瓦礫の流星

秋野 三郭

いつもの流れ星

第一話

 暗くて冷える闇の中から浮かび上がるような火があった。焼べられた木材はパチパチと爆ぜながら、時々極小の火の粉を宙にばら撒いた。

 火の粉は羽虫のように不規則な動きで空中を舞うと、夜に溶け込んでしまうかのように、その姿を隠してしまう。刹那で短い命を散らす陽炎のような儚さに、ミナは何となく自分のことのように思わされた。

 火の粉の消えた先には満天の星空が広がっていた。星はみな丸く等しく煌めいていたが、よく目を凝らせば一つ一つ異なった大きさであったり、光の強さであったりした。

 まるで自分に注目してほしいとばかりに燦々と輝く星もあれば、隠れるようにひっそりと鈍く光る星もあり、星たちが自分の個性を曝け出しているかのようだ。


「えっと……あ、あの三つ並んでいる星だね。あれがオリオン座」


 ニオがそう言って指を差した先には確かに斜めにほぼ均等に整列した星たちがあった。曰くあれらがギリシア神話に登場する巨人オリオンの腰を表しているらしい。どうして点と点を繋げて絵を描こうと思ったのか、その心理をミナは理解することはできなかったが、どこかロマンチックでもあるようにも思えた。


「オリオン座ってなんとかって星がなかったっけ?」


 ヤコは頭をくしゃくしゃと掻きながらニオに質問した。


「なんとかって何?」

「ベルセルクルとかそんなやつ」


 それは北欧神話だ。心の中で軽くツッコミを入れつつ、ミナは短く「ベテルギウス」と呟いて、また本に目を戻した。光源が焚火しかない現状、活字の多い小説を読むのには苦労するが、ミナにはもはや日常的なことであった。


「そう、それ! ベテルギウス!」


 ヤコは嬉しそうな声で叫んだ。


「うーん。ベテルギウスは見つからないよ?」

「なんで?」

「なくなっちゃったんじゃない?」

「え、星って無くなるの?」

「うん。確か、ちょーしんせーばくはつって言うらしいけど、爆発して消えちゃうんだって。五百年前くらい前に」

「うへぇ。でもさ、なんで前まで見えてたんだよ? 五百年前の話だって言うのに?」

「それはベテルギウスが地球から五百光年離れてて、私たちがその光を見ていただけ。光が五百年かけて私たちの地球に到達してるんだよ。銀河はとても広いからね」

「ふーん」


 分かっているのか分かっていないのか、ヤコはどちらとも言えない曖昧な返事をニオに返して、しばらく肩の欠けたオリオン座をじっと眺めていた。そして、突然思い出したように「けどさ」とニオたちに声をかける。


「死してなお輝くって、なんかカッコよくない? 俺のこと覚えていけーみたいな」

「そうかな? 私は死ぬのは嫌だよ」


 ニオの表情は複雑で、あまりヤコの思想に共感しているようではなかった。


「ミナはどう思う?」

「どうでもいい」


 ミナは本から目を上げずに質問に答えた。


「ミナに聞くんじゃなかった」とヤコはぶっきらぼうに言うと、また空の星を見上げた。

 しばらく黙ったかと思えば、空に指差して、あの星はなんだと隣のニオに尋ねる。ニオは図録をパラパラとめくり、それが何の星でどの星座の一部なのかを正確に答える。図録にはその星座のエピソードも書かれているらしく、ついでにニオはヤコに大雑把な説明をする。大概は有名なギリシア神話の一節であるため、ミナも半分くらいは聞き流しながらも、理解はできていた。そうしてしばらくまた沈黙が訪れたかと思いきや、すぐにヤコは次の星を指さしてニオに説明を要求した。それを何遍か繰り返すと、さすがにヤコも疲れたのか口を開けるのをやめて、黙って空を見つめ始める。


 静寂が少女たちを包み込み、焚火が爆ぜる音とミナが時々ページを捲る僅かな音以外は、すべての物体が停止してしまったかのようだ。

 互いの呼吸さえ聞こえそうなほど静まり返った空間。ミナはそれが嫌いではなかった。

 決して本に集中できるからという単純な理由ではない。それは自分と万物が融合して、一つになったような錯覚を与え、自分の役割を考えなくて良くなるからだ。いっそのこと一つになってしまえたらどんなに楽だろうと思っているが、現実は決して許してはくれなかった。


 パチンと焚き火が何かに気づいたように弾ける。連動するように、ヤコが「流れ星!」と嬉しそうな声を上げる。

 夜空には白い尾を引きながら流れる星屑が、地平線へ向かっていく。しかし、流星は地上に到達することなく、大気の中で燃え尽きて消えてしまう。遥か彼方で星屑を見ているミナたちには、あたかも消えてしまったかのように映る。


「普通の流れ星だったね」と、ニオの声はどことなく安心したようだった。

「普通の流れ星だったなら、願い事を言っとけばよかったなー」

「ヤコちゃん、願い事あったの?」

「まぁ、大したモンじゃないけどね」


 ヤコは俊敏な動きで立ち上がり、おっほん、ともったいぶったように咳払いをする。そして、「みんなからちやほやされる、スーパーヒーローになりたい」と誇らしげな顔で自分の願望を宣言した。


「なんか、こう、すごいね」

「でしょ、でしょう?」

「…………馬鹿らしい」

「はあああああ? そんなん言うならミナだって自分の願いを言ってみろよ! 私よりちゃっちいなら笑ってやるかんなー」


 少し予想していなかった返しに、ミナは本を閉じて考え込んだ。

 思ってみれば、ミナは自分の望みをあまり想像したことはなく、合理的な判断で今まで生きてきた。それはいつしか心から求めるものを見失っているようだった。そのため、彼女の答えはどことなく、曖昧で不安定なものだった。


「『流星群を見たくない』……かな」

「ええ……まぁ、あたしだって見たくないけど、なんかずるくね? それ?」

「でも、私たち全員の願いではあるよね? だって、もう怖い目は遭いたくないし……」


 不服そうな顔しながらも、興ざめたようにヤコは地面にどすりと座った。そして、ヤコらしくなく、弱々しい蚊の鳴くような声で「どうしてあたしたちなんだろ?」とみんなに尋ねる。


「だって、男でもよかったじゃん。でも、なんであたしたちが戦わなきゃいけないんだよ?」

「そんなことないよ。ヤコちゃんは強いよ」

「でも、あたしたちみんな……」

「やめろ。ヤコ」


 ミナは珍しく口調を強める。


「そんな腑抜けたこと言うな。ヒーローになるんだろ? だったら、誰か守れるくらい強くなれ。誰かに代わりを求めるな」


 ヤコは驚いた顔でミナの表情を眺めた。ミナはいつもの固い仏頂面だったが、ヤコは何かに気づいたように、首をすくめながら「やっぱ、には敵わないや」と呟く。その口元には僅かに笑顔が戻っていた。


「ニオはなんかないの? 願い事」

「わ、私?」

「そう。だってみんな言ったじゃん」


 ニオは身をよじらせながら、辺りをキョロキョロと伺って、本当に願い事を話すべきかをどうかを決め損ねていた。だが、ヤコの催促に勝てず、とうとう「私は……みんなとずっといられたらいいな……って」と恥ずかしそうに言った。

 自分のしでかしたことに気づくと、ニオは頬を赤らめながら、プイっとヤコとは反対の方を向く。だが、その視線の先にはミナがおり、思わずミナと視線があったニオは慌てて顔を突っ伏した。


「おいおい、フラグか? そういうのが危ないって言うんだぞー」

「うわーん、ヤコちゃんのいじわるー」


 ミナはいつも通りに戻ったニオとヤコを横目に大きな溜息を吐きながら、読みかけの小説を再開する。

 煩わしいと思えること自体が幸せであるのを、ミナはここにいる誰よりも理解していた。だから、彼女は冷たいフリを続ける。そうすれば悲しみを拭うのが簡単になるのだから。自分の最後の瞬間に、悲しんでくれる人たちが一人でも減るのだから。


 キリがいいところまで読んで、パタンとミナは本を閉じる。そして、みんなが飲み終わったスープ缶を手に取りながら立ち上がって、森の方へ進んでいく。

「どこに行くんだよ」というヤコの声に「気晴らしに少し撃ってくる」と背中で答えながら、通り際に、大木に立てかけられたポリマー性の汎用ブルパップ・アサルトライフルを掴むと、ミナは暗闇に溶け込んでいく。


 あまり遠くないところに少し開けた空間があることを、キャンプの設置時からミナは知っていた。月光が降り注ぎ一段と明るいその空間は、まさに自然の演劇の舞台と呼ぶに相応しかった。そこに大道具が如く佇む切り株や、倒れた木の幹の上に、スープ缶を置いてゆき、ミナは少し離れた場所で片足をついてアサルトライフルを構える。


 慣れた操作でチャージングハンドルを二回引く。薬室に残弾がないことを目でしっかり確認すると、腰のポーチに備え付けてあったマガジンを手で引き抜き、銃のストックに位置する丁度いい隙間に押し込む。チャージングハンドルをもう一度引き、カチャリと装弾された音を聞くと、ミナはしっかりと照準を覗き込んで、空き缶に焦点を合わせる。

 自分の呼吸で上下にズレる狙いに、タイミングを合わせてトリガーを引く。切り株の上のスープ缶は乾いた音を立てて弾け飛んだ。が、続けざまに放たれた弾丸は次の缶の上方を掠めて飛んでいく。

 短く舌打ちをして、ミナはもう一度狙いを定め直す。今度こそ弾丸は缶を捕らえ、大木の影に隠れて見えなくなる。そのまま最後の缶を素早く撃ち落とし、ゲームは終了。


 一発無駄にした、と短くつぶやきながら、ミナがチャージングハンドルを素早く引くと、薬室に残っていた弾丸が空中に舞い上がる。ある程度の高さに上がった後に自由落下を始める銃弾をキャッチし、そのまま銃から引き抜いた弾倉に詰め直す。

十分にも満たない短い時間でも、邪念が消えて少しスッキリした気持ちで、ミナは空を見上げた。


 空に浮かぶ、まんまるではない微妙に膨らんだ月は、どこか不完全で物足りなさそうだ。そして、その横を走る流れ星にミナは気づいた。

 巨大な流れ星は空で何かにぶつかって粉々になったかのように、突然分裂する。そして、その流星の欠片は放物線を描きながら、それぞれの方向へと飛んでいく。

 ほとんどの流星は尾を引きながら、地平線の向こう側へと消えていったが、一欠片だけは違った。


 ミナは一瞬夜空に広がる閃光に目が眩む。その光の中から現れたかのように一際大きな流れ星が豪速でミナの頭上を飛んでいった。青緑がかったプラズマをあちらこちらに撒き散らしながら、それはミナたちより遥か彼方の地点に着弾した。

 聞こえないはずの地鳴りの幻聴を感じながら、ミナは流星が消えた方向をじっと見つめる。あまり遠くはなさそうだと思った時、自分にツキがないことをはっきりと理解していた。


「おーい、ミナー」


 藪をかき分けながら、ミナの元へヤコが近づいてくる。その後ろをニオも追っていたようだが、まっくらな獣道で派手にすっ転ぶ音だけが聞こえる。


「ふぅえええ、ヤコちゃーん」

「ったく。しょうがないな」


 ヤコはニオの手を引いて立ち上がらせる。闇に眼が慣れたミナはニオの服が土まみれになっていることに気づいたが、今はそこに触れる時ではないと判断した。


「予報通り『流星群』が来たよ。ミナ、ちゃんと見てた?」

「ああ。あっちの方」と、ミナは流星が消えた先を指さす。

「多分、結構北だなー。歩いて三日くらいか?」

「直線距離はそうだけど、この辺は山道だからもっと時間がかかる」

「すぐに出ないと、だな」

「え? もう、出るの? ゆっくりしようよ……」


 バサバサと服を叩くニオの声はあまり乗り気ではなさそうだった。


「バーカ。流れ星が見えたってことはまたあいつらが出たんだろ? 食われちまう前に行かなきゃ」

「折角の休憩だったのに……」

「私たちにもともと休憩はいらねぇよ」


 ヤコは顔をしかめるが、ミナは表情を変えなかった。


「でも、確かに夜の山道は視界が悪くて危険だな……出発は明朝にする。今のうちに撤収作業」

「り、了解……」

「はーい」


 少女たちは焚火が燻るキャンプへと戻っていく。背後で流れるニオとヤコの変わらない会話がどうしても怖くて、ミナは聞いていない素振りをした。それが一番楽であると彼女は既に悟っていた。

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