第3話 心優しきお姫様と孤児院


 サングエ帝国の帝都レオーネ。

 皇族の住まう城のお膝元であり、サングエ帝国内で最も発展した都市である。

 商店には併合した国々の特産品や名物が並び、帝都では手に入らない物がないと言われるほどに品揃えが豊かだ。

 しかし、サングエ帝国で最も優れているのは鉄製品であり、武器だ。魔物という身近な脅威がある大陸では、平民ですら護身用の武器は欠かせない。

 軍事国家として成長を続けるサングエ帝国の武具は周辺他国と比較しても優れており、特に帝都に集まる品々は露店の物すら質が高い。遠方から買い求めに来る者すらいるほどだ。


 そんな、帝都レオーネで最も人々が集まり賑やかな大通りが、にわかに色めき立つ。

 大きな声が潜まり、静かなざわめきが広がる。

 人混みが自然と割れ、皆が見つめる先にはメイドを付き従え、楚々と歩く帝国第三皇女アウローラ・クローディアがいた。


「皆様、ご機嫌よう」


 アウローラは小さな手を振り、美しく整った顔を微笑むに変える。それだけで、男女問わず耽溺したように惚けた声を漏らす。

 サングエ帝国には三人の皇女がおり、誰もが美しい容姿をしているが、一番に名が挙がるのはアウローラであった。

 彼女の母も類稀なき美貌をしており、平民でありながら現皇帝に見初められ側室となった女性だ。娘のアウローラもその血を引き継いでおり、十六となった現在、貴族だけでなく他国からも結婚の申し込みが後を絶たないという。

 華奢な肢体で、儚げなお姫様が憂いを帯びた微笑みを浮かべるだけで、やられてしまう者は後を絶たなかった。


 ただ、熱を上げているのは独身貴族ばかりではない。もっとも熱狂しているのは帝国民だ。


「いや~、朝からアウローラ様のお姿を拝めるとは、今日はツイてるぜ」

「全くだ。皇族の中で、直接顔を見せてくれる方なんて、アウローラ様ぐらいのものだ。手を振ったら、目を合わせてくれたしな!」

「馬鹿かおめぇ。それは勘違いってものだ。夢見るな?」

「はぁあっ? 勘違いじゃねぇ。事実だ。嫉妬してんじゃねぇよ」

「あぁん?」

「はぁん?」


 道行く人々の口からアウローラを賛美する会話がいくつも囁かれる。

 アウローラは母が平民だった故か、城下町へと足繁く通い、民と直接言葉を交わして触れ合う皇女だ。性格も淑やかであり、高慢な貴族のような偉ぶった態度は見せない。それ故、民たちの間ではもっとも人気を集めていた。

 

 ~~


 大通りを笑顔で手を振り歩くアウローラ。彼女の身をいつでも護れるよう付き従うミラーナは、周囲の民には悟られぬよう表情は引き締め、けれど小さく囁く声には気遣いを込める。


「アウローラ様。あまり無理をなさらないでくださいませ。本日はお休みになるのが宜しいかと」

「ミラーナは心配症ですね。朝、目覚めて涙を流すなど、心配するほどのことではないでしょう?」

「とても心配です」


 主を起こしに行けば、涙を流していたのだ。心配しないわけがない。


「気にし過ぎです。それに、なにがあってもミラーナがどうにかしてくれるでしょう? 頼りにしていますよ」

「もちろん、アウローラ様のためならばどのようなことも致しますが、大前提として御身を大切にして頂かなければ」

「皆様、おはようございます」


 小言から逃げるように、アウローラは道行く人々に手を振る。

 無理をするなと言って簡単に聞いてくれるような主ではない。困ったようにミラーナは小さく嘆息した。

 ただ、このように誤魔化すのも、信頼してくれているからこそと思えば、中々強くは叱れない。ならばこそ自分がよりしっかりしなければと、ミラーナは身を引き締める。


「本当に、心配ありません。少し、お兄様のことを思い出して感傷的になってしまっただけですから。体調は良好です」

「……っ。そう、ですか。かしこまりました」


 アウローラが困ったように苦笑する。揺れる瞳に、ミラーナは失言であったと追及してしまったことを後悔した。

 アウローラにとって兄である第三皇子ディーノ・クローディアは誰よりも大切な人であり、もう戻ってはこない故人だ。

 ディーノが追放された時、まだミラーナは御傍に仕えていなかったが、悲しみに暮れていたというのは伝え聞いている。そのことを思い出させるように問い質してしまうなど、従者としてだけでなく、ミラーナ個人としても大失態である。

 肩を落とすミラーナに、アウローラは優しく声を掛ける。


「ミラーナは気を遣い過ぎです。本当に、大丈夫なんですよ? 体調も、心も。なにより私は、お兄様についてはなにも心配しておりませんから」

「はい。存じております」


 怪物の楽園であるモストロ領域にディーノが追放されておよそ五年。アウローラだけは兄が無事だと信じ続けていた。


 ――


 賑わいを見せる城下町から離れた、人通りの少ない小さな孤児院。

 白い壁にはヒビが入っているところもあるが、汚れは少なく、周辺の土地には雑草も見られない。手を抜くことなく、丁寧に管理されているのが伺える。

 ミラーナを伴ったアウローラが孤児院の敷地内に足を踏み入れると、孤児院の扉が勢い良く開き、数人の子供たちが飛び出してきた。


「アウローラ様だー!」

「お姫様!」


 彼らは孤児院でお世話をしている身寄りのない子供たちだ。

 子供たちの事情は様々だが、特に多いのは戦争孤児だ。戦争によって両親を失い、行く当てのない子供たちを孤児院で保護している。

 孤児院に出資をしているアウローラは、時間を作っては時折子供たちの様子を見に足を運んでいた。

 周囲に集まって笑顔で出迎えてくれる子供たちに、アウローラも同じように笑顔を向ける。


「皆さん、勉強は頑張っていますか?」

「うん! いっぱい字が書けるようになったんだ!」

「わたしは、けいさんすこしできたの」

「お利巧さんばかりですね。そんな頑張っている貴方たちにお土産です。ミラーナ」

「はい」


 アウローラに声を掛けられたミラーナは、手に持っていた籠の蓋を開き、子供たちに中身が見えやすいよう屈む。

 籠一杯にハートや星など様々な形をしたクッキーが入っており、子供たちの瞳がキラキラと輝き出す。


『クッキーだー!』

「今日もお勉強を頑張れたら、おやつに食べましょうね」

「え~、今食べたい~」


 ぶーと唇を尖らせる男の子。

 子供たちを追って孤児院から出て来たミレーナとそう変わらない年若い院長アリアンナ・モナカが、人差し指を立てめっと男の子を窘める。


「こら! アウローラ様に失礼です! ご迷惑になりますから、講堂に戻っていなさい」

『は~い』


 拗ねた様子を見せつつも、彼女の指示に従って素直に孤児院へと戻っていく子供たち。

 一息付くように、もうっと息を吐き出すと、申し訳なさそうにアウローラへと頭を下げる。


「申し訳ございません、アウローラ様。私から言って聞かせますので、ご容赦を」

「ふふ。構いませんよ。子供が元気なのは良いことです」

「そういうわけにはまいりません。子供のうちだからこそ、正しい礼節を身に付けるべきですから」


 お任せ下さいとアリアンナは両拳を握ってやる気を漲らせる。

 この孤児院では子供たちに文字の読み書きといった勉強も教えている。

 平民で学問を学べる者は少ない。字を書ける者すらほんの一握りであり、政の中心は貴族だ。平民の子は、ある程度身体を動かせるようになれば親の仕事を手伝うのが一般的なのだ。

 アウローラの後押しがある故に、この孤児院では子供たちに勉強を教えられているが、常識と照らし合わせれば贅沢とも言える待遇である。


 教育熱心なアリアンナに、アウローラは苦笑する。


「私が貴女を信頼して任せている仕事です。教育方針はお任せ致します」

「お任せ下さい」


 服の上からでもわかる豊かな胸に手を当て、アリアンナは臣下の礼を取る。

 真面目過ぎる彼女に、アウローラは「無理して倒れないで下さいね?」と一言添える。そう言った瞬間、背後に立つメイドが意味深な視線を送って来た気がしたアウローラであったが、気付かないことにした。


「アリアンナ。こちら、後で子供たちと食べて下さい。クッキーです」

「まあ……いつもありがとうございます。気を遣って頂いて」

「私ではなく、ミラーナが作っていますので、お礼は彼女にお願いします」


 アウローラの言葉に、ミラーナが軽く頭を下げる。

 アリアンナも同じように頭を下げミラーナに応じると、アウローラに向き直る。


「もちろん、ミラーナにもお礼をお伝えしますわ。けれど、クッキーを持ってこようと仰ったのはアウローラ様のはずです。であれば、アウローラ様にもお礼を告げるのは、正しい礼節になりますわよね?」


 子供たちに教えるといった礼節を持ち出され、アウローラは謙遜の言葉を口にできなくなった。

 信賞必罰。罪を犯した者に罰を与えるのが当然のように、功績のある者に褒美を取らせるのもまた当然だ。特にアウローラは第三皇女としての立場もある。その彼女が礼を受け取らないとあっては、下の者に示しが付かない。謙遜するのが美徳と取られるのは、立場的にも個人的にも宜しくない。

 アウローラは諦めたようにため息を吐き出す。


「……降参です。お礼の言葉は、受け取らせて頂きます」

「はい。受け取って下さいませ。私共は皆、心優しきお姫様に感謝しております」


 ただ、礼の言葉は受け入れられても、受け取れぬ称賛というものもある。

 アリアンナの言葉に、アウローラの表情に影が差す。

 見るからに落ち込まれた様子に、アリアンナが不安そうに問う。


「……? いかが致しましたか?」

「いえ……心優しきお姫様というのは、私のような者には似合わぬ呼称ですので、分不相応で気後れしてしまいました」


 孤児院のことも、お土産に持ってきたクッキーですら、全ては自身のために行っていることだ。

 善意による慈善事業ではない。アウローラに利益がある故に行っているのだ。それも、酷く個人的な目的のために。

 謙遜するのも、称賛されるべき行いとは思っていないから。人に優しくするのは、利己的な己を許してもらおうとしているだけだ。過ちを犯し、罪悪感に苛まれる者が罰を求めるのと変わらない。

 アリアンナだけではない。民すらもアウローラのことを『心優しきお姫様』などと称えているのは彼女自身知ってはいる。しかし、利己的な行いに対して心優しいなどと称賛されるのは、アウローラにとって耐え難いものであった。


 アウローラの言葉を受け止めたアリアンナは、皇女であるアウローラに無礼と承知で両手で彼女の手を握る。言葉だけでなく、直接自身の気持ちが伝わるようにと。


「そのようなことはございません。アウローラ様がどのようなお考えであれ、貴女様によって私たちは救われているのです。どうか、そのことを忘れることなく、必要以上に自分自身を卑下しないよう、お願い申し上げます」

「……ありがとうございます」


 アリアンナの言葉で全ての憂いが晴れたわけではないだろう。けれども、アウローラは心が軽くなったというように、嬉しそうな微笑みを浮かべるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る