顔ハメ看板から抜けられなくなった

すでおに

第1話

「はいチーズ」

 幸子はスマートフォンのシャッターボタンを押した。

 山頂に置かれた『顔ハメ看板』で記念撮影。



 観光客へのサービスなのか、観光地でちょいちょい見かける『顔ハメ看板』。なかったらないで困ることはないし気にもならないはずだが、撮影料を取られるわけでもないから見かけると浮かれ気分でカメラに収まる。意外と記憶には残らない。


 穴が2つ3つ開いた二人用三人用があったりしても、赤の他人にシャッターを押してもらう気にはなれない。見ようによってはプリクラの先祖と言えなくもないが、民法なら親族に当たらないぐらい血のつながりは薄そうだ。



 山頂に置かれていた看板は、場所に合わせた緑色の三角形をした山のイラストで、頂上の部分に楕円の穴がぽっかり開いていた。何かを表現したわけではなく、ただ顔を出すためだけの穴。地上から穴まで1メートル3、40センチといったところで、踏み台も置かれていて、老若男女誰でも気軽に記念撮影ができるようになっている。


「じゃあ次私の番ね」

 撮影を終えた幸子は預かったスマートフォン片手に看板の裏に回ったものの、真理は窮屈な中腰のような体勢で、穴から顔を出したままだった。見ようによってはケンタウロスの仲間に見えなくもない。

「何やってんの?交代してって」


「ヤバイ」

 看板の向こう側で発せられた真理の声が耳に届いた。


「どうしたの?」


「顔が抜けなくなった」


「は?」

 予想していない言葉は、一発で理解するのは難しい。


「顔が抜けなくなったみたい」


 2発目で意味は理解できたが、冗談にしか聞こえなかった。

「なにいってんの。ほら代わってって」

 幸子は看板の横っちょを掴んでいた真理の手を引っ張った。


「痛タタタタ・・・」

 真理は顔を穴に残したまま、手だけ引っ張られていた。

 それで幸子は看板の後ろにあるはずの耳がないのに気が付いた。前に回り込むと、青ざめた真理の顔の横にあった。


「なんで耳まで出してんの?」


 撮影した時は気づかなかったが、画像を見ればきっと頬の横にこっそり映っているに違いない。


「それがいけなかったみたい」

 真理はすでに原因に思い当っていた。穴にはそっと顔を添えるだけでいいのに、必要以上に乗り出して、ウナギを捕まえる仕掛けのように一方通行から出られなくなってしまったらしい。


「マジで、ホントに抜けないの?」

 幸子は試しに、左手で看板を押さえ、右手で突き出た真理の額を押してみた。


「痛タタタタ。ほんとに痛いんだって」

 真理は顔を歪めた。


 取れなくなった指輪のごとく、真理の顔が穴にぴったり納まっている。


「どうすんの?」


「どうしよう」

 真理は黒目だけ幸子に向けた。


「どっちにしたって抜けないと帰れないでしょ」


「それはそうだけど」


「もう1回押してみる?」


「マジで痛いんだって」

 蘇った苦痛を顔に浮かべた。


「だけど我慢するしかなくない?そうしないと帰れないでしょ」


「そうだけど。でも無理やり抜くと傷がついたりするかも」


 他ならぬ顔だから扱いは慎重を要する。


「どうすんの?」


「どうしよう」


「110番か119番する?」

 幸子は自分のスマートフォンを開いた。アンテナは立っていて、山頂でも電話はつながる。

 

「わざわざここまで来てもらうの?っていうか来てくれる?」

 標高の低い山だが、山頂までクルマは通れない。


「どっちにしてもそうするしかなくない?」


「救助頼んだらヘリコプターとかで来るのかな?」

 真理は黒目を空へ向けた。


「そういうこともあり得るかもね」


「このまま乗せられて下まで降りるのかな?」


「わかんないけど。ここで作業するかもしれないしこのままヘリコプターに乗せられるかもしれない」

 救助隊員が、引っ越し業者がタンスを運ぶように、声を掛け合い、顔が挟まったままの真理を看板ごとヘリコプターに乗せる光景が浮かんだ。幸子はそっと唇を噛んで噴き出すのを堪えた。


「そんなことしたらニュースとかにならない?」


「なるかも」


「こんな格好がニュースで流れるの?」


「映像が流れるかわかんないけど」


「ネットニュースとかにもなるよね?」


「なる可能性もあるね」


「『山頂で看板から顔が抜けなくなって救助』とか」


 幸子の頭に今度はテレビのニュース映像が浮かんだ。『看板で遭難』と韻を踏んだようなテロップまで見えた。穴にはまって抜けなくなった中国の映像なら何度も見たことはあるが、身の回りで起きるとは想像もしていなかった。


「そんことになったら、絶対炎上するじゃん。迷惑かけやがって、みたいに。個人情報とかも特定されるかも」


「そうなる可能性もないとは言い切れないかも」


「ヤバいじゃん。会社にいられなくなるかも」


「じゃあどうすんのよ?」


「とりあえず山下りよ」


「は?」


「このまま山下りるしかないでしょ」


 山の看板を顔にはめた女が山を下る姿を想像するとまた笑いそうになり、幸子は真理の視界の外に移動した。


「何してるの?」

 真理の黒目がキョロキョロと幸子を探している。


「このまま下りられるかなって、様子を見てるんだよね」

 笑いたいのを我慢しているとはいえない。


「どう下りられそう?」


 そう訊かれて慌てて周りを見たが、看板を顔に挟んだまま下山できるか否か、わかるはずもなかった。


「難しいかも」

 適当に返事をした。


「でももうすぐ日が落ちるでしょ。今何時?」

 真理は残念なことに時計を見られない。


「3時半になるところ」

 秋のこの時間は日没まで余裕はない。


「とにかくここから移動しなきゃ。雨降って来るかもしれないし」

 山の天気は変わりやすい。

「ってか、こんな看板誰が置いたの?ふざけんなって」


 数分前まで楽しく撮影していたのに。


「そのまま歩けるの?」


「よっこいしょっと」

 真理は両手でパネルの両脇を掴み、下半身に力を込めて立ち上がった。一歩二歩とふらついたが何とかこらえた。

「意外といけるかも」

 その姿は、雛の巣立ちを見ているようだった。と同時に相撲取りのようなたくましさも感じさせた。


 ただ顔だけ仲間外れみたいに上を向いたままなのが間抜けだった。

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