杏ケーキの約束と病弱な幼馴染
ヴィルヘルミナ
第1話
「ベリンダ、申し訳ないが君とは付き合えない」
騎士マイルズが、私の肩をそっと押し戻した。ここは雰囲気たっぷりの料理店の個室。お酒を飲んで酔ったふりをしながら介抱されている最中に抱き着いて、弱々しく告白したのにフラれてしまった。
「どうして? 私が平民だから?」
せっかく周囲の協力を得て、騎士と二人きりになれたのに。淡茶色の髪の騎士は、とびきり美形という訳でもないけど、その筋肉質な体と合わせてみると整っていて素敵だ。
「違う。君は私の他に八人の騎士に同じことを言っただろう? 私は私だけを好いてくれる者に心を捧げたい」
全員に内緒にしてくれと念押ししたのに、何故それがバレているのか。裏切り者と内心舌打ちしながらも、泣き崩れるふりをしてみる。
「店の支払いはしておく。馬車も手配しておくから、涙が止まったら古城へ戻るといい」
マイルズは席を立ち、私の恋人捕獲計画は終わりを告げた。
三カ月程前から、村の近くの古城で貴族令嬢を集めた〝王子妃候補選び〟が行われていた。突然決まったお祭りのようなもので、厨房の人手が足りないと私は臨時で雇われた。
ついでに独身の騎士とのお見合いが出来ると聞いたのは、古城に着いてから。言い寄ってくる従僕たちを払い除け、騎士の妻を目指して告白したのに、二十三人の騎士に断られ続けた。人の良さそうな騎士マイルズが最後の希望だったのに。
王子妃候補選びも終わり臨時の仕事も終了。失意の中、村に戻って友達に一部始終を話すと大笑いされてしまった。
「それは仕方ないわよねー。ベリンダって美人だけど、馬鹿だもん」
「馬鹿って言うあんたも馬鹿でしょ、ミリー」
「そりゃそうねー」
友人ミリーは、とうの昔に村の男と結婚していて、今は身籠っている。毎日が幸せそうで、うらやましいとは口が裂けてもいいたくない。大体、私が焦って結婚相手を探すのはミリーのせいだと思う。
「一人くらい引っ掛かってもいいと思わない?」
「そうねー。いつも思うんだけど、あんた、そんなに美人なのにどうして恋人の一人もできないの?」
波打つ茶色の髪に薄茶色の瞳。色は平凡でも美人だとはよく言われる。それなのに、生まれて二十年近く、私は一人の恋人も捕まえることができなかった。
「……付き合う直前までは簡単なのよ? でも、そしたら、そいつよりも良い男が現れるのよ。やっぱ、条件の良い方がいいかなーって思ったら、どっちもダメになっちゃうのよねー」
大きな溜息一つ。お金持ちで、顔が良ければどんな男でもいい。たったそれだけの条件なのに。
「二股掛けたら男は嫌がるわよ。だって子供が出来ても自分の種だって確証ないんだもん。あれこれ手を出すんじゃなくて、誰か一人に絞りなさいよー」
「それが出来れば苦労しないって」
またダメだったらどうしようと考えると、恋人候補は常にいて欲しい。
「そろそろ誕生日でしょ? 最近だんまりだったけど、フレッドと約束してんでしょ?」
ミリーの言葉で胸がどきりとした。フレッドは私の一つ上の幼馴染。頭が良いので王都の商人に雇われていて、私の二十歳の誕生日の日に会う約束をしている。
「……来ると思う?」
「来るんじゃない? 昔から真面目を絵に描いたような奴だったじゃない。王都に出たのって何年前だっけ?」
「五年前。毎年、私の誕生日には贈り物が届くけど、それだけよ」
「あ、なんだ。毎年連絡あったんだ。ずっと放置なのかと思ってた」
フレッドからの贈り物は、いつも手紙とお金。最初は銀貨が五枚。次の年は小金貨が一枚。次の年は小金貨が二枚。去年はついに大金貨一枚が入っていた。何でも好きな物を買っていいと手紙に書かれていても、使うことなんて出来ない。
簡単な字は読めても、字が書けない私は手紙の返事を書くこともできなかった。村長に相談してみても、手紙にはフレッドの名前しか書いていないから、手紙を出しても届かないと言われて完全に諦めた。
「そうかー。フレッドって結構綺麗な顔してたじゃない? 美人のあんたとお似合いよ」
ミリーは私の背を叩きながら、明るく笑う。確かに十六歳のフレッドは頬の赤い美少年だった。五年経って大人になったフレッドは、どんな男になっているのか。
フレッドは覚えていないと思うけど、初めての口づけはフレッドだった。五歳の時、転んだ私を抱き止めたフレッドとの事故的なもの。それ以来、私は一度も異性と口づけしていない。
「やめてよー。フレッドに期待はしてないの」
口を尖らせて抗議する私を見て、ミリーはますます笑い声をあげた。
私の二十歳の誕生日がやってきた。約束の場所は村の近くの崖の上。盛りを過ぎた白い花が一面に咲いていて、夏が終わろうとしている季節の中、爽やかな秋の風が吹き抜けていく。
期待していないと口では言っていても、心の中では期待し過ぎていた。五年の間に期待と失望を繰り返した私は、放置され続けた仕返しに『もう恋人がいるから』と宣言してフレッドを失意のどん底に叩き落すつもりだったのに、結局私の隣には誰もいない。
約束よりも少し早い時間に行くと、白い花畑に黒いフード付きのマントを着た人物が立っていた。こちらには背を向けていて、その表情は見えないし男か女かもわからない。
「フレッド?」
私の呼びかけに振り返った人物が、私を迎えるように手を広げる。フードを深く被っているので顔は見えない。
「ベリンダ!」
声は変わってしまっていても、フレッドの声だと私にはわかった。懐かしさが胸に溢れて、子供の頃と同じように、その腕の中へと駆け込んでいく。
マントの中、その体に抱き着くと頬に硬い感触。
「ん? ちょっと! どうしたの!?」
フードを手で跳ね上げて、フレッドの顔を見た私は叫んだ。焦茶色の髪に赤い頬をした美少年はどこへ消え失せたのか。目の前にいるのは、美形の雰囲気はあっても病的に痩せた顔色の悪い男。髪の色まで暗くくすんで見える。
私が勢いよく抱き着いたからなのか、フレッドがごほごほと咳き込む。私でも普通じゃないと感じる咳だ。
「何? 病気なの? なんで病人がこんなとこにいるのよ!」
「大丈夫、大した病気じゃないよ」
そう言って笑いながらも、フレッドの咳は止まらない。黒いマントの下は上質な白いシャツに黒のトラウザーズとブーツ。高そうな服の中身は、触れただけで骨と皮だとわかる。
「こんなに痩せて……ちゃんとご飯食べてるの!?」
青白い頬を両手で挟んで、目を合わせる。
「大丈夫、食べてるよ。薬も飲んでる」
そう言われても安心できない。
「王都で、どんな生活してるの?」
「今、僕は王城で文官として出仕してるんだ」
「え? 何、偉い人なの?」
王城で働いているというだけで、驚きしか感じない。
「まだ偉い人じゃないけど、ベリンダの為に頑張るよ」
「何? どういうことなの?」
「最初は王都の商家で務めてたんだけど、それだけじゃあベリンダの望みを叶えることなんてできないって思った。だから、頑張って試験を受けて文官になったんだ」
「私の望みって……」
「働かないで贅沢したいって言ってただろ? まだ贅沢は難しいけど、ベリンダが働かなくていいくらいは稼げるようになったよ」
その給金の額を聞いて驚く。きっと村長よりも遥かに多い。
「だからって、体を壊してまで働くなんて……馬鹿なの?」
「うん。馬鹿だと思うよ。僕は馬鹿になるくらい、ベリンダが好きなんだ」
骨ばった腕で抱きしめられると、涙が零れてきた。私のわがままな願いのせいで、フレッドが体を壊してしまうなんて考えたこともなかった。
「杏のケーキ……焼いてあるの」
「ありがとう。約束を覚えてくれてたんだね」
フレッドに何をしてあげたらいいのかわからない。五年前に約束した杏の砂糖漬けを使ったケーキは焼いてある。
「それに……杏の砂糖漬けとかはちみつ漬けが五年分。……誰も食べてくれないし、困ってたのよ」
「嬉しいな。全部僕が食べてもいい?」
心の底で待ち続けていたなんて正直に言うのは恥ずかしい。初夏に採れる杏を独りで漬けたり干したりしながら思い出していたのは、フレッドだけ。
王都に行ってしまったフレッドが、私を忘れてしまったかもしれないという不安で、私は替わりの恋人を求め続けてきた。
大好きなフレッドが帰ってきてくれたのなら、もう替わりを探すこともいらない。
「もちろん。フレッドの為に作ったんだもの。全部食べて」
溢れる涙を骨ばった指が優しく拭う。
嬉しさと悲しさと安堵と。複雑に感情が揺れ動く。
「大好きだよ」
抱きしめられて囁かれると、もう我慢できなかった。頑なに意地を張っていた気持ちが、無意味だと崩れていく。
「……私も大好きよ」
声に出来たかどうかもわからない囁きは、フレッドの耳に届いたらしい。抱きしめる腕が強くなる。心が壊れそうなくらいに好きだという気持ちは、どうすれば伝えられるのだろう。
日が落ちて星が空に輝くまで、私たちは抱きしめ合った。
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