第17話 反撃開始
真っ赤な血が流れて落ちる。
朝の澄んだ空気に混じって、鉄臭い匂いがあたりに漂った。
I世は驚きに目を見開いて、感嘆の声を上げた。
「……よくあの場所から間に合ったな」
I世の視線の先には、アミリアがイチローを守るように立ち塞がっていた。
「I世、あんたの斬撃は脅威だけど、軌道さえ分かっていれば真剣白刃取りだって可能なんだよ」
イチローは首が繋がっていることを、手で触って確認すると、閉じていた目蓋を開く。
そこには、悠然とたたずむアミリアが────
「まあ軌道が分かっていても白刃取りは失敗したんだけど」
頭の上で両手を合わせた姿のまま、額でI世の大太刀を受け止め、血をダラダラと垂れ流しながらそうのたまうアミリア。
「頭大丈夫かアミリア?」
「ちょっと! 命の恩人に対して悪意を感じる言い回しなんだけど!?」
いつも通りのイチローの喧嘩腰に、アミリアは食ってかかる。
その身体には、たった今できた額の傷の他、かすり傷すら見当たらない。
長々とイチローがI世と会話をしている間に、イチカの能力で傷を治したのだ。
傷を治した本人であるイチカは、援護に向かわせるためにアミリアの治療を優先し、未だ自身の傷を癒している最中だ。
I世はアミリアの額に食い込んでいる大太刀を引き抜くと、後ろに跳んで距離を取る。
その際、アミリアが「痛あっ!?」と声を上げるが気にせず大太刀の調子を確かめる。
「本気で振ったわけではないとはいえ、我の斬撃を受け止めるとは……どうなっている?」
I世は、太陽に透かすように大太刀を掲げて、何か仕掛けがないかを確認するも、特に気になる変化はない。
それが余計に疑念を加速させる。
I世は素直にその疑問をアミリアにぶつけた。
「さあ? その刀の切れ味が悪いんじゃない? ちゃんと研いだ方がいいよ」
「…………ッ!!」
アミリアの絶妙にうざったいその挑発の表情に完全に乗せられ、I世は再びその刃を振るう。
アミリアは優れた動体視力を持っているが、その刃の軌跡は目で追えない。
それほど、I世の斬撃の速度は凄まじく、熟練の剣客を思わせるものであった。
────だが、それだけで勝てるほど勝負の世界は甘くない。
「なんだとっ!?」
I世が頭をかち割ってやろうと振るった刹那の刃は、またしてもアミリアに受け止められていた。
今度は先程の失敗を顧みて真剣白刃取りなんて無茶なことはせず、両手で頭部を守るようにクロスさせて腕で大太刀を受け止める。
「へっへーん! 驚いたか! 今までの傾向からあんたの斬撃の軌道は読めてるんだよ!」
「たぶんI世が驚いているのはそこじゃないと思うぞ」
アミリアは胸を張るが、イチローの言う通りI世が驚いたのは斬撃の軌道を読まれたからではない。
I世は大太刀を握ったまま、わなわなと手を震わせる。
「刃が通らない!? いったいどうなっているんだ貴様の身体は!?」
I世が驚愕しているのは、大太刀がアミリアの細腕を両断できないことに対してだ。
I世の大太刀は、アミリアの皮膚を容易く切り裂き、肉も断った。
だが、彼女の骨だけは両断することができなかった。
それは、先程の真剣白刃取り失敗のときもそうだ。
I世の大太刀は、アミリアの額の肉を切り裂くことはできても、その頭蓋骨に切り込みを入れることができなかった。
この結果は、I世の大太刀より、アミリアの骨の方が頑丈である。
それが答えであった。
しかし、当然肉を切られるアミリアは痛いはずである。
刃物で肉を切られる痛みはもちろん、骨に直接刃をぶつけられるのだって酷い痛みのはずである。
だが、アミリアはそんな様子はおくびにも出さず、平気な顔してI世と対峙している。
「乙女に対して身体のこと聞くなんて礼儀がなってないっ!!」
言いながらアミリアは、I世に向かって殴りかかる。
I世は同様のせいか動きが一瞬鈍る。
その隙を見逃さず、アミリアは渾身の一撃を叩き込んだ。
「ゴフッ!?」
「まだまだぁ!!」
吹き飛んでいくI世を追いかけるため、アミリアは両足に力を込める。
そして、地面を陥没させるほどの脚力で一瞬にしてI世に追いつき、連打を喰らわせた。
その間に、自分の傷を治療し終えたイチカはイチローに駆け寄る。
急いで回復魔法を発動させ、両断されたイチローの右腕を元通りにするため治療する。
「よかった。傷は治ったんだなイチカ」
「イチローさんが時間を稼いでくれたお陰様で。すぐ治しますから安静にしたください」
両断された腕を治すには、少しばかり時間がかかる。
といっても、1、2分程度で傷が元どおり治るのだから破格の能力と言えるだろう。
「にしても、アミリアやつ、あんなに強かったのか?」
押され気味ではあるが、I世と渡り合っているアミリアに視線を向けて呟くイチロー。
イチカも驚いた様子を見せながら返答する。
「アミリアさんは、前々から力のコントロールが上手くいっていなかったみたいですけど、今は安定して高出力の力を出せるようになった、という感じなんですかね?」
疑問口調ではあるが、それっぽい答えが返ってきてイチローは納得する。
何にせよ、この土壇場では非常に助かる強さである。
そして、ようやくイチローの腕も完治し、右肩をグルグルと回して腕の調子を確かめる。
「うしっ! いけそうだ」
「それは良かったです。それじゃあ、私達も参加しましょうか」
「おう!」
言うと共に、イチカは転身をして、再び水着姿になる。
二人は目を見合わせて頷くと、戦場へと身を投じた。
アミリアとI世の戦いは、一見すると拮抗しているように見えるが、その実戦況はI世が一方的な猛威を奮っていた。
I世が刃を振るうたびに生傷が増えて、アミリアは痛みで顔を歪ませる。
「ハハハッ、どうしたどうした! その程度か!」
「クソッ! こんな可愛い女の子を虐めて罪悪感がないのかこのクソ野郎!」
アミリアは全身のいたるところから血を流しながらも、軽口を吐き続ける。
「なんてことはない。ただ骨が頑丈なだけの女たったな。我の敵ではない」
I世は驕った発言を呟きながら、攻撃の手を緩めて大太刀を肩に乗せる。
歯痒いが、アミリア自身もそれは自覚していた。
まず、攻撃がなかなか当たらない。
高出力の『怪力』の能力を使い、脚力を高めて以前より段違いのスピードを引き出すことができていても、I世の速度はそれを上回る。
パンチを避ける、大太刀で受け流す等されてしまい、有効打を与えられない。
そして、有効打が入ったとしても、I世は無限に近い再生能力で瞬く間に傷を回復してしまう。
結果、アミリアだけが傷を増やす今の戦況が構築されたのである。
「もう諦めろ。貴様では我に勝てん。現実を受け入れて、その首を差し出すといい」
「……………」
アミリアはそれに無言の返事で答える。
I世はやれやれと首を振って大太刀を三度構えた。
戦いは次の展開を迎えようとする。
───そこに龍の形をした水の奔流が走りぬけた。
「ゲホッゲホッ! おえ、水飲み込んだ」
「無事、到着ですね」
水龍が通り過ぎ去った後には、肉体を完全回復させ、コンディションを最高にしたイチローとイチカの姿があった。
「またぞろぞろと……我には勝てないという事がなぜ分からない? もう散々力の差は見せつけたつもりだが?」
I世からしたら、純粋に疑問であった。
この世界に転生してから今まで、ありとあらゆる生物を力試しに殺してきたが、ここまでしつこい奴はいなかった。
絶対に勝てないのだから、大人しく諦めろという思いを抱いて、I世は疑問を口に出したのだった。
「そんなことも分からないの? 仕方ないなぁ、あたしの話をその耳かっぽじってよーく聞きなよ?」
アミリアは傷だらけの身体を苦にせず、笑顔でその問いに答えた。
「仲間がいるから。そして、あんたに勝てるからだよ」
「勝てるだと? 馬鹿を言え。貴様らの力を合わせたところで我が負ける確率は0だ」
チッチッチと、指を振ってアミリアは否定する。
「仲間の力っていうのは、ただの足し算じゃないんだよ。掛け合わさって、普段の何倍もの力を出せるもんなの。知らなかった?」
「そんなの……漫画やアニメの中だけの話だ! 仲間がいるだけで強くなるなんてあり得ない!」
眉を顰めて、I世はそれをさらに否定する。
「漫画やアニメ上等! あんたもそういうのが好きだからこんな世界に転生したくせに、否定するもんじゃないよ!」
アミリアの小女の姿から、貫禄すら感じさせる雰囲気を発するのを見て、I世は気圧される。
「あんたは、殴ってでも反省させる。見てな、あたし達は………強いよ?」
グッと拳を構えて、ファイティングポーズ。
その姿は、勇者と呼ぶに相応しいものであった。
そして、アミリアの言葉の数々に、イチローは感銘をうけていた。
一人で勝手に納得して諦めようとしていた自分とは違い、アミリアはずっと全員で生き残ることだけを考えていたのだ。
これが年の功か……と感心したイチローに、アミリアはキッと鋭い視線を向けた。
恐ろしい感の良さである。
「フン。なら、その仲間の力って奴を我に見せてみろ!!」
そう言うなり、I世は大太刀を振り上げた。
その刀身がアミリアに下される寸前、上空から降り注ぐ巨大な水の龍に飲み込まれる。
「もう私にだって、戦う力があるんです……!」
その龍の形をした水流は、今までのイチカが操ってきたそれよりも、遥かに大きく、強大であった。
(……アミリアもイチカも、以前より強くなっている。なら、俺だってもっと強くなれるはずだ……!)
己の強さの底は未だこんなものではない。
イチローはそれを今強く実感した。
(もっと早く!)
水龍に飲み込まれ、動きを止められていたI世は高速で大太刀を何重にも振るってその拘束を払った。
(もっと強く!)
「クソッ! あの女! 窒息するかと思ったぞ! 絶対に許さ───」
酸欠からか、意識が周囲から逸れていたのをイチローは見逃さなかった。
「らぁあああああ!!」
一呼吸の間に30もの連撃をI世に叩き込む。
拳の先からは、骨が砕ける感触がした。
「ぐああ!? こ、こいつら、本当に強くなっている!?」
イチロー達が急激に強くなったことには、理由があった。
仲間の絆の力。それの影響もたしかにあったが、それだけでこれほど大幅に強くはなれない。
彼等が強くなった理由、それは、昨日龍を倒してレベルアップした肉体の変化に、慣れ始めたというのが大きい。
強敵と戦い、強くなるのは当然の理屈であるが、急激なレベルアップは自分が思う肉体の限界と、実際の限界との齟齬を生み出す。
その認識のズレが今ようやくなくなり、I世には急激に強くなったように感じられたのだ。
イチローの連打で肋骨の骨が軒並み砕け、I世は一時身動きがうまく取れない。
そして、その隙を目敏いアミリアが見逃すはずがなかった。
「反省しろおらぁッ!!」
龍の土手っ腹に大穴を開けたとき以上に、拳に莫大なオーラを秘めた一撃を、I世の顔面に向かって叩きつけた。
I世の整った顔は、その一撃で上半身ごと消し飛んだ。
殴り抜けた衝撃波だけで、地面に亀裂が走る。
I世の残った下半身は、スーパーボールのように跳ね飛んで、地面の亀裂にすっぽりと落ちた。
「ホールインワン!」
アミリアはガッツポーズで腕を掲げた。
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