第5話 回想 ~陰鬱な雨~


 6月。

 梅雨らしい、体にまとわりつくような陰鬱いんうつな雨が降っていた。


 学校の帰り道、私は、いつも通り親友のハナコとくだらないことを話し合いながら、歩いていた。


「ほんと、やる気すごいよね、サキは」

「私じゃないの! 絵がね、描いてほしいよーって訴えてくるの! だから、描いてあげなきゃ!」

「いや、どういうことだよ……」

 変わってるなぁ、ハナコは口をへの字に曲げて言った。


「あ、そういえばサキさ、今度日曜日、空いてるよね? 新しくできたカフェ行こうよ。カフェデート!」

「デートって……。あんた、そういうことは彼氏作ってから言いなよ」

「うるさいなぁ。何よ、そういうサキはどうなの」

「私は……、どうだっていいでしょ!」


 並び、歩く高校生が二人。

 見慣れた、いつもの光景だった。


 ただ、その日は、一つだけいつもと違うことが起きた。


「あ、猫さんかわいい」

 私は、シャッターの閉まった古本屋の軒下にいる黒猫に気が付いて、足音を忍ばせて近寄った。

「おー、よしよし、怖くないからねー」

「サキって、動物好きなの?」

「うん、大人になったら、絶対犬か猫、飼う! ……って、だめだよ、そっち行っちゃ!」


 人の気配に気づいた黒猫が、広い車道に繋がっている交差点に向かって走り出した。

 私は走って、後を追いかけた。


 ちょっと走ると、すぐに追いついた。

 私は、黒猫に手を伸ばした。



 ――すぐ近くで、車のクラクションが、けたたましく鳴り響いた。



 私は、なんとか猫が道路に飛び出してしまう手前で、捕まえた。

「……と、急に道路に出ようとしたら危ないでしょ。次から気をつけなさい、スイートポテトっ」

「それってもしかして、名前? あはは、サキ、センスなーい!」

 ハナコがお腹を抱えて笑う。

「そんなことないよね、ピッタリな名前だもんね~」


 突然、キィィ、という耳をつんざくような音が聞こえた。

 私たちは慌てて振り返った。


 ものすごいスピードで、車が走っていた。地響きするような、耳障りなエンジン音をかき鳴らしていた。

 白い車は右折しようとしてきた対向車をよけようとした。

 しかし、避けきれなかった。

 車は、まるですれ違いざまに肩をぶつけるようにして、衝突した。

 ヘッドライトが細かく砕け散る。


 接触事故だ。


 しかし、それだけでは終わらなかった。

 濡れた路面で制御を失った車体は、ほとんど速度を緩めることなく私たちへ近づいてきた。


 車は唸りをあげながら、近づいてくる。その動きはひどくゆっくりに見えた。


「え……?」


 そうして、私たちは、車に轢かれた。



 私は、大怪我を負った。

 右手がほとんど使えなくなるほどの大怪我だった。


 病院のベッドに横たわる私に、お母さんが話しかけた。

 お母さんによると、あの時車に乗っていたのは、都内の会社で働く男性。

 女性との約束に送れそうだったから、スピードを出していた、だそうだ。


 ハナコは、幸いにも打撲や擦り傷程度の軽症で済んだらしい。



 しばらくして、ハナコがお見舞いに来た。

 ハナコの表情は暗い。

 私だけ無事でごめん、とでも言いだしそうな表情だった。

 その表情が、辛かった。そんなこと、ハナコが気にしなくてもいいのに。


 ハナコが言うには、あの時出会った猫も、一緒に轢かれて、うごかなくなっていたらしい。


 私は、右手が、ほとんど治る見込みがないと病院の先生が言っていたことをハナコに告げた。

 ハナコの表情は、やっぱり暗かった。



クゥは、サキの口から滔々とうとうと語られる、暗い過去の話を、じっと何も言わずに聞いていた。


「ヨミさんと話してた時、なんでこの人こんな意地悪なこと言うんだろう、ってずっと思ってた。だけど、ヨミさんが正しかったんだね」


サキが、ただ、肺の空気を押し出すように言った。

自分の言葉が自分のものではないように感じられた。


「私、確かに思ってた……、もう、死んでもいいや……、って」

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