第5章 誰が為の正義の味方

第28話 確信

 週明けの月曜日、朝の会が始まる前の5年1組の教室は今日も子供たちの無邪気な賑やかさに溢れ返っている。


「いやぁ~良かったぜ、『ゴールドマン3』。アクションシーンの見応えが半端なくてさ、もうCGとリアルの境目がまるでわかんねーよ」


 熱の込められた篤のその言葉に勇士は相槌を打ち、きららは「で、ゴールドマンと敵のマンダリーナとどっちが強かったんだよ」と話を急かす。


 篤はどうやら昨日の日曜日は家族で映画を観に行っていたらしく、そのおもしろさに一夜明けても浮かされているようで、教室に着くなりひたすらその話ばかりだった。


 勇士は残念ながらその作品の1と2も観たことがなかったのであまり話の内容にはついていけなかったものの、話を聞く限り小学生向けというよりかはどちらかというとアメコミ好きの大人向け作品に思える。


「その映画を初ちゃんも一緒に観たのか? 結構シリアスだったり、描写がキツいものとかもあるんでしょ? 」


「ん? いや、それを観たのは俺と父さんさ。初と母さんはプリキュアを観てたんだと。そのあとに集合してご飯食べてさ、東映アニメーションとワーベルの作品の話が飛び交うもんだから、そりゃあカオスだったぜ」


 篤はそう言うと肩をすくめて見せたが、その楽しげな表情を見るに昨日は家族みんなで休日を満喫できたに違いないなと勇士は「そうか」と笑顔で頷く。


「オレは昨日はシュギョーしてたぜっ! 必殺技もエトクしたんだっ!」


 きららも何ともきらららしい1日を過ごしていたようだ。


「名付けて『同四打どうしうち』!! 両手両足で一気に攻撃すればよぉっ! 攻撃力も4倍になって強いと思わねぇかっ!?」


 それ言葉を受け取る側にとっては『同士討ち』にしか聞こえないんですが……と勇士は呆れて「いやいやいや……」と、おバカな発言をするきららに対して首を横に振った。


 しかし篤は「いいんじゃないか? やってみろよ!」と無責任に場を盛り立てて、「よっしゃーっ! いっちょう見とけよっ」と調子に乗ったきららが実演してみせる。


 そうしてドンガラガッシャーンっと盛大な自滅音を響かせたきららが「またか」とクラスメイトたちの注目を一瞬だけ集める、今日もそんな普通の1日の始まりだった。


 ――だからこそ、こんな風に呼び出されるのもまた、いつも通りの小学校での日常の延長線上にあるものなんだと思って疑わなかったのだ。


 放課後、靴箱に手を突っ込むと、カサリという靴ではない感触が手に触る。


 靴の上に載せてあったそれを取って見れば、いつか見覚えのある白い封筒だった。


(どうせまた、篤だろ……)


 さすがに2度目は狼狽うろたえはしないぞ、勇士はそう思って封を開けて中の手紙を読んだ。


『放課後、5年1組の教室で待つ』


 手紙にはその1行が中央にしたためられていただけだった。


 勇士は手紙を裏返したり、封筒の中身をもう一度確認したりしたが、それ以上の文章も追加の手紙も入ってはいない。


(まあ、とりあえず行ってみるかな)


 勇士はそう考え、踵を返して今降りてきた階段を再び上がった。




―――――――――――――




 クラスにはしかし、待ち構えていると思った篤の姿は無く、無人だった。 


(呼び出しておいて遅刻か……?)


 クラスメイトたちは教室に居残ってお喋りをするでもなく、すでにみんな帰るかグラウンドで遊ぶかをしているらしい。


 窓の外を見れば賑やかな生徒たちの姿が見えた。


 1日が終わり、授業から解放された自由の時間を盛大に満喫するぞと言わんばかりに声を上げて駆け回っている。


 どれくらいで篤が来るかもわからないからと勇士が真ん中の最前列にある篤の席に背負っていたランドセルを置いたところで、ちょうど背後からガラガラガラッとスライドドアを開ける音がした。


「遅かったな、あつ――――」


 『し』、と続けようと思った勇士の言葉は途中で途切れた。


「ちゃんと来たな、勇士」

 

 勇士の振り返った先に立っていたのは篤ではない。


 それは長い髪の二つ結びがトレードマークの――


「――麻央……? なんでお前が……?」


 勇士の視線の先、スライドドアを開けた動作のままその教室の入り口に立っていたのは前世が魔王の少女、佐藤麻央だった。


「なんでもなにも、呼び出したのが私だからだよ」


 麻央は当然のようにそう言うと、ツカツカと勇士の元へと歩み寄ってくる。


「どうして、俺を呼び出したんだ?」


 勇士は言いながら一歩、後ずさった。


 なんとなく嫌な気配を感じて、無意識に身体がさがっていたのだ。


「理由か……別に大層なものではないさ」


 麻央は窓際に寄るようにして後ずさる勇士に向かう足を止めはしない。


 1歩また1歩とその距離を縮めて、目線を決して勇士から逸らそうとはせずに迫り、そして吐息の掛かる距離まで詰め寄って口を開く。


「なんとなくわかってきたよ、勇士」


「な、何がだ……?」


 そこで勇士の瞳を覗くようにしていた麻央の視線は、勇士の胸元へと落ちる。


「お前は月曜日になると必ず長袖を着てくるんだな」


「……それが、どうしたっていうんだよ。この時期はまだ肌寒い日も――」


 勇士は横を向いて、そして誤魔化そうとするが、しかし。


「――見せろ」


 麻央から発せられたその言葉が音として勇士の耳に届くのと同時、一部の隙もない動作でスルリと細い手が勇士の腰元に伸びた。


 それはきっとあらゆる武道の精通者でさえその動作の『起こり』をとらえることのできない、完璧な初動。


「――ッ!!」


 だがしかし、麻央が自身に詰め寄って来ていた時点で第六感が頭の中で警鐘を鳴らしていた勇士の反応は素早かった。

 

 本能的に後ろへと、逃げ場のないことも忘れてさがろうとしてしまう生物の意思を抑え込んで、勇士は身体をあえて前に倒す。


 その伸ばされる麻央の手の斜め前のスペースに潜り込むためだ。


 そしてその目論見はどうやら上手くいって、勇士は最初の、おそらくは何かの技をかわすことができた、


 ように思えたのも束の間――


 ぐるりんっ!


「――ッ!?」


 目の前の光景が回ったかと思いきや、勇士はいつの間にか天井を見上げていた。


 呆然としてしまう。


 投げられた感触もなく、倒された衝撃もない。


 羽が地面にユラリと落ちるかのように、母親がベッドに赤子を寝かしつけるかのように優しい身体の横たえ方。


 ――もしかして俺は、今までこの場所で寝ていたのでは? そして変な夢を見て、ちょうど今目覚めたのではないだろうか。


 そう自分の記憶を疑ってしまえるくらいに、目の前の光景が変わる以外は痛みも何も無い、一瞬のうちの出来事だった。


 しかしそれは間違うことなき現実。


 勇士は自身と麻央以外は無人の教室で、無防備にも仰向けに倒されているのだ。


 突然に視点の下側へと今や見慣れたその少女の顔が映り、そして下半身に重みがかかって、そこまでしてようやく勇士は自分がマウントを取られているのだと理解した。


「――麻央ッ!! お前、何のつもりだッ!!」


「言った通り……大層な理由はないさ。ただ――」


 麻央はいつも勇士に見せるような薄い笑いを顔から消し去って、一切の躊躇ちゅうちょを見せずに勇士の着る長袖のシャツの裾を、腰から胸元にかけて一気に


 そして素肌を晒す勇士の腹を見つめて、麻央は目を細める。


「やめっ――!!」


 その麻央を自身の身体の上からどかそうと伸ばされた勇士の手は、容易く麻央に手首を掴まれてしまう。


 そして麻央は掴んだその腕の裾も二の腕辺りまで大きくまくり上げて、そして重たいため息を吐くと、勇士から離れて立ち上がった。


「そうか。やはり――――そうだったか」


 麻央はそう言って、悲しげな目を勇士に向ける。


「――――で、見るな――」


 勇士は唇を噛み締めて、地面を睨みつけるようにして立ち上がり、


「――そんな目で俺を見るなッ!!!」


 と大きく叫ぶと、机の上に置いてあったランドセルを引っ掴んで教室から走り去る。


 暴かれて、憐れみを向けられて、麻央の顔なんて見れるはずもなかった。


 何かを振り切るように誰にも追いつかれないようにと、勇士はリノリウムの廊下をひたすらに駆けて、駆けて、駆けた。

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