第12話 後ろ姿が淫れる

「いててて……」


 予想通りの筋肉痛。


 壁に寄りかからないと階段から降りられないほどだ。


 腕と胸の筋肉にも、おとといのダメージが残っている。


 だが――。


「……今日は漏れなかったな」


 朝から下着を変えなくて済んだ。


 やはり、運動すると発散されるのだろうか?


 俺は足の痛みとは裏腹に、清々しい気分で家を出る。


「おはよー遊子! ってあれ? いない……?」


 おや、俺のほうが先になるとは珍しい。


 少しして、隣の家から遊子が出てきた。


「むにゃむにゃ……あっ、おはよー」


「お、おう……」


 うむ? なんだか元気がなさそうだな。


 目の下に少し隈が出来ている。


「どうかしたのか?」


「え? ううん! 別に何でもないよ……?」


 と言って遊子は、いそいそと玄関に鍵をかける。


 遊子の家は母子家庭だ。


 お母さんは夜の仕事をしていて、今はまだ寝ている時間。


 朝ごはんとかも、遊子が自分で作って食べているのだろう。


「じゃあ、いこっか!」


 朝日を浴びて目が覚めたのか、いつもの調子に戻る遊子。


 そのままいつもの通学路を、スタスタと歩き始める。


 俺はその後に続きつつ、ふと思う。


 実は遊子は、父親の顔を知らないのだ。


 プロサッカー選手だったそうだが、遊子が生まれる前に、内臓を悪くして亡くなってしまったらしい。


(だからかな……?)


 昨日のスクワットの時、なかなか俺の背中から離れようとしなかったのは。


 自分で言うのも何だけど、俺もそれなりに大人になった。


 もしかすると遊子は、俺の背中に、亡きお父さんの面影を求めていたのかも……。


(なんてな……)


 流石に、調子に乗りすぎか。


 ちょっとくらいそうだったら良いなって、思わないでもないのだけど。


 もしかすると遊子は、俺に頼りがいのある男になって欲しいと思って、ジムトレに誘ってきたのかも……?


 やたらと監視してくるのも、その一環だったり……?


 だとしたら可愛いのになーって、思ってしまったりしなかったり……?


「むふふふ……」


 そんなことを考えていたら、つい顔がニヤけてしまった。


「なーに? 気持ち悪い顔して?」


「いや、別にー」


「むむー? ちょっとハルキ、今何考えてたの?」


「なんでもないって……」


「嘘! またエッチなことを考えてたんでしょ、このむっつりスケベ!」


「お、お前には言われたくないなっ」


「なにぃー? いつ私がムッツリになったってーのよ!」


「エッチなこと考えてるってわかる時点で、ムッツリじゃないかっ!」


「うわ何その屁理屈! というか、やっぱりエッチなこと考えてたんだー!」


 いつも通りの軽口を叩きつつ、俺は遊子とともに歩いていく。


 そして道すがら、今日は背中でも鍛えてみるかと考えるのだった。



 * * *



「背中!? いいね! その若さで背筋のシブさに気付くとは! お姉さん感心だよ!」


「……そ、そうです?」


「うんうん! 一昨日はベンチで、昨日はスクワットだったから、今日あたりは背中かなーって、あたしも思ってたんだ!」


 俺が自分から背中をやりたいと言うと、なんかメッチャ褒められてしまった。


 どうやら、ナオミさんのメニューにも沿っていたようだ。


 ということで、今日の種目は『ラットプルダウン』である。


「本当は懸垂が出来るといいんだけどねー」


 と言って、まずはナオミさんが実演してくれる。


 ラットプルダウンは、シートに座った状態で、頭上にあるバーを引き下ろすトレーニングだ。


 懸垂とほぼ同じ動きになる。


 俺は1回もできないが、あれって腕じゃなくて背中の筋肉だったんだな……。


(つまり……)


 俺の背中の頼もしさは、まだまだと言うことか。


「じゃあやってみせるよ! 私の肩甲骨の動きを良くみていてね?」


「は、はい!」


「はーい!」


 ナオミさんは布面積の少ないスポブラだから、肩甲骨の動きが丸見えだ。


 というか……なんて綺麗な背中だろう。


 無駄なお肉が一切なくて、まるでイルカのようだ……。


「す……ハッ、す……ハッ」


 吸う息で引き、吐く息で戻す。


 リズミカルで、肩甲骨が驚くほどダイナミックに動く。


 二の腕の筋肉もビクンビクンと跳ねて、しっとりと浮かんだ汗が、宝石のように飛び散る。


「てなまあ、こんな感じ?」


「すごい!」


「格好いいです!」


 これはテンションがあがる!


 俺も、あんな風にかっこよく、背中を動かせるようになりたい!


(それに……)


 ベンチプレスやスクワットより楽そうだ!


 ナオミさんも、息があがっていないしな……。


 格好良く見えるわりにキツくなさそう。


 まさに、理想的なトレーニング!


「さあ、どっちから行く?」


「うーんと……」


「えーとぉ……」


 おや、遊子が行かないな。


 すっかりお見合い状態になってしまう。


 常にグイグイ行く彼女が遠慮するとは珍しい。


 本当に、どこか調子が悪いんじゃないか?


「さ、先にやっていいぞ?」


「そ、そう? じゃあお言葉に甘えて……」


 と言って遊子は、よっこいしょとシートに腰掛ける。


 なんだなんだ? 遠慮していたのか?


「最初は一番軽いので行くよ。背中は色んな筋肉があるからね、狙った場所にきちんと効かせるのは、意外と難しいんだ」


「そうなんですか?」


「うんうん。まあ一発目は、何も考えずに引っ張ってみなよ」


「はーい」


 そして遊子は、バーを握って胸の前まで引き下ろす。


「えいっ……! ほいっ……! あれれ?」


 やっぱり、ナオミさんのようには行かないな。


 肩甲骨が殆ど動いてない。


「ははは、それだと力こぶしか鍛えられないよ。もっと、背中を意識しなきゃ」


「ううー、これムズかしぃー」


「よしっ、じゃあハルキ君、ちょっと手伝ってあげよう!」


「え? 俺がです?」


 はて、この種目って補助とか出来るもんなのか。


「うんうん、遊子ちゃんが背中の筋肉を意識できるように、こうして手を添えてあげるんだ」


「えっ!?」


 ナオミさんはそう言うと、遊子の肩甲骨の下あたりに、ペタッと手を添えた。


「この辺りを意識すると、大円筋と広背筋が上手く働くよっ? やってみて、遊子ちゃん」


「は、はいっ」


 そして再び、遊子はバーを上げ下げするが……。


「おっ!?」


 すごい、肩甲骨がさっきより動いている!


 鍛えたい部位を意識するって、こんなに重要なんだ……。


 し、しかし……。


「ほ、本当に俺がやるんです?」


 俺は男で、遊子は殆ど上半身裸みたいなもの。


 ぶっちゃけ、セクハラになってしまわないか……!?


「そーだよ? あたしだって、何時でもついてあげられるわけじゃないし、2人できちんと『共同作業♡』できるようにならないとねっ!」


「ええ……!?」


 そ、そんな……良いんだろうか?


 あと、やっぱりイントネーション……!


「は、はぁ……やっぱりナオミ先輩って天才……!」


「んふふー、でしょー?」


「えっ?」


 遊子とナオミさんは、何だか2人で通じあっているし……。


 うむぅ……これはあくまでもトレーニング。


 健全なトレーニング……。


 やましいことは考えるな、俺。


 ただ真面目にやりさえすれば良いんだ!


「わ、わかりました! ゆ、遊子……触るぞ!?」


「うっ、うん!♡」


 俺は、荒ぶる煩悩を努めて抑え、遊子の肩甲骨の下に手を添えた。


 その肌は柔らかく張りがあり艷やかで、汗でしっとりと湿っていた。


 気を抜くと、煩悩がぶり返してしまいそうだ……!


「じゃあ、行くよ!♡」


「お、おう!」


 そして遊子は、再びラットプルダウンのバーを引く。


(うおっ……!?)


 俺の手の平の中で、幼馴染の筋肉が跳ねる――!


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