君を書いて。君を描(か)く。

きつねのなにか

絵筆と筆

 けんと握手するとき、君の手は必ず絵の具で汚れていたね。


 私、美幸みゆきが健と会ったのは鍵当番で絵画室の鍵を締めに行ったときだった。


 健はまだ絵を書くのに夢中で、私に気が付かなかった。


「あのーもう鍵を締めたいんですけど」


「ああ、もうそんな時間か」


 このとき私と健は高校一年。


「いや、気が付かなかったよ、教えてくれてありがとう。僕の名前は羽田健はねだけんだ」

 そういうと、羽田君は絵具で汚れた右手を差し出した。


「え?」

「いや、お礼の握手」

「あ、いや、大丈夫です。ああ、私は中島美幸なかじまみゆきって言います。それで、何を描いていたんですか?」

 羽田君はキャンバスに目をやると

「そこに刺さってた一輪の花を描いていたんだけど」

 と言ってきた。私はそれをちらりと見ると。


 心に赤い熱が入り込んできた。

 私は絵のことはわからないけど、すごく、すごく素敵だなって思ったんだ。


「すごい素敵ですね」

「まだ練習中なんだ」


 この日から鍵当番の時は羽田君が書く姿をのんびり眺める日が続き。


「絵を描く男、と」


 私は私で羽田君を題材に文章をしたためることにした。


 

「ねえ、羽田君のことを文章にしてみたよ」


「へえ、ちょっと読ませてもらっていいかな」


 そういってやっぱり絵の具で汚れている右手で私の小説を受け取ると、熱心に読みふけり始めた。


「どうかな」

「……」

「ねえ?」

「……」


 聞こえてない? かな?


「……ああごめん。ちょっと熱中してしまって」

「そんなに良かったんだ。うれしいな」

「ああ、インスピレーションが湧いてきた! 僕はね、これから君、中島さんを描くよ」

「私を描く? 人物画?」

「いや、中島さんという存在を描きたいんだ。……ああ、そうだね、君を描きたい。お願いできるかな? 頼む」

「えぇ……。恥ずかしいよ」

「そこを何とか、頼む」

 羽田君は頭を下げつつ絵具で汚れた右手を差し出してきた。

 こう頼まれてはちょっと断れないね……。

「わかった。あんまりひどくは描かないでね」

 そういうと、初めて握手をしたのだった。

 手はすぐに洗った。


 モデルになって毎日絵画室に通うようになった時くらいから、二人はできているという噂話が学年中に広まった。まだまだ他人の恋愛に敏感な時期というのもあり、揶揄されたりもした。

 やはり敏感な年ごろ、気にはなった。気にはなったが、健君の私を見つめる瞬間の熱い鋭いまなざし、キャンバスに目を落とした時の集中した顔。なんというか、こちらのほうが重要な感じがして。我慢した。


 健君のモデルになっている最中は、若干だが暇だ。本を読むわけにもいかないし、書くわけにもいかない。

 なので、ぼんやり小説の構想を練ることにした。


 そうだ、今回は絵のモデルになっていることを書こう。


 集中している彼の顔を眺めながら、ぼんやりと思考の海へ落ちていったのであった。


 セーラー服の下にジャージを履くのが当たり前のような時期に画は完成した。それは……。


「ピカソの絵かな?」

「うん、まあそう思えばそう思うと良い。思うのは自由だからね。これは美幸さんというより、美幸さんの存在そのものを描いた作品であって……」

「もういい、なんか損した」

 私にはピカソの事なんてわからない。あの一輪挿しのような花の絵を描いてくれるのかなって期待していたのが馬鹿だったのかもしれない。いや、人から花を書くなんて無理か。

 うん、最初から馬鹿だった。

 私は出来上がっていた小説を彼に押し付けると、さっさと絵画室をあとにした。


 破局したとの話題も薄れ、また半そでに衣服が変わるころ、彼は私のクラスに入り、私の目の前に立った。周りの目がこちらに向く。


「短く言う。もう一度だけモデルになってほしい」

「羽田君、もうピカソはいいかなー」

「いや、今回は自由にしててくれていいんだ。別に絵画室をうろつきまわってくれてもいい。今度こそ中島さんを描く」

「自由すぎる。居ていいのか居てほしくないのか」

「美幸を感じたいんだ」


さすがに胸がドクンときた。この場で、そのセリフは、ずるい。


 ヒュー!! 周りから歓声が飛ぶ。ヤジが飛んでくる。私の答えは……。


「じゃあ私はそこで小説を書くから。邪魔しないでね?」


 告白が目の前で成功したかのように割れんばかりの歓声が飛んだ。



 暑い夏だったが毎日長袖のブラウスを着て、日焼け止めクリームをたっぷりと塗って登校した。絵のモデルの肌が変化するのはちょっと悪いかな、と思って。


 着いたとたん更衣室で半そでになる。季節らしい服装は欲しいという要望があったからだ。なんて贅沢なご要望何だろう、答える私も私だが。


 エアコンの付いた涼しい絵画室で、ゆっくりと筆を走らせる。健はそんな私を見て絵筆を進める。なかなか変ではあるが、まあまあ快適だ。

 部室でもあるためこの部屋には数人の人間がいるわけだが、その人達のことは全く視界に入らなかった。変人コンビなどといわれていたのには若干腹が立ったが。


 夏の終わりごろに絵画が出来上がった。


「今回はピカソじゃないよね」

「美幸の存在を描いたという点ではピカソかもしれない」

「ピカソだったらどうしようかな」


 実は少しずつ、絵の勉強をしていた。あの時のピカソは、私のすべてを『一枚にすべて描写した』みたいだ。前を描きつつ後ろも描く。だからぱっと見ではいびつに見える。そういう作風だ。

 なんだか、文章みたいだなって思った。文章も、その人すべてを書く時が多いにしてあるもの。

 だから、実はピカソでも悪くない。悪くないというか、今回は喜んでしまうと思う。


 そう思ってキャンバスをのぞき込む。



 息をのまれた。


 素晴らしい向日葵がそこには堂々と書いてあった。素晴らしくて、素敵な。

  

「これが、私?」

「ああ、夏の美幸は向日葵のような存在だったよ。君の華麗な雰囲気も込めては……いるけど」


この人は花で人物の存在を描く人だったのだ。本質を花で捉え、描写していたのだ。


「……ちょっと小説書き直すね。あとで見せる。ええと、描いてくれてありがとう」


 今度は私から右手を差し出す。それを健は絵具が付いた右手で受け止めしっかりと握手をした。



 とにかく急いで書き直した。すべてを書き直したといったほうが早い。そして書き進めた。


 時間はかかってしまったが冬の手前で書下ろせて、彼に渡した。


「花ですべてを描く男か」

「うん。それくらいすごいインスピレーションが湧いたからね」

「ああ、そうか。美幸は花なのかもしれないな」

「変人君と呼ばれている健に言われると、もううれしいのか悲しいのかわからないなぁ」

「ふん、作品で勝負してほしいよ。さてもう受験手前なんだ。僕は次の一枚をきっかけにして美術大学の入試に勝負したいんだ。最後のモデルお願いできるかな。この絵のあとは好きなようには描けないから」

「どうぞ、私も最後の文章をしたためるよ」

 優しく微笑むと、そう答えた。


 私達は絵画室で猛烈に筆を進めていった。最後の絵画、最後の小説。


 私の受験シーズンになるころに、それらは完成した。


 一つは満開の桜。タイトルは「愛する人」

 一つは短編。タイトルは「花で人を表現する絵描きへの恋文」


「満開の桜が、私なんだね」

「ああ、桜だよ。最後に花を咲かすのは花咲か爺さんの美幸だよ」

「なにそれ、面白いね」

「美幸と出会ってから、花を咲かせてき続けたからね」

「なるほど。私は最後は気持ちを書かないといけないなって思って。恋文にしちゃった」

「いや、恋文を作品にされると恥ずかしいね」

「私だって恥ずかしいよ。でも嬉しいな、この桜」

「ああ、僕も恋文をもらってうれしい。今回もありがとう」


 そういって差し出された絵具で汚れた右手を――

 ――私は振り払うと一気に抱きしめた。健は素直に受け止めてくれた。

 右手じゃあもう満足できなかったんだ、もう、我慢できなかったんだ。

 体全体で、君を、健を感じたかった。


 

 私たちは、それぞれの形で、それぞれの入試に挑んだ。 



 ――春。


 健の作品は、コンクールで金賞を受賞した。

 武蔵野のとある美術館でその作品が含まれた展覧会が開催された。

 そこには手を繋ぎながら歩く、大学の学生になった私達が居た。

 絵具で汚れた右手をごく自然と恋人繋ぎする女性って、ちょっと変に思われたかな。ま、変人コンビだしね。



 おたがい、かいてよかったね。

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