込まれる。
誰かがそう言っていた。選択は慎重に、決断は迅速に――これが人生のコツだと。
では、問おう。
その二択が、どちらも崖に続いているとしたら?
喜ぶか?
怒るか?
絶望するか?
それとも、笑うか?
ああ、できることなら笑いながらこう呟いてやりたい。
「このクソッタレな茶番を設計した存在Xを、ぶち殺す」と。
──申し遅れました。私、ターニャ・デグレチャフと申します。
第三帝国所属、国家保安本部直属・親衛隊中尉。齢十一。コーヒーは濃いめでお願いします。
『第一話』
西暦1939年11月。
中央ヨーロッパ、ポーランド総督領クラクフにて。
「――装填! 構え!」
秋晴れの陽光が惜しみなく降り注ぐ広場で、それとまるで調和しない、殺伐とした光景が展開されていた。
壁際に目隠しをされた男女が横一列に並ばされ、その正面には制服に身を包んだ保安警察部隊が整列している。指揮官の短い号令に従い、彼らは滑らかにボルトを引き、弾を込めた。静かに、しかし確実に死が準備されていく。
――さて、あの目隠しをされた連中は、どのような心境で死を待っているのだろうか。
恐怖か、怒りか、絶望か、諦観か。あるいは、滑稽なほどにありふれた「理解不能な放心」か。
人間は追い詰められたとき、感情を一様に表出するわけではない。実のところ、そこには個性などという甘っちょろいラベルで括れぬ、猥雑で不透明な感情の坩堝があるのだ。恨み、屈辱、憐れみ、復讐、自己嫌悪、無力感、錯乱……ああ、きっとその全てが混在していることだろう。
しかし、私はそれを分析する気にはなれなかった。なぜなら、それは無意味だからだ。
感情というものは、合理性を持たない。ならば、それを読み取ろうとする行為もまた合理的ではない。
――つまり、彼らの感情など、虚無と変わらぬ。
そしてその虚無は、今この瞬間にも一発の銃声によって、完膚なきまでに文字通り「消失」する運命にある。
そういう世界なのだ。ここは。
私の席は、クラクフ旧市街広場に面した二階建ての小洒落たカフェのテラス。
黒のエスプレッソを口に含み、新聞を拡げていたその目線の先で、実に絵画的に人間が射殺される。
これを文明と呼ばずして、いったい何を文明と定義できようか。
無論、皮肉である。
この異様な光景に目を背ける者は多い。だが、あえて見る者もいる。彼らは純粋に娯楽として見るのか、それとも自己の優越感を確認するためか。私には分からない。が、少なくとも私は違う。
私は「記録」として見ている。
この狂気の時代の中で、正気を保つ唯一の方法。それは、己を観察者の位置に置くことである。
ここは戦場であり、舞台であり、地獄であり、そしてまた、極めて優れた「統計資料の宝庫」でもある。
そう、これは戦争である。そして私は戦争の中で生きる人間である。
……自己紹介が遅れた。
皆様、改めましてご機嫌よう。ターニャ・デグレチャフと申します。年齢は11歳。階級は中尉。第三帝国、すなわちナチス・ドイツの――親衛隊所属であります。
正確に申せば、「武装親衛隊」ではない。
この時代においては、まだ親衛隊特務部隊(SS-Verfügungstruppe)という仮初の名を冠しており、組織としての完成度はやや低い。しかし、内部の意思決定と粛清能力においては、すでに並の国家機関を凌駕している。
私はこの特務部隊ではなく、より内政的任務――すなわち警察活動や党内統制を担う「一般親衛隊(Allgemeine SS)」に所属している。民衆の監視、資料の審査、敵対的言論の検閲、党員の規律指導。正直なところ、火薬の匂いとは縁遠い職務だ。
だが、この時代において最も安全な場所がどこかと問われれば、それは――「火の粉が降りかかる場所の、焚き火の中心」なのだ。
私は目立つ。
白状すれば、その自覚はある。年端もいかぬ少女の姿で軍服を着用し、冷徹な視線で尋問記録に赤線を引く姿が、どれほど異様かは自分でも理解している。
しかし、異様であることは、時に効率の良い「権威」となり得るのだ。
人は理解できないものに畏怖を覚える。そして畏怖は、しばしば命令を通す潤滑油となる。
特にこの親衛隊という組織においては、常識外れはもはや通貨のようなものだ。
「これは……デグレチャフ中尉ではないか?」
声をかけてきたのは、フィールドグレーの陸軍型制服に身を包んだ男。
着装から察するに、親衛隊特務部隊――つまり前線任務を担当する別部門の所属者だ。軍帽の黒と銀の縁取りが目に痛い。
顔には見覚えがないが、相手はこちらを知っている様子だ。
……ふむ、恐らく国家保安本部内の会議席上で顔を合わせた程度の関係だろう。
「お久しぶりです、大佐。お元気そうで何よりです」
「ほう、覚えていてくれたとは光栄だ。あのときの国家保安本部での会合以来だな。それよりも――なぜ、貴官がクラクフに?」
「ヒムラー長官より、視察任務を拝命いたしまして」
「ほう、それはご苦労なことだ。……ところで、ベルリンの防諜問題は解決したのかね? 軍との軋轢が続いていると聞いていたが」
「シェレンベルク中佐の尽力で、どうにか収束の方向へ。もっとも、ハイドリヒ中将とカナリス提督の確執は依然として……」
会話は形式的な情報交換に過ぎない。だが、その裏では互いの政治的立ち位置と影響範囲を静かに探り合っている。
これは挨拶ではなく、すでに戦争なのだ。
さて、ここで読者諸賢に遅ればせながら種明かしをしよう。
――私は転生者である。
いかにも、陳腐で都合の良すぎる物語の設定である。だが、事実だ。
生前、私は現代日本に生きるごく普通のサラリーマンだった。
合理性と効率こそが全てという信条のもと、社畜のごとき日々を生き抜いていた私が、ある日突如として異世界転生を喰らったのである。理由は、未だに理解不能な宗教的存在――通称「存在X」の気まぐれによるものだ。
目覚めたのは乳児としての意識。場所は孤児院。名前も記録もない身寄りなき子供。
だが、私は順応した。情報を拾い、言語を学び、構造を観察し、機会を待った。
そして、運命は私に道を与えた。
レーベンスボルン計画――アーリア人優生政策の一環として設置された親衛隊管轄の育成施設。
この冷徹な選別機構が、私を「拾い上げた」のだ。
金髪碧眼。整った容姿。従順な態度と、異様なまでに高い知能。
彼らの理想に寄り添う道化として、私は選ばれた。
そこから先は早かった。士官学校に異例の年齢で入学、修了。ヒムラー長官の目に留まり、特命で中尉任官。
ナチス的価値観において、私は優秀な記号となった。神童、奇跡、予言の子。
――だが、私はただの合理主義者である。
未来を知る者として、選択肢は少ない。
この国家は必ず敗れる。歴史がそれを証明している。ならば、私は生き延びなければならない。
組織内で地位を得、情報にアクセスし、新型兵器の開発動向や外交機密を押さえる。
そして、最悪の未来に備えて――価値ある「交渉材料」を蓄積しておく必要がある。
もっとも、それはあくまで予備計画だ。
歴史が違えば、道もまた変わる。
実際、奇妙な齟齬がある。ドイツのポーランド侵攻に対し、英仏が未だ宣戦布告していない。
これは、重大な分岐である可能性がある。
世界線がずれている。ならば、未来はまだ「未定」なのだ。
「では中尉、私はこれで失礼させてもらうぞ」
大佐の言葉で思考から引き戻される。
彼は軍帽をかぶり、手袋をはめながら軽く一礼した。
「ご武運を」
私はナチ式敬礼をもって彼を見送る。
……さて、私も任務に戻るとしよう。
親衛隊の中尉という立場は、非常に厄介なバランスの上に成り立っている。権限はあるが自由はない。命令はあるが選択肢はない。だが、私はそれを呪いとは思わない。
むしろ、「自由に生きる」ための最小限のコストだと考えている。
未だ私は戦闘部隊ではない。前線にも立たない。
しかし、視察官として現場に赴く機会は多く、そこで交わされる情報、現場指揮官たちの思惑、そして本国の内部報告――それらすべてが、私にとっては生存戦略を組み立てるための貴重な「材料」である。
合理性と沈黙、演技と記憶、それがこの世界で生きる術である。
ふと、広場の遠く、さきほど銃声が響いた場所に視線を向けた。
あちらではすでに清掃部隊が死体の処理を始めている。目隠しがずり落ち、うつろな目を晒した男の顔が陽光に照らされていた。
戦争とは、そういうものだ。
感情ではなく、制度と命令によって動く機械的な死。
そこに「正しさ」はない。ただ、実行可能性と必要性があるだけだ。
私は椅子に掛けてあった軍帽を手に取り、深くかぶった。
カフェの卓上に、コーヒー代とアプフェルシュトゥルーデルの代金を置いて立ち上がる。
――さて、楽しい楽しいお仕事の時間である。
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