第23話 正義の話 2

「――しかし、魔王様」


 トスタームは一呼吸溜めると、続けて言葉を続ける。


「このトスターム、ならばこそ……ならばこそ問いたいのです!! それほどまでの『正義』をお持ちでありながら、なぜ圧倒的不利なこの戦いに臨むのですッ!?」


 さきほどのグローツェスの信念を聞く限り、どうしても今の彼の判断はそれにそぐうものだとは思えず、トスタームは問い重ねる。


「魔王様の仰る『正義』を貫こうとするのであれば、徹底的に反抗をするべきではないですか……ッ!! イチかバチかの賭けに打って出て種が根絶されるよりも、ここでの局地的な敗戦を甘んじて受け止めて、次の再起を図るべきではありませんかッ!?」


 その言葉を受けたグローツェスは軽く頷いたが、しかし思案の間も見せずにトスタームへと逆に問い返す。


「お前の言いたいことは確かにわかるぞ、トスターム。しかし多くの幹部を失った今、それでも長期的に王国と戦っていくとしたら、どのような作戦がベストになると考える?」


「それは……潜伏先を絶えずに変えつつ、王国の力を少しずつ削っていくようなゲリラ戦術ではないでしょうか。王国に少なくないダメージを与えつつ、こちらは少しずつ戦力を回復していく……。少数が大多数に立ち向かうには最適なものかと」


 戦いとしての定石でもあろうその答えを、魔王軍を率いた参謀の頭脳は間髪入れずに叩き出すが、しかしそれに対してグローツェスはなおも問い重ねる。


「私が直接指揮できる数にはもちろん限りがあるのはわかっているな? ではそれ以外の魔王軍はどうなる? さらに言ってしまえば非戦闘員は? 私の直接の指揮で戦う部下の家族たちは?」


「そ、それは……――まさか、魔王様……ッ!!」


 明晰な思考力を持つゆえにトスタームはその問いかけだけで、魔王が何を考えてこの場での決着を望むのか、その考えの一端を掴めてしまう。


「魔王様はそれゆえに種の根絶を選ぶのですか……? 残された同胞たちの苦しみを長引かせないために……?」


 ゲリラ戦術とは確かに少数が大多数を相手にするには向いた策ではあるのであろう、全面的な戦闘を行わずに普段は息を潜めてここぞというところで襲撃を掛けるものだ。


 こちらの被害は全面衝突に比べれば遥かに小さいものとなるだろうが、しかしその代わり相手へ与えるダメージも少なく、それ故に長期戦になることがとても多い。


 そして何より、ゲリラ戦の勝率は過去の歴史を鑑みても非常に低いのだ。


 それはどこからか兵隊や兵糧の支援を見込んで盛り返しを図る一手ではなく、ただひたすらに種が滅ぼされないためだけの永い戦い。


 その戦いの中では、魔王様が直接指揮をしない部隊や非戦闘員たちは生き長らえようと足掻くだけの苦しみを味わい、そして死んでいくだろう。


 そしてグローツェスが直接指揮をする部隊にせよ血は流れ続けることになるだろうことに加えて、その永すぎる戦いが辿る末路が、結局は種の根絶だという可能性はとても高い。


 トスタームはそこまで思考を及ばせると、歯嚙みをして俯いた。


 救いは果たしてどこにも無いのだろうか、このまま急激な滅びの波に呑まれる他に我々の道は無いのだろうか。


「――断頭台を知っているな、トスターム?」


「……ッ!! えぇ。人間たちの中でも貴族に対してのみ使用することが許された、特殊な処刑道具です……」


「ああ、そうだ。何故貴族のみがそれで死ぬことができるのか……答えは『楽に死ねる』からだ。首が胴体から離れれば即死だからな、痛みを感じる間もなく死ぬことができる」


 トスタームはもはやその言葉に対して声に出して返事はしなかった。


 続く言葉が理解できたからだ。


「トスタームよ……。ならば断頭台を用意してやろうではないか」


「……永い苦しみよりも一瞬の絶命を。それが、魔王様の抱く『正義』の示し方でございますか……?」


 グローツェスはその問いにゆっくりと顎を引いて静かに肯定を示した。


 その応えにフッと息を吐いて諦観を見せたトスタームに、しかしグローツェスは「何を悲壮な顔をしているのだ」と薄く笑いかける。


「いいか? 私はこの城での戦いに負けるつもりなど毛頭ない。断頭台の上の斧に伸びる紐は我々側のものと王国側のもの、2本用意されているのだ。そして今日の決戦で、どちらの紐に刃が振り下ろされるかが決まる」


 グローツェスの瞳に紅く灯るその意志の炎を見て、トスタームは再び忠義の姿勢を改めて示し「はっ!!」と威勢のいい返事をする。


「このトスターム、此度の決戦に懸ける魔王様のお覚悟と『正義』は充分に理解いたしました……!! ――っ…………」


「…………よいぞ、申せ。まだ言い足りぬことがあるのだろう?」


 息を詰めるようにして感情を押し留めるトスタームへ、グローツェスは穏やかな声で許しを与える。


 しばらくの間をおいて再び「はっ!」とそれに応じた声が返り、そして続いた「魔王様のご決意に水を差してしまうことをお許しくださいませ……」というトスタームの言葉は震えたものだった。


「それでも……やはり私には、どうしても納得ができないのです…………ッ!! この一局でもし、もし万が一敗北するようなことがあればッ!! ……同胞たちが根絶させられるなどとは……どうしても…………ッ!!」


 血を絞るような悲痛さの込められたその声に、しかしグローツェスは変わらぬ穏やかな声で応じ返す。


「……すまないな。それでも私はそれが私の中の『正義』に順ずる判断だと信じて貫き通すぞ」


 ともすれば泣いているのではないかと思わせるほどにその大きな肩を震わせるトスタームへ向けて、グローツェスは言葉を濁さぬことのみが自分の中で示せる唯一の真摯さだとばかりに言い切り、そして言葉を続ける。


「納得せよと無理強いはせん。トスタームよ、お前はお前の信じる『正義』を行けばいい。だがもしも、それを押してでもこの私に力を貸してくれると言うのであれば――」


「――もちろんこのトスターム、御身のために振るう力に惜しむことなどございませんともッ!!!」


 トスタームは声を大にしてグローツェスの続く言葉を断ち切る。


 それは長く魔王の右腕を務め上げてきたトスタームの最期の矜持きょうじであった。


 ――力を貸して欲しいと? 侮らないでいただきたい。


「元より御身に捧げた命でございます……ッ!! 故に、ご自身の右腕に情けを掛けなさるなッ!! 御身の一部として、魔王様が進む道へと最期までお伴させていただきますとも……ッ!!」


「…………うむ」


 トスタームのその忠義の言に、グローツェスが間を置いて応じる。


 トスタームはその歯切れ悪そうなその魔王の様子を玉座の下から見上げて、ようやく心に掛かっていたもやが晴れたような気がした。


 もちろん、魔王が下した『正義』の全てには納得などできていない、いやできるはずがない。


 同胞たちの根絶を許すということはつまり、自身の愛すべき家族すらも死するということなのだから。


(だが魔王様も……これは苦しみ悩んだ末の決断なのだ。この期に及んでなお、私を死地に遣ることすら迷って下さるのだから……)


 だからこそ、トスタームはそれ以上負担は掛けまいと、それ以上の言葉は紡がせまいと、心の中にいつの間にか生まれた温かい物に後押されるように自然と立ち上がった。


「それでは……私はそろそろ行きます。勇者・レイシア以外の精鋭部隊の足止めをしなくてはなりませんからね」


「……うむ」


 グローツェスの返事を聞くと、トスタームは玉座に背を向けて通路へと歩き出す。


 恐らく、いや確実にこの戦いで自分は死ぬであろうとトスタームの頭脳は導き出していた。


 精鋭部隊はレイシアを除いても充分に強い。


 いや、むしろレイシア単体よりも遥かに難敵だろう。


 しかしトスタームが修めている戦闘補助系魔術であれば有効な攻撃とはならずとも、足止めは充分に可能だった。


 ――命の続く限り術を張り、死してなおその身で道を塞ごうではないか。


「トスタームよッ!!」


 そして玉座の間から出ようというその時、大きく声が掛けられ、トスタームは驚いたように振り返る。


 グローツェスの視線が一直線にトスタームを見据えていた。


 視線がかち合って、そして一瞬のうちに多くの光景が脳裏に甦る。


 それは長きに渡った王国との戦いの歴史であり、グローツェスへと仕えた日々の思い出であり、そして決して輝きに満ちているとは言い難くも、しかし共に懸命に生きた証であった。


「――大儀であった」


 低く、重みのある万感の込められたその声がトスタームの耳朶じだを打つ。


「――はっ!!」


 何十年もの歳月を共に過ごしたこの2人に、それ以上の言葉は不要だった。


 もう一度膝を着いてそう答えると、今度こそ振り返ることなく、トスタームは通路の影へと消えていく。




 ――それから、どれくらいの時間が経ったかはグローツェスにも不明瞭だった。


 玉座から見える空っぽの景色を目に映して、グローツェスは呟く。


淘汰とうた、か……」


 これは確かに戦争という形をとっているが、しかし狭義の意味での淘汰だ。


 より優れた種類の生命が、それ以外を駆逐して生態系を独占していく過程である。


 結果、世界を回すために必要な種だけが生き残るのだ。


 何とも残酷で、何とも効率的な神々の世界運営。


「もし神がいるのだとすれば、お前こそが我々にとっての『悪』なのだろうよ……」


 何もない宙へとその言葉を吐き出すと同時、


「――――グロォォォオオォオォツェェェエェエェスッ!!!」


 という女の咆哮が通路から響き渡る。


「来たな……ッ!!」


 ニヤリ、と口の端が歪むのが自分でわかる。


 グローツェスはその愉快な気持ちを決して隠そうとはしない。


 玉座の間の入り口を刻んで駆け込んでくるその女剣士――レイシアへと笑みを浮かべながら相対する。


「さぁ、命運を決めようか……ッ!! 果たして世界から消えゆく側はどちらなのかをッ!!!」


 そうして2人は拳と剣を交わして――




―――――――――――――――――




「そこからはお前の知る通りさ」


「……」


「結果はあの場で死んだ私たちの知る由もないが、魔王軍最後の圧倒的戦力である私が脱落したのだ。トスタームは副官だったが、戦闘力は四天王に劣る。おそらく反攻軍の精鋭部隊の遅延はできても倒すことなどできなかったろう」


「『正義』はない、か……」


「異論は自由だ。私がそう思っているだけだからな」


「いや……なんだかますますわからなくなってきた」


 今の麻央の振る舞いを見て、勇士は今の麻央ならば前世の悪行を反省し、この現世ではきっと正しく生きていけるだろうと、そう思っていた。


 しかし、そもそも麻央の、いや前世の魔王への理解を勇士はできていなかった。


 侵略の動機は悪性によるものではなかったし、それどころか身内が『正義』だと言い張る理由すらあったのだ。


 しかしその『正義』たる理由すらも魔王は『利己』だと言い切った。


 勇士は自分の前世の思考や振る舞いを思い返して考える。


 俺は反攻軍として侵略にきた魔王軍の亜人類や魔族をひたすらに倒し、そしてその拠点を潰すために時には自ら攻め入ることもあった。


 これは魔王軍からしてみれば自分たちの生活の場を俺によって侵略されていたという見方ができるのではないか……?


 無論、当時の自分にとってはそれこそが『正義』であった。


 しかし、同時に魔王軍の立場から見ればそれこそが『悪』だったのだ。


「正義は……ないのか」


(俺は、果たして利己で動いていなかったと言えるだろうか――?)


 勇士が黙りこくって思考の迷路にまっていたその時だ。


 ――勇士の頭の片隅で、突然アラートが鳴り響く。


 リリリリッ! という小さな鈴をいくつも転がしたような音が、を報せた。


 ガタンッ! と音を立てて、勇士と麻央は勢いよく2人同時に立ち上がる。


「麻央ッ!! これは……ッ!!!」


「ああ、間違いない。魔法陣を仕掛けたばかりだというのに、とんだ無駄骨だったな……!」


 ――そのアラートは間違いなく、今しがた2人で仕掛けた罠の魔法陣が、この理科準備室内での魔術の使用を検知したことを報せるものだった。


 次第に理科準備室に魔力が立ち込めるのがわかる。


 その禍々しさを察知してか、近くの木々からカラスたちが大きく鳴いて、学校から羽ばたき離れていく。


「でも、なんでだっ!? ここには俺と麻央以外誰もいないのに……!! いったい誰が魔術が発動したっていうんだよっ!?!?」


「わからん。だが――」


 麻央は一呼吸置くと、続ける。


「――まさに今、ここでが起こるぞっ!!!」


 麻央の声と同時、グニャァッ! と、黒板が中心に向かって渦巻くようにその形を歪めた。


 そしてその渦は次第に範囲を広げていき、黒板の掛けられている壁一面までをも呑み込んで溶かしていく。


 渦に呑まれてドロドロの液体になったかのようなその空間は絶えず流動を続け、それからまるで1つの紋様のように再構成されていく。


「こ、これは……!?」


 勇士たちは息を吞んでその様子をただ見ていることしかできない。


 文様は次第に形を変えて、勇士たちの見慣れた魔法陣を大きく描き、そして怪しげに眩く輝いた。


 その直後――


 コツンッ! という音を立ててその空間に描かれた魔法陣の中からが踏み出される。


 輝く魔法陣の光量が強すぎて、その身体全体を見ることはできない。


 しかし、何があってもいいようにと、勇士は背中に仕込んだ木刀を引き抜いて正中線に構えた。


 麻央もまた半身を切るようにして、万全を期する体勢を取る。


 コツンッ! と再び、今度は逆の足が理科準備室の床を叩くと、役目を終えたのか輝いていたその魔法陣は光を弱めて、少しずつその形を薄める。


 そしてすべてが終わったあと、理科準備室は何事もなかったようにその光景を元の通りに戻していた。


 黒板もそれが掛けられた壁も、元の通りに何の変哲もない教室のもののまま。


 魔法陣が現れる前後で違う箇所があるとすれば、それは数瞬前まではそこにいなかったはずの1人の女性がいつの間にか黒板の前に立っているという、ただその1点だけだった。


 そしてさらに違和感を呼ぶのは、その女性の日本人離れした外見だ。


 スラリとして高身長な体躯に、日本では見慣れない鮮やかな金色の髪、透き通るような琥珀色の瞳。


 そして何より特徴的なのは左右ともに横に尖ったその耳の形――と巨大と言って差し支えない胸。


 ――その姿を見て、勇士は愕然として木刀を取り落とした。


 魔法陣から現れたその女もまた、その音に反射的に振り向いて勇士を認めると、驚いたように目を見開いて――


「――ッ!!!」


 そう叫ぶと、準備室で身構えるもう1人の少女、麻央には目もくれずに勇士へと駆け寄り、そのままの勢いで抱きついた。


 そして勇士もまた、その懐かしい温もりと匂いを感じて、


「クラリス……!?」


 懐かしのそのエルフの名前を口からこぼすのであった。

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