第10話
「んーーっ! はぁ……」
昼下がりのカフェ。窓際のカウンター席に腰かける奈加は、猫のように身体を伸ばして小さな唸り声を上げると、食べ終えたワッフルの包み紙を丸めながら口を開いた。
「次、どこ行く?」
時刻はもうすぐ午後二時。僕もちょうど、そろそろ次の目的地に移動する頃合いかなと考えていたところだった。だけど、具体的にどこに向かうかは未だ検討中。僕は首だけを奈加の方に向けて問い返す。
「奈加は、どこか行きたいところないの?」
「……んー、行きたいところね」
奈加はしばらくの間、顎に指を当てて考える仕草を続けたのち、ふと思いついたように声を上げた。
「あっ」
「どうしたの」
「……あたし、水族館行きたい!」
やや興奮気味になって顔を近づけてくる奈加から、少し距離を取って繰り返す。
「水族館?」
「うん。なんかね、片瀬西浜海水浴場ってところのすぐ傍にあるみたい」
「と、いうことは、来た通りを戻らないといけないってことだよね」
「んー、そうだねー。ここから少し歩くことになるけど、食後の運動と考えればどうってことないでしょ」
奈加はそう言って、カウンターの上に出していたスマホをポケットに仕舞い込むと、パーカーの袖口から指先だけをにょきっと外に出して、蟹の鋏みたいなVサインをこちらに向けてくる。僕も一応、自分のスマホで現在地から水族館までの経路を調べてみたけれど、確かに食後の運動としてはちょうどいい距離数だ。
「うん。いいよ」
「マジか! じゃあ早く行こ!」
昨晩、あんな大胆なことを仕掛けてきた人とはまるで別人みたいな瞳をして、彼女は勢いよく席から立ち上がる。その反動で床と椅子の脚が音を立てて擦れた。
「そんなに慌てなくても、別に魚は逃げたりしないよ」
「そんなのわかんないでしょ。突然どこかの宗教団体とかテロリストがやってきて、囚われている魚たちの解放運動をするかもしれないじゃん」
「…………はぁ、なるほど」
僕は、彼女のあまりにも現実離れした
窓の外の透けるような青空には、燦燦と輝く太陽がぷかりと浮かんでいる。日はまだ高い。
「七海、おいてくよー」
ふと声のした方に目を向けると、いつの間にか店を出た奈加が窓越しに大きく手を振っているのが見えた。なんだか、店内からの視線が少し痛い気がする。
流石に店内で大声を出すわけにもいかなかったので、店の外の彼女にジェスチャーで『今行く』とだけ告げると、僕は包み紙の入ったバケットをレジ横の返却台に置き、そそくさと店を後にした。
カフェで過ごした数十分の間に外の気温はだいぶ暖かさを増したようで、肌を撫でる風からは、海や緑、陽の匂いが強く香った。そんな穏やかな雰囲気に意も介さない様子の奈加は、まるで台風みたいな速度で一歩一歩前へと進んでいく。
「ちょっと七海。そんな速度じゃ、水族館に着く前に夜になっちゃうよ」
「流石にその心配はないと思うけど……。それに、せっかくの天気なんだから、もう少しゆっくり見て歩こうよ」
「ふふっ。なんか、おじいちゃんみたいなこと言ってる人がいる」
まるで花が唄うようにけらけらと笑う彼女。
……きっと、周りから見れば、それは希望に満ち溢れた笑顔に見えるんだろう。
僕はそんな無邪気な微笑みを浮かべる彼女に釣られるように、小さく笑って言った。
「僕もそう思う」
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